第5章:選別者訓練キャンプ! 地獄の特訓とスパイの秘密共有
いつもお読みいただきありがとうございます!
第5章は、元・社畜営業マン佐藤の「地獄の訓練キャンプ編」です。
運動神経ゼロの彼が、過酷な特訓を「社畜根性」と「現場の配線知識」だけで泥臭く生き残ろうと奮闘します。
冷酷な鬼教官・如月とのビミョーに噛み合わないやり取りと共にお楽しみください!
「――お゛……おろろろっ……!? 吐く……! 胃液どころか、昨日の夕飯の記憶まで吐き戻しそうだ……ッ!」
「まだ走行開始から300メートルしか経過していません。フォームが乱れています。呼吸を整え、足を交互に出し続けてください」
重厚なコンクリートの地下天井から照射される、白々しく不快な人工日光の下。俺は膝に両手を突き、アスファルトの上へだらだらと唾液と汗を撒き散らしながら、激しく肩を上下させていた。
ここは地下第5階層『選別者訓練キャンプ』。
見渡す限りの広大な全天候型トレーニングエリアには、視覚的な圧迫感しか存在しない。
周囲を見渡せば、黒の強化タクティカルウェアに身を包んだ屈強な男たちが、丸太のような太ももを躍動させて全力疾走している。大型トラックの極太タイヤをチェーンで腰に繋ぎ、叫び声を上げながら砂煙を巻き上げて引きずっていく男。丸太のような腕で懸垂を100回以上軽々とこなす男。全員が元特殊部隊だの、海外の民間軍事会社帰りだの、凶悪な重犯罪者だの、いかにも物物しい経歴を持っていそうな猛者ばかりだ。
そんな殺戮兵器の養成所みたいな空間に、つい先日までデスクワークと現場回りでなまりきっていた30代半ばの元・営業マンが1人。
結果など、試すまでもなく目に見えている。開始わずか10分で完全な瀕死状態だ。
「無理無理無理!! なんで俺がミリタリー映画の新人入隊シーンみたいな惨めな目に遭わなきゃならんのだ! 最初の腕立て伏せ5回で両肩の関節が『ミシッ』って嫌な音を立てたんだぞ!?」
俺の後ろを、足音ひとつ立てずに並走していた如月が、胸元の電子バインダーに視線を落としたまま、氷のように淡々と言い放つ。
「データ上、あなたの心拍数は178に達し、呼吸数は毎分45回を記録しています。ですが、まだ心停止および意識喪失には至っていません。規定のウォーミングアップまで、あと20周です」
「20周!? この1周1キロ以上ある巨大運動場をか!? 殺す気かドS公務員!! 300メートルで膝が笑い転げてる人間に20キロ走れとか、物理計算がイカれてんだろ!!」
「当施設における訓練中の死亡率は、上層部が規定した許容死亡率(0.02%)以内に厳格に収められています。どうぞご安心ください」
「安心できる要素が1ミリもねえよ!! 0.02%の中に真っ先に放り込まれるのが俺なんだよ!!」
「無駄口を叩く余力があるなら、歩幅をあと5センチ広げてください。遅延1秒につき、次の障害物走の負荷が5%加算されます」
「どんなブラック企業のノルマ加算方式だバカヤロー!!」
だが、鬼教官・如月のスパルタ指導は、地獄の千本ノック(ランニング)程度で終わるはずもなかった。
続いて俺が叩き込まれたのは、実物そっくりの重量を持つ疑似小銃を背負わされての障害物走、そして高圧電流が張り巡らされた泥沼コースの突破訓練だった。
「ひいいっ!? 撃つな! 赤いレーザーサイトを俺の尻に合わせるな!!」
『パンパンパンッ!』と乾いた訓練弾の射撃音が響く中、他の屈強な候補生たちは圧倒的な筋力と俊敏さで障害物を跳び越え、泥の中を匍匐前進で滑るように進んでいく。
一方の俺はといえば、ドロドロの泥水に顔面から突っ込み、足をとられて転倒し、背後から迫る自動追尾ドローンの電撃トラップを喰らって「ぎゃあぁぁぁっ!?」と悲鳴を上げながら髪の毛を逆立たせいていた。
「もうダメだ……俺の精神的ライフは完全にゼロだ……ここで野垂れ死んでやる……ヤマダさん……俺はもう限界です……」
