Chapter3 灯が数字を見る
[アークシステムズ・オンラインミーティング]
画面の向こうで、樫乃灯はゆっくりと瞬きをした。
「……なるほど」
そのひと言だけで、凪は背筋を伸ばした。
灯は、環がまとめた数字の一覧を、黙って見つめている。
画面共有された表には、月ごとに並んだ経費の数字。
どれも桁は揃っている。
計算も合っている。
――問題がないように、見える。
「……灯さん、率直にどうですか?」
柊が静かに聞いた。
灯はすぐには答えず、杖を手元に寄せ、もう一度数字を眺めた。
「“嘘”はないわね」
その言葉に、環の胸が少しだけ緩む。
「ただし……」
灯は、そこで一度区切った。
「“誠実”でもない」
凪が、思わず口を挟む。
「誠実……じゃない?」
「ええ」
灯は、一つひとつの数字を指し示すように、ゆっくり言葉を選ぶ。
「数字はね、嘘をつかないの」
環は、その言葉を知っていた。
――数字は嘘をつかない。
――嘘つきは、数字を使う。
灯の、いつもの言葉。
「でもね、“使い方”で、いくらでも人を騙せる」
画面の中の数字は、相変わらず整然としている。
「この数字たち……
どれも“説明しなくていい場所”に置かれてる」
柊は、その言葉を噛みしめた。
「説明しなくていい……」
「ええ。
聞かれにくい場所。
確認されにくい場所。
“まぁ、そういうものよね”で流される位置」
灯は、その中の一行を指した。
「ここ。2月の処理」
環の指が、無意識に動いた。
「……Février……」
灯は、環を見る。
「気づいたのね」
「はい……月初に集中していて……それに、割れない数字があって……」
灯は、小さく微笑んだ。
「素数ね。
ノンブル・プルミエ」
凪が、低く息を吸う。
「……やっぱり、意味がありますよね」
「あるわ」
灯は、はっきり言った。
「これは、“最初から仕掛けられている数字”」
画面の向こうで、柊の表情が、わずかに変わった。
怒りではない。
まだ、怒りではない。
でも――
守るべきものに、近づく気配を感じ取った顔だった。
「……灯さん」
柊は、静かに続ける。
「この数字、“誰に向けたもの”だと思いますか?」
灯は、少しだけ視線を落とし、それから真っ直ぐに柊を見た。
「2通り考えられるわ」
「2通り?」
「ええ。ひとつは……柊くん、あなた」
凪が、思わず息を止める。
「如月=2月。Février」
灯は淡々と続けた。
「もうひとつは……」
視線が、環へ移る。
「如月環」
環は、胸の奥がきゅっとするのを感じた。
「でもね」
灯は、ゆっくり首を振った。
「これは“あなたを落とすため”の数字じゃない」
柊の眉が、わずかに動く。
「……どういう意味ですか?」
「“揺さぶるため”よ」
灯は、静かに言った。
「環を揺らせば、あなたが動く」
そのひと言が、会議の空気を変えた。
柊は、何も言わなかった。
ただ、画面越しに環を見て、一度だけ、深く息を吐いた。
「……なるほど」
その声は、低く、落ち着いている。
でも――
灯は見逃さなかった。
その“静けさ”が、一番怒らせてはいけない状態だということを。
「大丈夫よ、環」
灯は、やさしく言った。
「あなたは、もう1人じゃない」
環は、小さく頷いた。
「はい……」
柊は、ゆっくりと口を開く。
「灯さん。
この数字、全部、残してください」
「ええ」
「消さない。直さない。隠さない」
その言葉に、凪がうなずく。
「ログも、全部保存しておきます」
柊は、画面の数字を見つめながら、心の奥で決めていた。
――触れるな。
――環に、触れるな。
それが、高瀬玲子の知らない、絶対条件だということを。




