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担々麺イズラブ

 昔からそうなのだが、私は一度特定の食べ物にハマると、しばらくの間そればかりを狂ったように食べ続ける奇妙な習性があるらしい。

 しかもそのこだわりは異常に強く、例えば「ラーメン」といった大雑把なジャンルではなく、「あの店の、あのメニューの、あの味」というピンポイントな解像度で、脳の報酬系がハッキングされるような重度の『食依存』を引き起こすのだ。

 

 今から語る「あの味」との出会いは、まさに完全なる偶然だった。今でも時折ふっと思い出すだけで、私の喉元には熱い記憶が込み上げてくる。

 

 5年以上前の話だ。当時、私はカラオケ店の店員として、うだつの上がらないフリーター生活を送っていた。夜勤の責任者を任されていたため、生活リズムは完全に昼夜逆転。夕方に起床し、朝方に帰宅するという、絵に描いたような不健康なルーティンである。

 夜勤勤めを経験したことがある方ならありありと想像できるかもしれないが、この早朝の帰宅という時間帯は、人間の食生活に決定的な大打撃を与える。

 

 コンビニ、二十四時間営業チェーンの定食屋、あるいはマクドナルド(しかも朝マック)。ゴールデンタイムに比べれば、朝の五時や六時に手に入る食べ物の選択肢など、悲しいほどに限定されているのだ。

 当然、私の朝食は一瞬でパターン化し、一年も経たないうちに私は自分の食生活に激しく飽き飽きしていた。

 

 そんなある日のことである。

 私の自宅の最寄りはファミリーマートなのだが、その日はなんとなく朝食のメンツに嫌気がさし、少しだけ遠回りをしてセブンイレブンへと立ち寄ることにした。

(たまには違う店に行くのもいいだろう。どうせ、似たようなものしか置いてないんだろうがな)

 

 コンビニの味なんて、二十余年も生きていればどこも似たり寄ったりだということは、冷め切った頭で十分に理解していた。

 自動ドアをくぐった店内は、ちょうど早朝の品出しが終わった直後らしく、おにぎりやパン、弁当が整然と棚に並んでいた。しかし、私にはそれらがすべて底上げされたプラスチック容器に、絶妙に満足できない分量が割高な価格で詰まっている虚飾の塊にしか見えなかった。

 なんだか、大手コンビニチェーンから「一般的な現代人の満足度」という既製品の価値観を無理やり押し付けられているような気がして、惣菜コーナーで買い物をする気は一瞬で失せた。

 

 私は逃げるように歩を進め、ふと、薄暗い冷凍食品のコーナーへと目を配る。

 冷凍食品は、弁当のように毎朝の配送や人件費がそこまで上乗せされていない分、圧倒的にコスパが良い。それに最近の冷凍技術の進歩は目覚ましく、お手軽なのに驚くほどクオリティが高いものも多い。選択肢としては悪くないかもしれない。

 そんな風に、私が妥協の目を向けたその冷たいガラスの向こう側で――。

 

 私は運命の出会いを果たした。

 黄金のパッケージに包まれた、その名も「担々麺」に。


 決して、目を引くような美人パッケージデザインとは言えなかったと思う。そこにあるのは、シンプルな商品のイメージ写真と、無機質な商品名だけ。実でありきたりな構成だ。しかし、私は店内のどの華やかな新商品よりも、なぜかその黄金の袋に猛烈に惹かれていた。もはや、手を差し伸べない理由などなかった。

 価格は確か、三百円前後だったと記憶している。私はこの、セブンイレブンの冷凍担々麺という未知の存在を試してみることにしたのだ。


(見せてもらおうか。セブンイレブンの冷凍担々麺の性能とやらを――)