泥と汗でドロドロになり、水たまりの中で大の字に倒れ込む俺。
その顔のすぐ横に、泥汚れひとつない如月の黒いタクティカルブーツが、スッと佇んだ。
「……意外ですね」
如月は電子バインダーを小脇に抱え、ガラス玉のような無感情な瞳で俺を見下ろしながら、微かに首を傾げた。
「何がだ……惨めな社畜の無ざまな死に様を嘲笑いに来たのか……?」
「いいえ。客観的な測定データにおいて、あなたの基礎体力、持久力、および筋力は、当キャンプに収容された歴代候補生の中でダントツの最下位を記録しています。通常の人間であれば、最初の30分で神経系が悲鳴を上げ、ショック症状を起こして棄権を申し出る数値です。……なぜ、あなたはまだ立ち上がろうとするのですか?」
「……ハッ……舐めるなよ……」
俺は口の中に溜まった泥水をペッと吐き出し、プルプルと生まれたての小鹿のように震える膝を必死で押さえながら、泥まみれになりながらも泥臭く立ち上がった。
「現場での……突然の理不尽な仕様変更……! 納品前日の深夜3時に舞い込む『やっぱりここ変更で』という悪魔の電話……! 営業と工事現場の職人たちの板挟みで胃を激痛で痛めつけられながら耐え抜いた……俺の『社畜メンタル』を舐めるな……!」
俺は胸を張り(背中は曲がったままだが)、如月に向かって泥だらけの指を突きつけた。
「体力が尽きてからが……本当の残業時間の始まりなんだよ!! 理不尽な状況に耐えることだけに異常発達したこの社畜の根性……命がある限り、投げ出してたまるかよ……!!」
「……『理不尽への過剰適応』。既存の評価項目には存在しないパラメーターですが、精神的耐久力において異常な数値が観測されました」
如月は電子端末の画面に淡々と書き込みを行うと、一切の感情を読ませない瞳で、じっと俺の泥だらけの顔を見つめた。
「素晴らしい耐久性です。では、その社畜メンタルの限界値を測定するため、次は休憩なしで『高精度ハッキング・回路解読座学』と『実戦近接格闘実技』の二本立てに移ります。移動時間は90秒です」
「休憩なし!? 90秒って移動するだけで終わるだろ!! 労働基準法どころか基本的人権はどこに行った!!」
「当施設において、人権および労働基準法は未実装の概念となっております。遅れると電撃ペナルティが実行されます。急いでください」
「実装しとけよそんな大事なもん!!」
無慈悲な鬼教官・如月のスパルタ指導のもと、俺の地獄の特訓生活は、夜が更けても止まることなく続いていった。
座学のハッキング訓練では、難解なセキュリティコードの羅列に頭を抱えつつも、かつて電気工事の現場で叩き込まれた「配線回路図を読む直感」を応用して、泥臭くアクセスルートを組み立てていく。
格闘訓練では如月に何度も綺麗に投げ飛ばされ、床に叩きつけられながらも、「明日も現場に行かなきゃならない」という社畜特有の執念だけで泥臭く立ち上がり続けた。
ボロボロになりながらも食らいつく俺と、それを冷徹な指導で叩き伸ばしながらも、どこか測りかねるような冷ややかな視線を送り続ける如月。
失われたヤマダさんの存在を取り戻し、このイカれた地下秘密施設から生きて這い上がるため、俺の不格好で泥臭い抗いが始まっていた。
――だが、この時の俺たちはまだ知らなかった。
この地下深く閉ざされた選別者訓練キャンプに、間もなく施設全体を揺るがす「最悪の襲撃者」が殴り込んでくることを――。
「本日のカリキュラム後半は、当庁がデバッガー用に支給する『干渉端末』の運用およびシステム干渉実習です」
泥と電撃と汗にまみれた地獄の実技訓練を終え、瀕死の体で引きずり込まれたのは、地下第5階層の一角にある無機質なPCルームだった。窓のない灰色の壁に、ずらりと並んだスチール製のデスク。
