移り気
私はどうも、自他共に認める「熱しやすく冷めやすい」タイプの人間であるらしい。
それはもちろん、これまでの人生における数々の輝かしい過去の経験に裏打ちされた自負であり、今となっては新しい何かに手を出すとき、あらかじめ「まぁ、どうせすぐに飽きるんだけどな」という前提を脳内にセットしてから臨むほどだ。
しかも性質が悪いことに、私は毎回それなりにお金をかけ、完璧に形から入るタイプなのだ。
大して続きもしない初期投資に数万円をドカンと投げ打っては、数ヶ月で綺麗さっぱり情熱を失う。私のような移り気な人間こそが、ある意味で趣味業界の経済の歯車をせっせと回し、資本主義を支えている重要な一端なのだろう。業界はもっと私に感謝してほしい。
――というわけで、今回は。
私の部屋のクローゼットの奥底に静かに眠る、かつて狂ったようにハマり、そして一瞬で飽き果てていった歴代の趣味たちの死屍累々を、一抹の哀愁とともに懐古していこうと思う。
①ゲーム実況にハマる。
それは、私が高校生くらいの頃の話だ。
当時の私にとって、動画サイトのランキングを巡回することは退屈な学生生活における最優先事項であった。学校から帰るとパソコンの前に張り付き、とにかく投稿されているゲーム実況動画をひたすらに見漁る毎日を送っていた。
そうしてある程度の有名実況者たちの動画を見終えた頃。私の脳内に一つの恐ろしく浅はかな考えが芽生え始めていた。
(……待てよ。これ、私にも出来るんじゃないか?)
業界を舐めすぎである。今思い返しても、実に浅はか極まりない。
「こんなの、ただゲームしながら適当に喋ってるだけでしょ? それで人気者になってお金まで稼げるなら、こんなにボロい商売はないな」
そう確信した私は、すぐに実行へと移した。こういう無駄なフットワークの軽さだけは、趣味業界のマーケティングに一瞬で引っかかる『極上のカモ』としての才能に溢れている。
しかし、当時はまだ高校生だ。アルバイトで稼げるお金など二束三文、雀の涙である。そんな限界の軍資金を全て注ぎ込んで私が用意したメイン機材は、型落ちのノートパソコンだった。実況配信の仕組みを何も考えていない、おそらく地球上で最弱スペックのシロモノである。
さらに、実況プレイをするためのゲーム機本体とソフトも律儀に買い揃えた。この時点で私の財布は完全に経済的デッドラインを迎えていたのだが、そこへ、さらに致命的な追い打ちが架かる。
――やり方が、一ミリも分からないのだ。
ええと、まずこのゲーム機とパソコンを繋ぐのか? どうやって? 他にもマイクとか必要なものがあるのか? ていうか、録画して動画にするのってどうやるんだ?
次から次へと湧き出てくる疑問の数々。私は頭を抱えながら、とにかく必死にググる日々を送った。しかし、検索画面に羅列されるのは「コーデック」、「ビットレート」、「エンコード」といった、未知の専門用語の嵐。呪文のような文字列を前に、私の自信は砂の城のようにサラサラと崩れ去っていった。
今なら当時の自分に「おい、まずキャプチャーボードを買え」と的確なアドバイスができるのだが、当時の知識ゼロの高校生にそんな文明の利器の存在など知る由もない。
私は結局、ゲーム実況のスタートラインに立つ方法すら最後まで解き明かせず、実況用に買ったはずのゲームソフトを一度もクリアすることのないまま、機材ごとすべて虚しく手放してしまったのだった。
②ラップにハマる。
ゲーム実況がスタートラインすら拝めずに破綻した原因を、すべて「スペックの低い環境のせい」にした私は、次に動画サイトを席巻していた「歌ってみた」のジャンルに心を奪われた。
読者のみなさんなら、もうこの先の展開は容易に予想がつくだろう。そう、私はすぐさまマイクと録音機材を買い揃えたのだ。
しかも、今回の私は一味違った。前回の無知を猛省し、事前にちゃんとしたリサーチを重ねていたのだ。音楽業界のド定番であるSHUREの名機『SM58』、音声入力を司るオーディオミキサー、さらに本格的なマイクスタンドまでを完璧に揃え、私はすこぶる気分を良くしていた。
わずか三畳しかない実家の自室は、あっという間にプロさながらのプライベートスタジオへと変貌を遂げた。当時ニコニコ動画などで大流行していたボーカロイドの曲を完璧に頭に叩き込んだ私は、満を持して、意気揚々とその歌声をマイクへと吹き込んだ。
そして、録音された音源を再生した瞬間、私はある重大な事実に気づいてしまったのだ。
――私、絶望的に音痴だった。
あまりのショックに頭がどうにかなりそうだった。いや、当時の私はまだ高校生なのだから、ここから一念発起してボイストレーニングにでも通えば、少しはマシになったのかもしれない。
