第39話 友達になればいい
「ちょ、ちょっと待ってください! 伊阪利君!」
「善は急げだ!」
「急ぎすぎですぅぅぅ!」
体育準備室を飛び出し、俺は華担の手を引いてグラウンドへ向かう。
「む、無理です! まだ心の準備ができてません!」
「大丈夫だ! みんな優しいぞ」
「そういう問題じゃないんです! 推しと直接エンカするには、それ相応の覚悟が必要なんですよ!」
華担は必死に訴えてくるが、その足は止まらない。
俺に引っ張られながらも、ちゃんとついてきている。
本当は、華担だってみんなと話してみたいのだろう。
そうこうしているうちに、グラウンドへ到着した。
「あっ……」
華担の足が、ぴたりと止まる。
その視線の先では、走琉が一人、トラックを駆け抜けていた。
力強く地面を蹴り、風を切るように一直線に走る。
俺たちの前を一瞬で通り過ぎた走琉を、華担は夢でも見ているような目で追いかけていた。
「走琉さん……今日も走ってる……尊い……」
さっきまで騒いでいた華担が、急に大人しくなる。
「おーい! 走琉ー!」
「ひゃあああああっ!?」
華担が慌てて俺の腕へしがみついた。
俺の声に気づいた走琉が、こちらへ向かって大きく手を振る。
「伊阪利くーん!」
そのままトラックを外れ、俺たちのもとへ勢いよく駆けてきた。
「どうしたの? ボクに会いに来てくれたの?」
「ああ。走琉に紹介したい子がいてな」
「紹介したい子?」
「…………」
俺の腕にしがみついていた華担が、さっと背後へ隠れる。
「推鹿さん。隠れてないで出てこい」
「無理ですよぉ……」
「もしかして、新しいハーレムの子?」
走琉が俺の肩越しから、隠れている華担の顔を覗き込んだ。
「ひゃいっ!?」
華担の肩が大きく跳ねる。
「推鹿さんがハーレムか。そういう目では見ていなかったな」
「わ、私が皆さんの中に入るなんて……! そんなの一番駄目です!」
華担の顔が、みるみる真っ赤になっていく。
俺は背後に隠れている華担を、半ば強引に走琉の前へ押し出した。
「推鹿華担だ。ハーレムメンバーではないが、走琉たちと仲良くなりたいらしい」
「そ、そんなこと一言も——」
「そうなの?」
走琉はぱっと顔を輝かせると、華担の手を取った。
「ボク、長木仁走琉! よろしくね、華担ちゃん!」
「…………」
走琉が握った華担の手をぶんぶんと振る。
しかし、華担は完全に固まっていた。
「推鹿さん?」
「…………」
「おーい?」
返事がない。
華担は握られた自分の手と、目の前で笑う走琉の顔を何度も見比べる。
「走琉さんが……私の手を……」
「あっ、ごめん! 走ったあとの手だから、汗っぽかったかな?」
走琉が手を離そうとする。
しかし、その手を華担が両手でがっしりと握り返した。
「これは……握手会ですね!」
「握手会……?」
「私、走琉さんの走っている姿が大好きです! 格好よくて、キラキラしてて! でも、伊阪利君に甘えているときは、ものすごく可愛くて大好きです!」
「え? あ、ありがと……?」
華担は興奮したように、繋いだ手をぶんぶんと振り返す。
「わはは! なんか、すごく面白い子だね!」
あの走琉が、華担の勢いに呑まれている。
これはなかなか珍しい光景だ。
◇◇◇◇◇
「ここが、なじみと玖詩を見るのに最適な場所だ」
「はああああん! テニスウェアのなじみさんと玖詩たん……尊い……!」
次にやってきたのは、テニスコートを見渡せるフェンスの裏側。
華担はフェンスへ張りつくようにして、二人の姿を食い入るように見つめている。
「なじみ! 玖詩! ちょっといいか?」
「槍田くん、何しに来たの?」
「アンタ、またなじみを覗きに来たのね! この変態うじ虫!」
なんだ、変態うじ虫って。
発情害虫よりも悪化していないか?
