第36話 捕まえたぞ、ストーカー
「はぁあ……」
「どうしたの、槍田くん?」
「なじみか。なんだかここ数日、やたらと人の視線を感じるんだ」
今も、誰かに見られているような気がする。
振り返っても、それらしい人物は見当たらない。
「このクラスの男子は槍田くん一人なんだから、見られるくらい普通じゃない?」
「いや、そういう視線とは違うんだ。もっとこう……ねちっこいというか、じっと観察されているというか」
「槍田くんの気のせいじゃない?」
しかも、視線を感じるのは教室にいるときが多い。
ということは——視線の主は、このクラスの誰かか?
「もしかすると、俺のハーレムに入りたい女子が、熱い視線を送っているのかもしれん……」
「なんでそうなるのよ……」
だとしたら、どんな女子なのか確かめる必要がある。
「ちょっとトイレに行ってくる」
「え? う、うん」
俺は席を立ち、教室を出た。
向かうのは男子トイレ。
この学園では、女子がわざわざ近づくような場所ではない。
俺は廊下の角を曲がると、その場でぴたりと足を止めた。
「…………」
あとは、視線の主が俺を追ってくるかどうか。
物陰に身を潜め、息を殺して待つ。
やがて——廊下の向こうから、控えめな足音が近づいてきた。
来た。
俺は足音がすぐそばまで迫った瞬間、勢いよく角から飛び出した。
「見つけたぞ!」
「ひゃあっ!?」
そこにいたのは、小柄な少女だった。
銀色の髪を顎の辺りで切り揃えたボブヘア。
愛らしいまん丸の瞳に、髪を彩る紫色のヘアピン。
胸元で鞄を抱き締めた姿は、小動物のように見える。
……か、可愛い。
「君なのか? ここ数日、俺を見ていたのは」
「ち、違っ……違わないですけど! 待って待って! 推しとの突然のエンカは、心の準備が——!」
「推し……? 何のことだ?」
少女は明らかに取り乱していた。
視線をあちこちへ泳がせ、逃げ道を探している。
「わ、私は用事を思い出したので……!」
「おい、ちょっと待て!」
そそくさと立ち去ろうとする少女の腕を、咄嗟に掴む。
「はわわわわわっ! ちょっ、お触りは聞いてないて!」
「わ、悪い。許可もなく女子に触れるのはよくなかったな」
俺はすぐに手を離した。
「…………」
少女は掴まれていた腕を胸元へ抱き寄せ、ぽかんと俺を見つめる。
その頬は、みるみるうちに赤く染まっていった。
「で、では! 私はこれで!」
少女が勢いよく背を向ける。
その拍子に、鞄から何かが落ちた。
硬い物が床を跳ね、カランと軽い音を立てる。
「ん? 何か落としたぞ」
「え?」
拾い上げてみると、それはアクリル製のキーホルダーだった。
「…………」
そこには、あまりにも見覚えのある男女が並んでいた。
「これは……俺となじみか?」
「…………っはぁ!」
少女の動きが、ぴたりと止まる。
「どうして俺となじみが、キーホルダーになってるんだ?」
「そ、そ、それは……」
「しかも、妙に出来がいいな」
デフォルメされた俺となじみが、仲睦まじそうに寄り添っている。
小さいながらも二人の特徴をよく捉えていて、一目で俺たちだと分かるほどだった。
「いったい、どこでこんなものを手に入れたんだ?」
「…………私が作りました」
「自作なのか!?」
俺は手元のキーホルダーと少女を交互に見る。
「どうして、わざわざ俺となじみを……」
「だ……だって、いいじゃないですか! いざなじ!」
「いざなじ……?」
「そうです! 伊阪利君となじみさんのカップリングです!」
その言葉を口にした途端、少女の瞳がきらりと輝いた。
「伊阪利君にセクハラまがいのことを言われても、恥ずかしがりながら、なんだかんだ付き合ってあげるなじみさん!」
「お、おう……」
「ああ……思い出すだけで尊い。数ある伊阪利君絡みのカプの中でも、いざなじはやっぱり王道! いざなじを知らずして伊阪利君を語れない……!」
こいつは、何を言っているんだ。
「でもでもでも! いざきりも、いざぱなも捨てがたいんですよ!」
「それは……紀律とぱなえのことか……?」
「ええ! 紀律さんと伊阪利君だけのインテリな空間というか……。ちょっ! 学年トップクラスの秀才同士が恋に堕ちちゃうのかよ! みたいな」
「……そんな感じに見えるのか?」
「一方のいざぱなは、オタクに優しいギャルっていう王道になりつつある組み合わせ! でも、伊阪利君の真っ直ぐな男らしさによって、ぱなえさんの隠れた乙女心が引き出される……!」
少女の興奮は、もう誰にも止められそうになかった。
「大人っぽいぱなえさんが伊阪利君の前でだけ本気で照れたり、不安そうな顔を見せたり……ああっ、考えただけで尊死するぅ……!」
「…………」
さっきまで俺から逃げようとしていた女と同一人物とは思えない。
「——って、待て!」
俺は手元のキーホルダーへ視線を戻す。
「勝手に俺となじみをグッズ化してるのか!?」
「ご、ごめんなしゃい!」
少女は我に返ったように肩を震わせ、一瞬で小さくなった。
「…………」
「…………」
改めて、手元のアクキーを見る。
俺となじみが仲良さそうに並んでいる。
「いいな……これ、俺も欲しいな。同じの作れるのか?」
「えっ?」
「いや、かなり出来がいいぞ。普通に欲しい」
「お、怒ってないんですか……?」
「なぜ怒る? 可愛いじゃないか」
「…………!」
少女のまんまるな瞳が、さらに大きく見開かれた。
「あの……実は、みなさんのもあるんです」
「まさか、紀律やぱなえのもあるのか……!?」
「沙奏さんと玖詩さん、走琉さんのも……あります」
「ハーレムメンバー全員じゃないか!」
俺が驚くと、少女は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「私……箱推しなんで」
「箱推し……?」
また知らない言葉が出てきた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。教えてくれるか?」
「わ、私は……推鹿って言います」
「推鹿さんか。下の名前も聞いていいか?」
「はぅっ!」
少女の肩が跳ねた。
「お、推鹿華担です……!」
華担は恥ずかしそうに口元を隠し、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「…………」
なんというか……。
見ていると、つい守ってやりたくなるような可愛さだ。
「同じものを作ったら、伊阪利君の机の中に入れておきます」
「なぜだ? 直接渡してくれればいいだろ」
「だ、駄目です!」
華担は両手を突き出し、慌てて俺から距離を取った。
「これ以上、推しと直接関わるのは……私の流儀に反します!」
「流儀……?」
「推しとは、適切な距離を保つことが大切なんです。ただのファンである私が、推しに影響を与えちゃ駄目なんです!」
「そういうものなのか……?」
「そういうものなんです!」
華担は力強く頷いた。
「だから伊阪利君は、今まで通りに過ごしてください。私はこれからも陰ながら、皆さんのことを応援していますから!」
「お、おう……」
「それでは!」
華担はぺこりと頭を下げると、今度こそ逃げるように走り去ってしまった。
「…………」
その小さな背中が、廊下の向こうへ消えていく。
推鹿華担。
「変わった子だな……」




