第19話 そのくらいわかってるさ
騒ぎを聞きつけたのか、テニスコートから誰かが駆け寄ってくる。
「ちょっと、何の騒ぎ——って、槍田くん!?」
聞き慣れた声に顔を上げた。
「おお、なじみか!」
白いテニスウェアに身を包んだなじみが、驚いた顔でこちらを見ていた。
「なんで槍田くんがここにいるの!? それに、玖詩ちゃんまで……」
「ふっ……甘いな、なじみ。一度帰ったと見せかけて、こっそり見にきたんだ」
「なんで、そんな無駄に手の込んだことしてるの!?」
「ねえ、なじみ!」
玖詩が、俺となじみの間へ割って入る。
「ちょうどいいところに来たわ! この変態、さっきからフェンスに張りついて、なじみのことをジロジロ見てたのよ!」
「えっ!?」
なじみが勢いよく俺を振り返る。
「しかも、なじみのテニスウェア姿を舐め回すように見ながら、『素晴らしい脚だ』とか言ってたのよ!」
「素晴らしいものを、素晴らしいと言って何が悪い!」
「開き直った!?」
「キモッ!」
玖詩が心の底から嫌そうに俺を睨みつける。
「この前、見学したいと言ったとき、なじみは嫌がっただろ?」
「だって……恥ずかしいもん」
「なじみは、こんなに可愛いんだ。なにを恥ずかしがる必要があるんだ」
「そ、そういうことを平然と言わないでよ……!」
なじみは顔を真っ赤にすると、テニスウェアのスカートを両手で押さえた。
玖詩は俺たちを交互に見比べ、信じられないものでも見るように眉をひそめる。
「……なじみ。こんなやつと付き合ってるの?」
「べ、別に付き合ってるわけじゃないけど……」
「だったら、今すぐ関わるのをやめなさい!」
玖詩は俺をびしっと指さし、なじみに詰め寄った。
「こんな変態と一緒にいたら、なじみまで周りから変な目で見られるわよ!」
「そうかもしれない。でもね、玖詩ちゃん」
なじみは困ったように笑った。
「槍田くん、こう見えて結構いいところもあるんだよ?」
「…………は?」
玖詩の表情が固まった。
「どこに!? こんなスケベで、変態で、頭の中がおせっせでいっぱいの男のどこがいいっていうのよ!」
「そこまで言わなくても……」
「事実でしょ!」
玖詩は俺を指差す。
「女子の身体をいやらしくジロジロ見て、誰彼構わずハーレムに入れようとして! 節操なしにもほどがあるわ!」
「誰彼構わずではない。俺は好きになった人しか——」
「黙りなさい、この発情害虫!」
「発情害虫……!」
なかなかの言われようだ。
「なじみも目を覚ましなさいよ。こいつなんて、女なら誰でもいいだけなんだから」
「……玖詩ちゃん」
「どうせ、なじみのことだって、可愛いとか言っておけば、そのうちおせっせできる——その程度にしか思ってないわよ」
「そんなことないよ」
なじみの表情から、すっと笑みが消えた。
「槍田くんは、そんな人じゃない」
「騙されてるのよ、なじみは」
「…………」
「なじみは人を疑わないし、誰にでも優しいから……少し優しくされただけで、すぐ相手を信じちゃうのよ」
玖詩は、なじみの両肩を強く掴んだ。
「そういうチョロいところ、いい加減直した方がいいわよ!」
「チョロいって……」
「そうよ! こんなやつに、ちょっと優しくされただけで本気になって……みっともない!」
「照華さん、それ以上は——」
「もう……いい」
なじみの小さな声が、俺の言葉を遮った。
「そんなふうに私のことを思ってたなんて……ひどいよ」
「な、なじみ……?」
なじみの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「確かに槍田くんは、スケベで、変態で、女の子が大好きだよ」
「……おい」
「だけど、私たち一人ひとりとちゃんと向き合って、大切にしようとしてくれてることは伝わってくる」
なじみは両手を強く握りしめ、玖詩をまっすぐ見つめた。