 脳内で勝手に壮大なBGMを鳴らしながら担々麺を連れ帰ったものの、自宅の玄関をくぐった時点での私の空腹感は、すでに限界を突破していた。

 およそ十二時間を超える過酷なカラオケ店の夜勤労働によって、脳のエネルギーは完全に枯渇している。おまけに、あと十数時間もすれば再び次の出勤時間がやってくるのだ。終わりのないハードワークの日々に、私の心身はボロ雑巾のように疲弊しきっていた。


 一刻も早く胃袋に何かを叩き込みたい衝動を抑え、黄金の袋を開封する。中からは、ごろんと丸っこいカチコチの冷凍麺と、ペースト状のブロックと化した冷凍スープ、そして仕上げ用の粉末の小袋が現れた。

 説明書きを読んでみると、どうやら冷凍麺は電子レンジで解凍し、スープの方は事前にお湯で温めて溶かしておく必要があるらしい。


 うわ、面倒くさい。

 限界を迎えた脳は、あらゆる調理工程を拒絶したがっていた。少しでもラクをしたい私は、説明書きの「熱湯で」という指示を無視し、洗面所の蛇口をひねって出てきたぬるま湯に、スープの袋をポチャリと浸しておくという最悪の横着をキメることにした。


 レンジの加熱設定はおよそ六分。この長い長い待機時間の間、私はただ一人、薄暗いキッチンで虚無の目をしながら、電子レンジの中でウィーンと回り続けるプラスチックの器をじっと見つめていた。


 いいじゃないか、冷凍食品の朝ご飯だって。

 そりゃあ、栄養バランスだとか健康のことを考えれば、毎日ちゃんと自炊をする方が良いことくらい百も承知だ。しかし、実際のところ一人暮らしの分量の自炊というのは、加減が絶望的に難しい。買い込んだ食材を使い切れず、冷蔵庫の奥で無惨に腐らせてしまったことなど、一度や二度ではないのだ。


 そんな、誰に言い訳するでもない自炊への敗北宣言を脳内で並べ立てているうちに、ついに電子レンジが「ピー」と歓喜の音を鳴らした。


 ――あっつ!!


 電子レンジから激熱のプラスチック容器を命懸けで回収すると、内側から激しい蒸気をくゆらせた麺が姿を現した。ツヤツヤと輝く、黄金の麺だ。素晴らしい。洗面所のぬるま湯に浸しておいたスープの袋も、確認するときれいに解凍されていた。

 アツアツの麺を袋から器へと滑り込ませ、その上へ濃厚なスープのペーストを広げるように落としていく。


 さて、ここにお湯を注いでスープを伸ばさなければならないのだが――当時の私は、電気ケトルで湯を沸かすことすら絶望的に面倒だった。ガスコンロに火を点けるなど論外だ。

 いい、洗面所のお湯でいい。私は再び洗面所へと赴き、蛇口から出る限界の温度のお湯をコップに汲んで、いい感じの分量になるまで器へと注ぎ込んだ。


 こうして、形だけは立派な担々麺がここに完成した。熱湯を使っていないため、期せずして「絶対に火傷をしない猫舌仕様」の優しすぎる一杯に仕上がっている。

 しかし、侮るなかれ。立ち上る香りがすでに凄まじいのだ。唐辛子や胡麻の芳醇な薫りがワンルームの空気を支配し、私の食欲をダイレクトにツンツンと刺激してくる。


 私は割り箸をパチンと割り、いざ、黄金の強敵との真剣勝負へ挑む。

「……フッ、ツウはスープからなんですよ」

 誰も見ていない部屋で謎の玄人を気取りながら、真っ赤なスープをレンゲで一口だけすすってみた。


 ……なんだ、これは。


 驚愕して、もう一口啜る。

 脳髄までダイレクトにほとばしる、香辛料の心地よい暴力。辛い。けれど、圧倒的に美味い。スープだけでこれほど脳の報酬系がハッキングされるのなら、これ、麺も一緒にいっちゃったら一体どうなっちゃうの!?