講師席に立つ如月は、黒いジャケットの袖口を整えると、候補生たちのデスクの上に重厚なケースをババインと提示した。中に入っていたのは、軍用規格を思わせるゴツゴツとした耐衝撃ケースに収められた、漆黒のスマートフォン型端末だった。
電源を入れると、液晶画面には複雑な緑色のシステムログと、街のインフラや電子オブジェクトへ直接干渉するための専用コマンドラインが高速で流れていく。
「この端末を通じ、あなた方には『デバッガー限定権限』の末端アクセスコードが一時的に割り当てられます。目の前の大型アクリル越しに見える『模擬市街地エリア』に設置された電子錠の解除、監視カメラのジャミング、および警備ドローンの制御乗っ取りを、規定時間内に速やかに実行してください」
如月の合図とともに、室内の大型アクリル窓の向こう側――ミニチュアサイズのビルや街頭、電子ゲートが設置された模擬エリアに、赤い警告灯が点滅し始めた。
「ハッ、こんなものただの基本構文の打ち込みだ」
「ルートAのプロトコルをバイパスして、認証サーバにハッシュ値を送り込めば一発だな」
周りに座る屈強な候補生たち――元・海外PMCのサイバー兵や、裏社会のハッカー出身だという男たちは、余裕の笑みを浮かべながら指先を滑らかなスピードで動かし始めた。端末のキーボードを「カタカタカタッ、ターン!」とリズム良く叩き、マニュアル通りの完璧でスマートな最短コードを打ち込んでいく。
『アクセス承認。電子ゲート解除』
『監視システム、正常にダミー映像へ書き換え完了』
アクリル窓の向こうで、電子錠が次々と鮮やかなグリーンに点灯し、スマートにタスクをこなしていくエリートたち。
一方、その端の席で、俺は額から滝のような冷や汗を流しながら、画面に表示された意味不明な英数字の羅列に頭を抱えていた。
「読める……いや読めねえ! なんだこの『SYS_AUTH_OVERRIDE_v4』って!? C言語だかJavaだか知らんが、プログラミングなんて『Hello World』で挫折した営業マンに解けるかバカヤロー!!」
「佐藤さん。実習開始から3分が経過していますが、未だに1つ目の電子錠すら解除できていません。キー入力の速度が著しく遅延しています」
いつの間にか背後にスッと立ち、無表情で電子バインダーを見下ろす如月。その冷ややかな声が俺の首筋に突き刺さる。
「待て待て! 焦らせるな!! 正攻法でセキュリティのメインゲート(正規の認証サーバ)を正面から突破しようとするから、こんな長ったらしいパスワードやら暗号化キー打ち込みが必要になるんだろ!? 現場じゃこんな面倒な手順踏んでたら、工期が遅れて元請けから怒鳴られるんだよ!!」
俺は必死で端末の画面をピンチアウトし、模擬市街地エリアのシステム全体を網羅する『ネットワークインフラ構成図』の画面を開いた。
その青いトポロジー図を見た瞬間、俺の脳内に電撃が走った。
「……待てよ? この構成図のレイアウト……システム図だと思って見るから難しいんだ。これ、俺がいつも現場で見てる『ビル全体の電気設備配管図』と構造がまったく同じじゃないか……!?」
長年の現場回りと現場監督との打ち合わせで叩き込まれた、元・電気設備営業の泥臭い経験値が、脳内でパチッと火花を散らして接続された。
「見ろよこの回路構成! この監視カメラの電源ラインと、非常用照明の予備電力配線、壁の中の同じPF管(配線保護管)を通って敷設されてるだろ! メインのセキュリティコードを律儀に解読しなくても、こっちの予備電力側のポートに『過電流デバッグコマンド』を直接叩き込んでやれば……!」
「佐藤さん、何を――」
如月が制止の声を上げるより早く、俺は端末の画面を現場叩き上げの力任せな指つきでバババッ!とタップした。
プログラミングの正規構文など無視。電気工事の現場で「あ、やべっ、配線間違えてブレーカー飛んじゃった!」という時の、あの泥臭い過剰電流バイパス手順を、無理やりシステムコードに変換して叩き込んだのだ!
