第25話 適任に任せよう
翌日。
「槍田くん、姉唐さんとはあれから何かあった?」
登校して早々、なじみが探るような目を向けてきた。
相変わらず勘が鋭い。
「いや。美少女なのは間違いないんだが……なんというか、俺とは合わない気がしてな」
「ふーん。振られちゃったんだ?」
なじみが、どこか満足げに笑う。
「あははっ、まあそうだよね。姉唐さんほどの美人なら、槍田くんなんて相手にされるわけないよね。ご愁傷様!」
「…………」
そういうわけではないのだが……。
まあ、なじみが妙にご機嫌だから、訂正しなくてもいいか。
そんな話をしていると、突然、背後から妙に艶っぽい声をかけられた。
「伊阪利ちゃん」
「こ、この声は……」
振り返る。
そこには、沙奏が立っていた。
「ふふっ。おはよう、伊阪利ちゃん」
いつもどおりの、大人びた微笑み。
「…………」
昨日、床に座り込んで「うわあああん!」と泣きじゃくっていた女と同一人物とは思えない。
沙奏は俺のすぐそばまで歩いてくると、耳元へそっと顔を寄せた。
「昨日は……すごかったわね、伊阪利ちゃん」
「…………は?」
何がだ?
「あんな強引にされたの、初めてだったから……まだ身体が熱いくらい」
「待て。俺は何も——」
「でも、伊阪利ちゃんも……そろそろ溜まっているんじゃない?」
いったい何がだ。
「私も思い出したら、また我慢できなくなっちゃった……今日も、しちゃおっか?」
「…………」
昨日、あれだけ盛大に本性をさらしたというのに、よくここまで堂々と演じられるな。
「ねえ、槍田くん……」
「…………」
隣から聞こえてきた、やけに落ち着いた声。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
恐る恐る、なじみへ顔を向ける。
「…………」
なじみはにっこりと笑っていた。
しかし、目はまったく笑っていない。
「さっき……姉唐さんとは何もなかったって言ってなかったっけ?」
「待て、なじみ。これには事情が——」
「槍田くんのことだから、何か怪しいとは思ってたけど……」
なじみの笑顔が、みるみる引きつっていく。
「まさか学園で、そんなことまでしてたなんて……ほんっと最低!」
「濡れ衣だ! 誤解だ、なじみ! 俺は姉唐さんとは何も——」
「もう……あんなに情熱的だったのに……なかったことにするの?」
沙奏が寂しそうに目を伏せる。
「おい! いい加減にしろ! これでは、まるで俺が本当に——」
その瞬間、沙奏が俺の腕へむぎゅっと抱きついた。
「…………っ!」
あっ……なんて柔らかさなんだ。
「あ、姉唐さん……?」
「詳しい話は二人きりで……ね?」
沙奏は意味深に微笑むと、そのまま強引に俺を引っ張り始めた。
「お、おい! どこへ連れていく気だ!」
柔らかな感触に気を取られているうちに、そのまま教室の外へ引っ張られていく。
「待ってくれ、なじみ! 俺は無実だぁぁぁ!」
「槍田くんなんて、知らないっ!」
なじみは頬を膨らませ、ぷいっと顔を背けた。
「なじみぃぃぃぃ!」
必死の弁明もむなしく、俺は沙奏によって教室の外へ連行されていった。
そして、連れてこられた場所は——。
「…………」
また、この空き教室か。
沙奏は、ここの管理人でもしているのだろうか。
そう思いながら教室へ足を踏み入れた、その瞬間——。
「ごめんなさい!」
「…………」
沙奏が勢いよく床に膝をつき、見事な土下座を披露した。
「私、ああいう感じでしか男の子に声をかける方法が分からなくて……!」
「いや、普通に話しかけてくれ! おかげで、なじみに完全に誤解されたぞ!」
「本当にごめんなさい……」
額を床につけたまま、しゅんと小さくなる。
土下座をするほど反省するくらいなら、最初からやらなければいいのに。
「…………」
しかし、本当に先ほどまでの沙奏と同一人物なのか?
