Chapter6 神話を信じている人たち
[ルーアン社・社内会議室]
「織原社長がいなかったら、今ごろ僕たちはここにいませんでした」
誰かのそのひと言に、会議室の空気がやわらいだ。
「本当に……
あのときは、会社がなくなると思ってましたから」
「給料も遅れて、家族にどう説明しようかって……」
ぽつり、ぽつりと、社員たちの声が重なっていく。
会議室の前方に立つ織原梨杏は、ただ静かに耳を傾けていた。
「……ありがとうございます」
それだけ言って、深く頭を下げる。
拍手が起こる。
大きくはない。
けれど、確かな感謝の音。
この会社は、一度、死にかけた。
だからこそ、救ってくれた存在を“信じる”ことが、生きる支えになっている。
会議の後。
廊下の端で、辻井響は足を止めた。
「……社長」
織原は振り返る。
「辻井くん。どうしたの?」
辻井は、一瞬だけ視線を落とした。
「……今日の話、少し、胸が痛くなりまして」
織原は、表情を変えない。
「痛む?」
「はい。
皆、本当に救われてるんだなって……」
言葉の続きを、辻井は呑み込んだ。
救われている。
だからこそ――
知らなくていいことがある。
それを、彼は知っている。
「辻井くん」
織原の声は、いつも通り、穏やかだった。
「会社を守るって、綺麗事だけじゃ、できないの」
辻井は、黙って頷いた。
◇◇◇
一方。
財務経理部のフロアで、常見紘一は、モニターの前に座っていた。
数字は、今日も整っている。
完璧に。
「……神話、か」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
3年前。
倒産寸前だった会社。
銀行も、取引先も、誰も助けてくれなかった。
「……だから、クロノスに頼った」
常見は、資料棚の奥にある、古いファイルを思い出す。
特別プロジェクト。
例外処理。
説明不要。
そして――
“事故”
「……あれがなかったら、会社は助からなかった」
でも。
「……あれがなかったら、誰かは、壊れなかった」
数字は、何も語らない。
語らないからこそ、彼が黙る理由にもなっていた。
◇◇◇
辻井と常見。
2人は、同じ真実を知っている。
でも、同じ理由で、口を閉ざしている。
この会社には、救われた人が多すぎる。
その事実が、真実を“言えなくする力”になっている。
◇◇◇
そして。
その日の夕方。
織原梨杏は、ひとり、窓の外を見ていた。
沈みかけた夕日が、街を照らす。
「……神話、ね」
小さく笑う。
「信じてくれるなら、それでいい」
誰かが傷ついたことよりも。
誰かが救われた事実を選んだ。
それが、彼女の“英断”だった。
だが――
その神話の下で、何が犠牲になったのか。
それを、真正面から見ている者たちが、確かに存在している。
そして、アークシステムズは、もう、その扉の前に立っていた。