しかし、ヘッドフォンからダイレクトに鼓膜へと届く、自分のキモい生声。無惨に外れ散らかした音程。知識のないまま適当にいじった、下手くそ極まりない謎のミックス音源。もう、すべてが最悪だった。
一気に自信の絶頂から叩き落とされた私だったが、驚くべきことに「自分の声を使って、あわよくば一攫千金して金持ちになりたい」という邪悪な欲望だけは、火を消されるどころかますます激しく燃え盛っていた。
音程が取れないなら、音程に頼らなければいい。世の中には、音痴の私でも堂々と歌える音楽があるはずだ……。
あった。お待たせいたしました。――「ラップ」である。
現在のような世間的な大ラップブームが訪れるのは、ここからまだ十年ほど先の話である。当時の世間一般におけるラッパーといえば、「キングギドラ」だとか「RHYMESTER」といった、いかにもゴリゴリで怖そうな人たちが深夜のクラブで睨みを利かせている、そんなアンダーグラウンドで排他的なイメージが強かったと思う。
しかし、インターネットの広大な海の底には、そんな世間の風潮などどこ吹く風で、無数の素人や玄人の「ネットラッパー」たちがひしめき合い、自作のラップ音源を日夜アップロードして盛り上がっていたのだ。
よし、これだ。ラッパーになろう。
私はまたしても、一ミリの基礎知識も持ち合わせていない浅はかな状態のまま、果てなき「ラッパー道」へと足を踏み入れることになったのである。
一般的な思考の持ち主であれば、まずは既存の有名なラップ曲を覚えて練習しよう、となるはずだ。カラオケでサラッと歌えたら間違いなくカッコいいし。しかし、私の形から入る情熱はそんな手緩い努力を許さない。カラオケ練習のステップを大胆にすっ飛ばし、いきなりオリジナルの楽曲を作り始めるのだ。
当時の私が解釈したラップの仕組みは、極めてシンプルだった。「母音を合わせて、言葉を並べる」。ただこれだけで、なんとなくそれっぽいものが出来上がるのだ。私はそれだけで、自分が本物のラッパーになったと激しく錯覚した。
外見のセットアップも抜かりない。ユニクロで買った、不自然にダボダボな大きいサイズのパーカーと、絶望的に似合っていないキャップ。マイクの先っぽをギュッと握り締め、鏡の前で無意味に指をクネクネと曲げては、虚空に向かって激しく手を揺らした。
客観的に見れば、それは音楽活動などではなく、どこか遠い異国の「未知の民族の儀式」そのものであった。
ありがたいことに当時の動画サイトには、素人がラップを乗せるためのフリートラックが大量にアップロードされており、誰でも自由にラッパーを気取ることができた。
私は前後の意味が全く繋がっていない、せいぜい三文字くらいしか韻を踏んでいない、脳がパニックを起こしそうなほど恥ずかしいオリジナル曲を四曲ほど錬成し、堂々と動画サイトの海へとアップロードしたのだった。
ああ、思い出すだけで背筋が凍る。今から十年ほど前、大人になった私がふと冷静さを取り戻し、動画サイトのアカウントにログインしてそれらを綺麗さっぱり地上からデリートしておいて本当に良かったと心から思う。あのままデジタルタトゥーとして残っていたら、今の私は恥ずかしくて地上で生きていけない。
この私のネットラップブームは、なんだかんだで足掛け三年ほど続いた。しかし、結局のところ、そこからさらに本格的な音源制作へステップアップすることもなければ、実際のクラブイベントに飛び入り参加するような度胸もあるはずがなく。ただただ三畳一間の完全な自己満足として、私のラッパー・シーズンは静かに幕を閉じたのである。
***
さて、今回は私の若気の至りに満ちた、あまりにも恥ずかしい趣味遍歴の一部をご紹介した。
これほど凄まじい三日坊主の歴史を見せつけられると、読者のみなさんにおかれては「こいつ、これから先の人生は大丈夫なのだろうか」と一抹の不安を覚えるかもしれない。
だが、安心してほしい。そんな移り気な私であっても、唯一、物語を読んだり書いたりすることだけは、途中で何度か長いブランクを挟みつつも、かれこれ二十年以上もしぶとく続いているのだ。これだけ長く私の脳内ハッキングを維持できているジャンルは他にない。だから、今後の活動の継続性に関しては、どうぞ、大船に乗ったつもりで信頼していただいて大丈夫である。
実を言うと、私の部屋のクローゼットや過去の口座残高の記憶には、今回語ったもの以外にも、ある日突然一目惚れして形から入り、その業界の経済をゴリゴリに回しまくったギターやらバイクやら漫画やらの死屍累々が、まだまだ大量に眠っている。
だが、それらの黒歴史については、また別の機会にじっくりとご紹介することにしよう。




