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森と鋼のあいだ ー大往生 のち 恋をするー  作者: ヒトツキト樹


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第3章 眠りのあと

最初に感じたのは、匂いだった。


潮の匂い。焼きたてのパンの匂い。

遠くから人の声が聞こえる。

荷車の車輪が石畳を転がる音。魚売りの呼び声や誰かの笑い声。


森には無い、匂いや音だった。


ユリエルはゆっくり目を開いた。


見慣れない天井。

木の梁と白い漆喰の壁。

窓から差し込む光が部屋をやわらかく照らしている。


ーー森の建物じゃないわね


「……あら?」


声は普通に出たので体を少し動かしてみる。

体は重く、まるで、百年を生きた最後の夜のようだった。


「少し、体が重いわね……」


その瞬間。

もふん、と軽い衝撃。


「ユリィ!」


ユリエルが視線を落とすと白くて、丸くて、ふわふわした小さな生き物が胸の上にいた。


「リュネ」

「ユリィ、いっぱいねてた!」

嬉しそうに跳ねている。


「そうなの?」


ユリエルはくすりと笑った。


「それはごめんなさいね」


リュネは胸の上で得意げに言う。


「リュネ、みてた!」

「あらあら、見張られていたのね」


ユリエルが体を起こそうとしたときだった。

椅子がわずかに軋む音がした。


「……まだ無理をするな」


低い声だった。


ユリエルは顔を向ける。


部屋の隅に椅子があり、そこに一人の男が座っていた。

白銀の髪は、毛先につれて若草のような淡い緑へと変わっている。

セラヴィだった。


腕を組んだまま、こちらを見ている。

だがその視線には、はっきりと安堵があった。


ユリエルは少し笑った。


「おはよう、セラヴィ」


セラヴィはしばらく何も言わなかった。

妹の顔を確かめるように見てから、ようやく口を開く。


「三日だ」


ユリエルは瞬きをした。


「……三日?」

「三日眠っていた」


ユリエルは思わず……


「あらあら」

「よく寝たわね」


セラヴィは額に手を当てた。


「お前は本当に……」


言葉を途中でやめて、静かに立ち上がった。


「どこか痛むか」

「いいえ」


ーー……でも


ユリエルは自分の手を見る。


魔力が妙に静かだった。       

森の気配が遠い。          

体は少し空っぽのような感覚。


「少し、体が重いくらいかしら」


リュネが胸の上でぴょんと跳ねる。


「ユリィ、いっぱいねてた!」

「そうね」


ユリエルはリュネの頭を撫でた。

窓の外から賑やかな声が聞こえてきて、ユリエルは窓の方を見た。

青い空を海鳥が横切っていく。


「……港町ね」


「ラグナ=ルミナだ」

セラヴィが答える。         


ユリエルは少し驚いた。


「あら。王都じゃないの?」

「国境が緊張状態だからな。王都へ戻れば余計な騒ぎになる。中立都市で療養、という判断だ」


ユリエルはセラヴィの肩を見た。


「セラヴィ、傷は?」


セラヴィは軽く肩をすくめる。


「軽い。癒術官にも診せた、もう問題ない」


そのとき、扉が静かに叩かれた。


「失礼します」


白い法衣をまとった男が入ってくる。

年は四十ほどの癒術官だった。

落ち着いた顔立ちで、穏やかな目をしている。


「目を覚まされましたか、ユリエル様」

「えぇ、先生」


癒術官は微笑む。


「体を診せていただいてもよろしいですか」


ユリエルは手を差し出し、癒術官がその手に軽く触れる。


魔力を探る。

部屋の空気が、ほんのわずかに静まった。


数秒。


癒術官の眉がわずかに動き、もう一度、確かめるように魔力を探る。     

それから手を離した。


「大きな問題はありません。魔力はかなり消耗していますが、回復は順調です」


セラヴィが吐息をつく。


「なら問題ないな」

「ええ、何よりです」


癒術官は頷いた。


だがその視線が、ユリエルの胸元へ向く。

そこに座っている白い塊。

リュネだった。


「……その生き物は」


ユリエルは微笑む。


「リュネよ」

「かわいいでしょう?」


リュネが胸を張る。


「リュネ!」


癒術官はしゃがみこみ、興味深そうに見つめた。

それから魔力を探るように指先を近づける。

その瞬間。

癒術官の表情が変わった。


「……これは」

「どうした」

セラヴィが眉をひそめる。


「この子の魔力ですが……」


一度ユリエルを見て、癒術官は少し言葉を選んでから言った。


「ユリエル様の魔力と、非常によく似ています」


ユリエルは瞬きをした。

「そうなの?」


リュネは得意げに言う。


「ユリィといっしょ!」


セラヴィは腕を組んだまま、じっとリュネを見ていた。


「……珍しいのか」

「かなり」


癒術官は静かに答える。


「普通の生き物がエルフと似た魔力をもつことは、まず見ません」


ユリエルは少し考え、それから軽く笑った。


「あらあら、家族みたいなものだからかしらね」


癒術官は苦笑した。だがその目は、まだリュネを見ていた。


ユリエルは窓の外を見る。


港町の喧騒。

海鳥。

遠い海の光。

そのとき、胸の奥に何かが浮かんだ。

遠く。

……水の気配。

森の奥の静かな場所。

泉。


ユリエルはほんの少し目を細めたが何も言わずに、ただ、リュネの頭を撫でる。


「ユリィ?」

「あとでね」


ユリエルは静かに笑った。


セラヴィはそれを見ていたが、何も言わなかった。


外では港の喧騒が続いている。

太陽はまだ高い。でも、もう少しすれば。


――夕方になるわね

――呼ばれている気がするの


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