「よく知りもしない人に、ひどいことばかり言う玖詩ちゃんより……槍田くんの方が、よっぽどまともだよ」
「…………っ」
玖詩の顔が歪み、何かを言い返そうとした唇がかすかに震える。
「槍田くんに謝って」
「…………」
「謝ってくれないなら、私……玖詩ちゃんのこと、嫌いになっちゃうから」
玖詩の顔からさっと血の気が引いた。
先ほどまでの強気な態度が崩れ、怯えたように視線を泳がせる。
けれど——。
「こ、こんな変態に謝るわけないでしょ!」
「玖詩ちゃんっ!」
「そんなことも分かんないなじみなんて……っ」
玖詩は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「私の方から願い下げよ!」
玖詩は俺をものすごい形相で睨みつけると、そのまま走り去っていった。
「おい、照華さん!」
呼び止めても、振り返らない。
玖詩の姿が見えなくなると、なじみはその場にしゃがみ込んだ。
「……ごめんね、槍田くん」
その頬には、一筋の涙が伝っていた。
「玖詩ちゃんと……喧嘩しちゃった」
「なじみ……」
「ああいう言い方しかできない子だって、分かってたのに。私も、我慢できなくて……」
「なじみが謝ることじゃない」
俺はポケットからハンカチを取り出し、なじみへ差し出した。
「ありがとうな。俺のために怒ってくれて」
「…………」
なじみはハンカチを受け取ると、目元をそっと拭った。
「でも……玖詩ちゃん、本当は悪い子じゃないの」
「ああ、分かっている」
「え?」
俺は、玖詩が走り去った方へ視線を向けた。
なじみから嫌いになると言われた途端、玖詩は明らかに動揺していた。
本当は謝りたかったはずだ。
それでも素直になれず、さらにひどい言葉をぶつけて逃げてしまった。
きっとどうしようもなく、不器用な女の子なのだ。
「大丈夫だ、なじみ」
「槍田くん……?」
「あとは俺に任せろ」
◇◇◇◇◇
俺は玖詩を探しに学園内を歩き回った。
「どこにいるんだー? 照華さん!」
教室にもいない。
テニスコートにも戻っていなかった。
なじみに確認してもらったところ、テニス部の部室には玖詩の鞄が残っているらしい。
まだ学園内にいるはずだ。
「……大丈夫だろうか」
玖詩はきっと、どこかで泣いている。
そんな気がした。
しばらく探していると、校舎裏から小さな声が聞こえてきた。
「……っ……うぅ……」
誰かのすすり泣く声。
足音を立てないように近づき、そっと校舎の陰を覗き込む。
「…………」
そこには、玖詩がいた。
壁際にしゃがみ込み、両膝に顔を埋めている。
「なじみ……っ。なじみぃ……」
肩を震わせながら、何度も鼻をすすっていた。
「嫌われた……なじみに、絶対嫌われたぁ……」
朝、俺を蹴り飛ばした女の子と同一人物とは思えない。
「……っ、すぐに謝ればよかった……」
玖詩が、ゆっくりと顔を上げる。
目元は真っ赤だった。
「なんで……私、あんなこと言っちゃったのよぉ……」
大粒の涙が、ぽろぽろと頬を伝っていく。
「どうしていつも……私って、こうなの……?」
「…………」
やはり、玖詩はなじみが嫌いであんなことを言ったわけではない。
むしろ逆なんだ。
なじみのことが大切だからこそ、俺と関わることで傷ついてほしくなかった。
なじみを守りたかった。
ただ、その気持ちを伝えることが、どうしようもなく下手なのだ。
俺は物陰から出ると、玖詩のもとへ歩いていった。
足音に気づいたのか、玖詩がぴくりと肩を震わせる。
「……なじみ?」
期待するように、ぱっと顔を上げた。
一瞬だけ、その表情が明るくなる。
しかし——。
「…………」
「…………」
俺と目が合った。
玖詩の表情が固まる。
次の瞬間、その顔が羞恥と怒りで、みるみる歪んでいった。
「なんでアンタがここに来るのよぉぉぉっ!」
「ぐはあっ!?」
立ち上がるなり放たれた玖詩の跳び蹴りが、俺の腹へ見事に突き刺さった。