「……あれ? 確か、同じクラスの推鹿さんだよね?」
なじみは、俺の背後に隠れた華担へすぐに気づいた。
「は、はひっ……!」
「もしかして、またハーレムに誘おうとして口説いてるの?」
なじみが、じとっとした目を俺へ向ける。
「なじみさんの生嫉妬……メロすぎるぅ……」
俺の後ろに隠れたまま、華担が恍惚とした声で呟いた。
「違うぞ。推鹿さんは、なじみと玖詩の二人と友達になりたいらしい」
「私たちと……友達?」
玖詩が、警戒するように華担をじろりと睨みつける。
「どこの誰かも知らないけど、私はアンタと友達になる気なんてないから。とっとと帰りなさい!」
玖詩は華担へ、びしっと人差し指を突きつけた。
「…………」
華担が俯く。
「玖詩ちゃん、推鹿さんになんてこと言うの!」
「だって、知らないやつだし……」
「ごめんなさい、推鹿さん。玖詩ちゃんも、悪気があって言ったわけじゃ——」
「…………本物だ」
「……え?」
華担の肩が、小刻みに震え始める。
「本物の玖詩たんに……初めて罵倒された……!」
ゆっくりと顔を上げる。
その頬は赤く染まり、瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。
「はぁ……はぁ……玖詩たん、可愛いよぉ……」
「……げ。何言ってんの、こいつ」
「もっと罵ってください! 好きなだけ罵倒してください! もっと、もっときつい言葉でお願いします! なんなら蹴ってもらっても大丈夫なので!」
「ひぃっ!?」
玖詩が顔を引きつらせ、なじみの後ろへ逃げ込む。
「なじみ! こいつ怖い!」
「おお! あの玖詩が怖がっているぞ!」
「アンタが連れてきたんでしょ! 死ねぇ!」
「ぐぎゃあああっ!」
玖詩のドロップキックが、俺の顔面へ見事に炸裂した。
「はあああっ! 念願の生いざ玖詩……!」
倒れた俺を、華担が食い入るように見つめる。
「感激です! 蹴られて倒れている伊阪利君……可哀想なのに、なんか可愛い……! これはこれで推せるぅ……!」
◇◇◇◇◇
「紀律、勉強中に悪いな」
「ううん。槍田君が来てくれて嬉しいわ」
自習室で声をかけると、紀律は問題集から顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「はわわわ……今の紀律さんの笑顔……!」
俺の背後で、華担が早くも震え始める。
「普段はあんなに真面目で凛としているのに、伊阪利君を見た瞬間だけ浮かべる安心しきった微笑み……! 尊い……!」
「っ……!」
そこで紀律は、俺一人ではないことに気づいたらしい。
「こほんっ」
恥ずかしそうに咳払いすると、すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻った。
「推鹿さんもいたのね。……それで、何の用かしら?」
いつもの真面目な紀律に戻ってしまった。
「推鹿さんと友達になってほしいんだ」
「また何か企んでいるのね。そもそも、友達って『なってほしい』と言われてなるものではないでしょう?」
「…………」
正論だった。
なんだか、当たりが強い気がする。
何かを察したのか、華担がすぐに頭を下げた。
「……ごめんなさい。私が紀律さんのことを知りたいなんて言ったから……。伊阪利君は悪くないんです」
「推鹿さんは何も悪くないわ。全部、槍田君のせいよ」
紀律がギロリと俺を睨みつける。
でも、そんな紀律も可愛い。
「何よ? さっきからにこにこして……」
「いや、紀律は可愛いなと思ってな」
「ちょっと……推鹿さんもいるんだから、やめてよ」
紀律は恥ずかしそうに顔を背ける。
その横顔を見ていると、プールでキスしそうになったことを思い出してしまった。
あのとき、走琉が来るのが少し遅かったら——。
「…………」
リップで艶めく、形のいい唇。
紀律の唇……柔らかそうだな。
「ぶふうううっ!」
突然、隣から華担の奇声が響いた。
「二人で見つめ合って、視線だけですべてを伝え合う……! 何、この二人にしか分からない空気感! 尊い……尊すぎますぅ……!」
華担は胸元を押さえると、その場にしゃがみ込んで悶絶し始めた。
「いざきり……やっぱり強い……! 供給の火力が高すぎるぅ……!」
「推鹿さんって……こんな子だったの……?」
紀律が唖然とした顔で華担を見下ろす。
「ああ」
俺は静かに頷いた。
「残念ながら、こんな子だ」




