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森と鋼のあいだ ー大往生 のち 恋をするー  作者: ヒトツキト樹


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第3章 夕映えの泉

ラグナ=ルミナの夕方は、少し騒がしい。

昼の市場が終わり、港には帰ってくる船が増える時間だ。


荷を降ろす声。

帆布が風を受けて鳴る音。

魚と潮の匂い。


ユリエルはその喧騒の中を、静かに歩いていた。

外套のフードをかぶっているのは、この街で、白銀の髪が目立つからだ。


リュネが外套の隙間から顔を出す。


「ユリィ」

「しー」


ユリエルは小さく笑う。


「内緒よ」


港の通りを離れると、街の音は少しずつ遠ざかる。

石畳はやがて土の道に変わり、建物もまばらになった。


その先に、小さな森がある。


ユリエルは迷いなくそこへ入ると、軽い足取りで、木々の間を抜けていき、泉へとたどり着いた。


岩に囲まれた小さな水場。


透明な水が、静かに湧いている。

夕日が水面に落ち、赤い光が揺れていた。


ユリエルはゆっくり泉へ歩み寄ると、水面を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……どうして、ここに呼ばれた気がしたのかしら」


答えはない。

ただ、水の音が静かに響いている。


そのとき。


「それは俺も知りたい」


ユリエルが振り向くと、岩にもたれて立つ男がいた。


鋼の鎧。簡潔な軍装。

西に傾いた光が横顔を照らしている。


レンヴァルトだった。


漆黒の瞳の奥で、赤銅の色が静かに揺れた。


ユリエルは驚きでかすれた声を出した。


「……また会ったわね」


レンヴァルトは小さく頷き、少し間を置いて、泉の水面を見た。


「お前がここに来ると思っていた」


ユリエルは首を傾げる。


「どうして?」


レンヴァルトは肩をすくめた。


「さあな。でも、戦場で見た、お前が森の気配を読むような顔をしていた」


それから泉を見る。


「だから、回復したら、ここに来るようにと考えながら、数日、通っていた」


ユリエルの目が少し大きくなる。


「毎日?」

「そうだ」


レンヴァルトの返答はシンプルだ。


「明日の朝、俺は国へ戻る」

「その前に、お前と話しがしたかった」


泉の水が小さく揺れた。


リュネが外套から顔を出す。


「ユリィ」


レンヴァルトの視線がそちらへ向く。


「……そいつも元気そうだな」


「リュネよ」

「私の相棒」


リュネは胸を張る。


「リュネ!」


レンヴァルトの口元がわずかに緩み、微笑んでいるように見えた。


――あらあら、こんな顔もするのね


「まず聞きたい」


ユリエルの視線が静かに上がる。


「なぜ、あんな危険なことをした」


泉の水音が静かに響く中、レンヴァルトは続けた。


「なぜ戦場に飛び込んできた」

「両軍の中央に立つなど、正気とは思えない」


ユリエルは少し黙った。

夕日の光が揺れる水面を見つめながら、ゆっくり言った。


「……間に合わせたかったの」


レンヴァルトの眉がわずかに動く。


「何に?」


ユリエルは水面を見たまま答える。


「戦いに」


そして小さく息を吐く。


「戦いが始まる前に、止めたかったの」


沈黙が落ちた。


レンヴァルトはユリエルを見ている。

ユリエルは続けた。


「誰かが死ぬ前に」

「間に合わせたかった」


その言葉のあと、少しだけ間が空いた。

レンヴァルトは静かに言う。


「……誰が死ぬと?」


ユリエルは少し考える。


「セラヴィ」


それから、視線を上げると、レンヴァルトの瞳をまっすぐに見つめた。


「レン…あなたも」


レンヴァルトは何も言わずに、ただ、少しだけ目を細めた。


ユリエルはふっと微笑む。


「困るでしょう?」

「あなたが死んだら」


レンヴァルトの口元がわずかに動いた。


「それは、どうだろうな」


泉の水が揺れる。夕日が沈みかけていた。

レンヴァルトは少し間を置いて言う。


「戦場の話をする」


ユリエルはうなずく。


「矢が飛び、お前の兄が倒れた」

「その直後、森と鋼が揺れた」


少し言葉を選びながら言う。


「俺には、お前の感情に森の魔力が呼応したように見えた」


ユリエルは黙って聞いている。


「だが俺の側近は違うと言う」


レンヴァルトの声は落ち着いていた。


「森の魔力は元々、不安定に揺れていた」

「お前は境界へ来る直前、その魔力に触れたのではないか、と」


ユリエルは少し驚いたように言う。


「あなたの側近、ドワーフでしょう?」

「どうして森の魔力にそんなに詳しいの?」


レンヴァルトはわずかに肩をすくめる。


「例外だ」


少し間を置いて言う。


「ヴァレルという」

「ドワーフとエルフのハーフだ」


ユリエルの藤色の瞳が少し大きくなる。


「ハーフ……」


レンヴァルトは頷く。


「森と鋼、両方の血と知識を持っている」


ユリエルは少し考えた。

それから思い出すように言った。


「……境界へ行く前」

「森の異変を調べていたの」


ユリエルは手のひらを見る。


「そのとき、森の流れを確かめたくて、地面に触れたの」

「…なるほど……それか」


レンヴァルトが納得したように小さく言う。

だがすぐに視線を戻した。


「その話は、エルフ王国の機密に近いものじゃないのか」

「俺に話していいのか」


ユリエルは静かに笑った。


「いいの」


何も答えないレンヴァルトを見つめながら、ユリエルは続けた。


「あなたは戦いを始めたい人じゃない」

「兵や民の命を守りたいと思っている」


少し肩をすくめて、笑みを浮かべるユリエルをレンヴァルトは黙って見つめている。


「私も同じ」

「だから大丈夫なの」


泉の空気が、少し変わる。

二人の間に夕暮れの風が流れ込む。


夕日がさらに沈み、光がレンヴァルトの瞳に入り、赤銅の色を強く際立たせた。

ユリエルはその色を見て、ふと思う。


——綺麗ね


そして同時に思う。


——今度こそ


胸の奥に別の記憶が浮かぶ。

出征の朝。蓮との別れ。

抱きしめられた腕。

ユリエルは静かに息を吐いた。

今度は、どうしても。


――間に合わせたいの


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