 私はガシッと割り箸で麺を掴み、濃厚な赤のスープをこれでもかと絡ませて、勢いよくズズッと啜り上げた。

 ……もちもちだ。冷凍とは思えないほどの強烈な弾力を持つ麺。それが、濃厚な胡麻スープの旨味と完璧なバランスで計算され尽くしている。これはまさに、器の中で起きた奇跡の至高のマリアージュであった。


 噛むたび口いっぱいに広がる、圧倒的な辛みと深い旨味。そりゃそうだ、私は元々カレーが大好きなのだ。このスパイスの黄金比が、私の身体に合わないわけがねえよ!

「なんて恐ろしいもんを作りやがったんだ……セブン&アイ・ホールディングスはよぉ!」


 開発者への理不尽な逆ギレをかますほど、未体験の幸福感に打ちひしがれていた私の視界の隅で、きらりと光る小さな存在があった。

(ん……? そういえば、このパッケージに張り付いていた小袋はなんだ?)


 手に取って見ると、どうやら仕上げ用の「花椒」のパウダーらしい。こんなもの、迷わず全量投入の一択だ。

 美しいドレスにきらびやかな装飾をまとわせるように、特有の痺れを孕んだ粉末が、真っ赤なスープの海へと美しく舞い散っていく。


 劇的な味変を遂げたであろうそのスープを、再び一口、静かに啜り込む。


 ……。


 風が語りかけます。

 うまい、うますぎる。

 

 すべてを平らげたとき、私はただ一人、薄暗いワンルームで完全な放心状態に陥っていた。

 冷凍食品だと、これまでの私はどれほど侮っていたことか。素晴らしい芸術をありがとう、セブン&アイ・ホールディングス。


 それからの私は、文字通り狂ったように毎日毎日少しだけ遠回りをしてセブンへ通い、この黄金の冷凍担々麺をひたすら(むさぼ)り喰らう日々を送り続けた。私の胃袋は完全に黄金のパッケージに支配されていた。

 しかし、そんな幸福なルーティンはある日突然、あまりにも理不尽な形で崩壊を迎えることとなる。


 ある朝、いつものように冷凍ストッカーを覗き込むと、そこにあったはずの黄金の姿が忽然(こつぜん)と消え失せていたのだ。

 ――絶望が胸をよぎる。しかし、生粋の陰キャであるこの私に、レジの店員に向かって「あの、冷凍の担々麺の在庫ってバックヤードにありますか?」などと爽やかに質問できるコミュニケーション能力など備わっているはずもない。


 私に残された唯一の手段は、自分の足でセブンイレブンの他店舗を巡り、あの黄金の袋が生き残っている聖地を見つけ出すことだけだった。だが、悲しいかな、その時期を境に街のどこのセブンを訪れても、あの担々麺をまったく見かけなくなってしまったのだ。

 公式ホームページの製品一覧には今なお堂々とその姿が掲載されているので、おそらく私の引きがよほど悪いだけなのだろう。しかし悲しいかな、私は未だにあの運命の一杯との再会を果たせていない。

 いつの日か再び巡り会えたなら、私はまたあの最高のスープと、箸を通じて深く語り合いたいものだ。


 ――余談だが。

 世間を見渡せば、ファミリーマートやイオンといった他社のプライベートブランドでも、同様の冷凍担々麺は数多く販売されている。しかし、それらでは絶対に駄目なのだ。味が、解像度が、全く違う。

 もちろん、それらも食品として十分に美味しいことは百も承知だ。しかし、私からすれば、それらは「担々麺という同じ人種ジャンル」に属しているだけであって、私が愛したあのセブンの「個(担々麺)」ではないのである。私の心に空いた黄金の穴は、他の誰にも埋められないのだ。


 どうやら、この原稿を執筆しているうちに、私の内なる担々麺愛が再び激しく溢れ出してきてしまったようだ。

 よし、決めた。これからしばらくの間は、街でセブンイレブンを見かけるたびに、店内の冷凍ストッカーの最奥をマジマジと観察する不審なアラフォーとして生きていこうと思う。

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