第8話 すっごく気持ちいいこと?
「はぁ……」
教室へ向かう廊下を歩きながら、俺は大きなため息をついた。
「結局、紀律にはハーレム入りを断られてしまった」
「いや、当たり前でしょ」
隣を歩くなじみから、冷たい声が飛んでくる。
「なぜだ? なじみに続いて、二人目のハーレム候補だったのに」
「私を勝手に一人目に数えないでよ! 槍田くんのハーレムになんか入らないから!」
なじみが足を止め、声を張り上げた。
「どうしてなんだ……! いったい何が悪かったんだ?」
「そこを自覚してないんだ……むしろ、その方が驚きだよ」
途中までは、まんざらでもない雰囲気だった気がするが……。
いや、それでも俺は紀律を諦めるつもりはない。
「ああ……夢にまで見たおせっせカーニバルへの道は遠いな」
「なに、そのおせっせカーニバルって!」
「俺の夢だ」
「もうそういうところだよ、槍田くんは!」
なじみが派手にツッコミを入れる。
「ほんと……黙ってれば顔だって悪くないし、頭もいいのに」
そして、俺から顔を背けながら、ぼそぼそと何かを呟き始めた。
「いつも私のこと、可愛いって言ってくれるし……ハーレムなんかじゃなくて、私だけって言われたら……私だって、別に……」
「ん? なんか言ったか?」
「な、なんでもない!」
なじみは顔を赤くすると、ぷいっとそっぽを向いた。
「そもそも槍田くんは、女の子の気持ちってものをもう少し——」
「わわわっ! ごめん、そこどいて!」
「ん?」
慌ただしい声に振り向く。
廊下の角から飛び出してきた女子生徒が、ものすごい勢いでなじみへ突っ込んできていた。
「なじみ、危ない!」
「えっ——」
俺は咄嗟になじみの腕を引いて後ろへ下げ、その前へ出た。
次の瞬間——女子生徒が真正面からぶつかってくる。
「うおっ!?」
「きゃっ!」
勢いを受け止めきれず、二人揃って床へ倒れ込む。
このままでは、女子生徒が頭を打つかもしれない。
俺は咄嗟に彼女の頭へ腕を回し、自分の身体で庇うように抱き込んだ。
ドスンッ!
「ぐっ……!」
「いったた……ご、ごめん! 大丈夫!?」
「俺は平気だ。それより、君は怪我してないか?」
「ボク?」
女子生徒は何度か目を瞬かせると、自分の身体を確かめた。
「うん、大丈夫! どこも痛くないよ」
「そうか。よかった」
俺が腕を離すと、女子生徒は慌てて身体を起こし、俺の上から退いた。
「でも、ぶつかったのが伊阪利くんでよかったぁ」
「俺を知っているのか?」
「そりゃ知ってるよ。同じクラスで、たった一人の男の子だもん」
女子生徒はスカートの裾を軽く整えると、にっと人懐っこく笑った。
「女の子にぶつからなくてよかったよ。怪我させたら大変だし」
「男なら怪我をさせてもいいというわけではないと思うが」
「あははっ、それもそうだね!」
女子生徒は悪びれる様子もなく、明るく笑う。
「ボクは長木仁走琉。よろしくね、伊阪利くん!」
「ああ。よろしく、長木仁さん」
「走琉でいいよ」
走琉はそう言うと、ぐっと顔を近づけてきた。
近い。
少し日に焼けた健康的な肌。
快活な印象を与える、青いショートカット。
宝石のような藍色の瞳に、屈託のない明るい笑顔。
走琉——間違いなく、体育会系の美少女だ。
「それにボク、前から伊阪利くんのこと、ちょっと気になってたんだ!」
「俺のことが……気になっていた?」
「うん!」
迷いのない即答だった。
「前から、話してみたいって思ってたんだ」
「そ、そうなのか……」
大きな瞳が、まっすぐ俺を見つめている。
その瞳の中には、俺の姿だけが映っていた。
これは、まさか——。
「だって、この学園って男の子がほとんどいないでしょ?」
「……ああ」
「ボク、昔から女の子より男の子と一緒にいる方が気楽なんだよね!」
走琉は屈託のない笑顔を浮かべた。
「ボクって結構、男っぽいところがあるからさ。女の子扱いされるのも、あんまり慣れてないし」
「…………」
「だから、これからよろしくね! 伊阪利くん!」
走琉は俺の肩をぽんっと叩くと、そのまま廊下を駆けていった。
なるほど。
そういう意味で、俺のことが気になっていたのか。
「槍田くん、大丈夫?」
なじみが俺の顔を心配そうに覗き込む。
「なんだ。心配してくれるのか」
「私を庇ってくれたんでしょ?」
「なじみに怪我をさせるわけにはいかないからな」
「…………槍田くん」
「それに、美少女との衝突イベントだ。誰にも譲れないな」
あえていつもの調子で付け加えると、なじみは呆れたように肩を落とした。
「はぁ……ほんとバカなんだから」
「なぜそこでバカが出てくるんだ?」
「分からないなら、やっぱりバカだよ」
なじみは、どうにも俺に厳しい。
だが、そんなところも含めて可愛いんだ。
教室へ入ると、走琉はすでに自分の席にいた。
「本当に同じクラスだったんだな」
しかし、席に着いてもじっとしていない。
椅子に座ったまま脚を伸ばしたり、肩を回したり。
近くの女子と話している間も、常に身体のどこかを動かしている。
「走琉って、いつもあんな感じなのか?」
「長木仁さん?」
「ああ」
なじみも、走琉の方へ視線を向けた。
「同じクラスの女の子なのに何も知らないんだね。本当にハーレムを作る気あるの?」
「あるに決まっているだろ!」
「うわっ、声が大きい!」
なじみが驚き、びくりと肩を跳ねさせる。
「長木仁さんは陸上部。短距離では、結構名前の知られた選手みたいだよ」
「短距離か」
「うん。朝も放課後も走ってるし、大会でもかなり活躍してるんだって。クラスでは有名だよ」
「なるほど……」
なじみと話していると、こちらの視線に気づいたのか、走琉が席を立った。
そして、迷いなく俺たちの方へ近づいてくる。
「伊阪利くん、さっきはごめんね」
「ああ。別に気にしていない」
「じゃあさ、お詫びにすっごく気持ちいいこと……一緒にしない?」
「……っ」
思わず息を呑む。
美少女からの不意な誘いに、俺の胸は大きく高鳴った。




