第31話 ほぼおせっせじゃないか
なじみに追い払われた俺は、ほかのみんなを探してプールサイドを見渡した。
「伊阪利くーん! こっちこっち!」
すると、底抜けに明るい声が飛んでくる。
「走琉か。何してたんだ?」
「ボクね、さっきまで百メートル泳いでた!」
走琉がいたのは、遊泳用ではなく競技用の五十メートルプール。
せっかく大型プール施設に来たというのに、真っ先にここで泳いでいるあたり、さすが走琉だ。
「伊阪利くんも一緒に泳ごうよ!」
「いや、俺は泳ぐの苦手なんだ」
「ええっ!? 走るのも遅いのに?」
「…………」
ぐうの音も出ない。
俺に運動神経を求めないでくれ。
「じゃあさ、二人で滑るウォータースライダーに行こうよ!」
走琉が俺の腕にぎゅっとしがみつく。
「お、おう……」
走琉が着ているのは、いかにも彼女らしい競泳用の水着だった。
他のみんなと比べれば露出は少ないものの、身体にぴったりとフィットしたその姿は、走琉によく似合っている。
それに——。
競泳水着から覗く肌には、普段の陸上ウェアの日焼け跡が残っていた。
「…………」
これはこれで、かなり魅力的だな。
「ねえ、伊阪利くん。さっきからボクのことジロジロ見てるけど……もしかして、この水着変かな?」
走琉が俺の腕から離れると、その場でくるっと一回転する。
「変なわけがあるか! 走琉らしくて、よく似合ってるぞ」
「ほんと!?」
「ああ。それに——」
改めて走琉の水着姿を見る。
「めちゃくちゃ可愛いと思う」
「…………」
走琉がぴたりと動きを止めた。
「走琉?」
「……えへへ、そっか。ボク、可愛いかぁ」
走琉は嬉しそうに頬を緩める。
「伊阪利くん! 早くウォータースライダー行こ!」
「お、おい! 引っ張るなって!」
走琉はすっかり上機嫌になり、再び俺の腕を引っ張った。
「そういえば、紀律は一緒じゃないのか?」
「委員長? さっきまで一緒にいたよ!」
「今は?」
「一緒に泳いでたんだけど、委員長も泳ぐの苦手みたいでさ。疲れたから休憩してくるって!」
「なるほどな……」
まあ、走琉の体力についていくのは大変だからな。
走琉を追いかけ回して、疲れ果てた紀律の姿が目に浮かぶ。
あとで何か差し入れでもしてやろう。
そんなことを考えているうちに、俺は走琉に手を引かれるまま、この施設で一番高いウォータースライダーの列へ並んでいた。
「わはは! 今は伊阪利くんをボクが独り占めだ!」
楽しそうに笑いながら、走琉が俺の腕にぎゅっと抱きつく。
「…………」
ああ……走琉は本当に可愛いな。
一緒にいると、なんだかこっちまで明るい気分になってくる。
そういえば、こうして走琉と二人きりになるのも久しぶりかもしれない。
「走琉、最近陸上はどうだ?」
「悪くないよ! やっぱりボク、走るの好きだから!」
「そうか。また走ってる走琉の姿も見たいな」
「ほんと?」
「ああ。走琉が走ってるところは、見ていて気持ちがいいからな」
走琉が嬉しそうに笑う。
「伊阪利くんは、一緒に走らないの?」
可愛らしく首を傾げてくる。
「俺もか?」
「うん!」
「…………まあ、走琉と一緒ならたまには悪くないな」
「やった!」
そんな話をしているうちに列はどんどん進み、俺たちの番がやってきた。
「お二人は、カップルコースでよろしいでしょうか?」
カップルか……。
走琉とそう呼ばれるのは、なんだか新鮮な気がする。
「ああ。ラブラブカップルコースで頼む」
「…………かしこまりました」
案内係が若干引いている。
そしてスタート地点まで来ると、走琉が前、俺が後ろに座るよう案内された。
「彼氏さん、危ないですから、滑っている間は彼女さんが離れないように、しっかり支えてあげてくださいね」
走琉が俺の前にちょこんと座る。
俺はその身体を支えるように、後ろから腰へ腕を回した。
「ひゃっ……伊阪利くん、くすぐったいよ」
「わ、悪い」
「…………」
いかん。思っていたよりドキドキする。
密着する身体から伝わってくる温もりを嫌でも意識してしまう。
「伊阪利くん、もっとちゃんとぎゅってして」
「お、おう……」
言われるまま、走琉を抱く腕に少しだけ力を込める。
「えへへ……伊阪利くん、あったかい!」
「…………」
ああ……これは想像以上にやばい。
普段から鍛えている走琉の身体はすらりと引き締まっているのに、こうして密着すると、女の子らしい柔らかさがしっかりと伝わってくる。
「伊阪利くん……息荒いよ? もしかして、こういうの苦手だった?」
「だ、大丈夫だ」
ダメだ。
頭の中が走琉でいっぱいになる。
腕の中には水着姿の走琉。
身体はぴったりと密着し、しかも向こうも身体をこちらに預けている。
もうこれは……おせっせだ。
ここまで来たら、もうほとんどおせっせと変わらないじゃないか。
「はい! いいですよ!」
係員の声で、はっと我に返る。
「よし……行くぞ、走琉!」
「うん! 来て!」
俺は走琉を抱き締めたまま、ぐっと身体を前へ押し出した。
ザザアアアアッ!
大量の水を巻き上げながら、俺たちは一気にスライダーを滑り落ちていく。
「わはははは! 楽しいよ、伊阪利くん!」
轟く水音に混じって、走琉の楽しそうな笑い声がスライダーの中に響き渡る。
「おお……思ったより速いな!」
カーブを曲がるたびに身体が大きく振られ、走琉を抱き締める腕にも自然と力が入る。
「伊阪利くーん!」
「なんだ!?」
「ボクのこと……絶対、離さないでよ!」
「ああ、もちろんだ!」
次の瞬間、視界が一気に開けた。
ザッパァァァァァン!
盛大な水飛沫を上げながら、俺たちは着水した。
「ねえ、伊阪利くん」
水から上がった走琉が、濡れた短い青髪をさっと掻き上げる。
「これから先、どんなことがあっても——ちゃんとボクを捕まえていてね!」
「…………」
きらきらと水飛沫が舞う中、無邪気に笑う走琉。
俺は、しばらくその姿から目を離すことができなかった。