教室ではあれだけ余裕たっぷりに俺を誘惑していたのに、二人きりになった途端にこれだ。
どうやら、本性を知られた俺の前では、もう『お姉さん』を演じきれないらしい。
「それで、俺に何の用だ?」
「…………」
沙奏は土下座からゆっくりと身体を起こし、その場に正座した。
「あのね……伊阪利ちゃんに、相談したいことがあるの」
「相談?」
「…………私、やっぱり変わりたい」
沙奏の瞳は、真剣だった。
「昨日、伊阪利ちゃんに言われてから、ずっと考えていたの」
「…………」
「周りが思い描く私を演じ続けるんじゃなくて……私、本当の自分でいたい」
沙奏は膝の上で、スカートの生地をぎゅっと握る。
「でも、今さらみんなの前で急に素を見せるなんてできないし……かといって、これまでどおり演じ続けるのも苦しくて」
「…………」
「もう、自分でもどうしたらいいのか分からないの」
沙奏が、恐る恐る俺を見上げる。
「だから……どうしたら本当の自分でいられるようになるのか、一緒に考えてほしい」
先ほどまでの艶っぽい声とは違う。
今の沙奏の声は、ひどく頼りなく震えていた。
「本当の私を知っている伊阪利ちゃんにしか……こんなこと、お願いできないの」
その表情を見れば、本気で悩んでいることは十分に伝わってきた。
力になってやりたい気持ちもある。
だが——俺に何ができるだろうか。
「…………ん?」
ふと教室の入り口へ目を向けると、閉めたはずの扉がほんの少しだけ開いていた。
その隙間から、派手な色のヘアピンがひょこっと覗いている。
「…………」
あの派手なヘアピンは……。
「分かった。そういうことなら、適任がいるぞ」
「適任……?」
俺は高らかに片手を掲げ、パチンと指を鳴らした。
「ぱなえ! 出番だ!」
「ええっ!? バレてる!?」
扉が勢いよく開き、ぱなえが気まずそうに姿を現した。
「い、いつから覗いてるの知ってたの!?」
「ぱなえのことなら、何でも分かるさ」
「いざっち……!」
たまたまヘアピンが見えただけだが。
「ぱなえちゃん……どうしてここに……?」
「ほんっとごめん!」
ぱなえは両手を合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「さっきの教室でのやり取りを見てたら、気になっちゃって……二人のあとをつけてきた」
「…………」
沙奏の顔から、さっと血の気が引いていく。
「じゃあ……今の話……」
「…………聞いちゃった」
「いやあああああっ!」
沙奏は両手で顔を覆い、その場にうずくまった。
「もう無理……生きていけない……伊阪利ちゃんだけならまだしも、ぱなえちゃんにまで……」
「そこまで落ち込まなくても……」
ぱなえは、うずくまった沙奏をまじまじと見つめる。
「なるほどねぇ……爆美女・沙奏さんの正体が、これってわけか」
「言わないでぇ……!」
「さすがぱなえ。話が早くて助かる」
「まあね。アタシも前から、なんとなく違和感はあったし」
「えっ!?」
沙奏が勢いよく顔を上げる。
「き、気づいてたの!?」
「なんとなくだけどね。たまに無理してるように見えたから」
「…………」
沙奏は唇をわなわなと震わせた。
「じゃあ私、このことをネタに脅されて……ぱなえちゃんが連れてきた屈強な男たちに囲まれて……」
「いや、どうしてそうなるの?」
「私が嫌がっても、きっと強引に捕まえられて……逃げられないようにされて……そのまま、あんなことやこんなことまで……!」
「ちょっと待って! アタシのイメージ、悪すぎない!?」
ぱなえが全力で抗議する。
沙奏はこれから訪れる悲惨な未来を想像している——はずなのだが。
「…………」
その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
「……沙奏さん」
「な、何?」
「なんか、ちょっと嬉しそうじゃない?」
「そ、そんな……こと、ないよ?」
沙奏が慌てて両手で口元を隠した。
「…………」
なるほど。
姉唐沙奏。
どうやら俺が思っていた以上に残念な美女らしい。