その瞬間だった。
『ババババババババッ!!』
「「「うおああぁぁぁっ!?」」」
アクリル窓の向こうの模擬市街地エリアで、激しい青白い放電現象(アーク放電)が巻き起こった!
メインゲートの電子錠どころか、街頭、監視カメラ、さらには天井から待機していた10台の訓練用大型ドローンが一斉に「パチパチパチッ!!」と狂ったようにスパークを起こしたのだ!
『警告! 系統B3にて突発的な過電流を検知!』
『システム全域で短絡が発生! 制御不能!』
「ギャアーッ!? ドローンが暴走してアクリル窓を突き破りそうになってるぞ!?」
「何だこのイカれたアクセス手法は! メインプロトコルを完全にスルーして、物理配線の仮想信号を焼き切りやがった!」
スマートにハッキングを進めていたエリート候補生たちが、悲鳴を上げて椅子ごとひっくり返り、頭を抱えて逃げ惑う。
制御を失った訓練ドローンは、黒煙を吹きながら壁や天井に次々と激爆突し、「ドカーン! バチバチッ!」と派手な爆破音と火花を散らして分解していった。
シューッ……という音とともに、スプリンクラーの消火ガスと焦げ臭い黒煙がPCルーム内に充満していく。
俺は真っ黒に焦げた端末を握りしめたまま、煙の中でゲホゲホと激しく咳き込んだ。
「ゲホッ! ゴホッ! あ……あれ……? おかしいな……ちょっと電流値の計算を間違えて、配電盤ごとショートさせちゃった……?」
周りの屈強な候補生たちが、顔を黒く焦がしながら「アイツを今すぐつまみ出せ! 破壊工作員か!!」と怒号を飛ばしてくる。
そんな大混乱の室内で、如月だけは一切動じることなく、パチパチと余韻の火花が散る俺の端末と、黒焦げになった模擬市街地エリアを、ガラス玉のような無感情な瞳でじっと見つめていた。
「……マニュアルおよび標準仕様書を完全に無視した、極めて不作法で強引な権限行使です。本来のデバッグ手順およびセキュリティ規範から大きく逸脱しています」
「す、すみません……つい現場の突貫工事のノリで『繋がれば勝ち』と思ってショートカットしようとして……」
俺が縮こまって端末を差し出すと、如月は電子バインダーにササッと何かを記録し、冷ややかな視線を俺に向けた。
「ですが、既存の防御AIやセキュリティプロトコルが一切想定していない『物理・仮想の境界を無視した泥臭いバイパス構築』という意味においては、極めて高い障害突破能力が認められます。……安全管理規律違反で減点50点、異常事態解決の応用力として加点50点。相殺して差し引きゼロとします」
「厳しいんだか甘いんだかサッパリ分からん評価!!」
「なお、破壊された訓練用ドローン10台および模擬市街地の修繕費用(概算850万円)につきましては、今後の追加訓練および夜間奉仕作業(残業)にて、お体で支払っていただきます」
「やっぱり超絶ブラック公務員じゃねえか!! 労基署を呼べ!!」
ハッキングの専門知識など皆無だった元・営業マンの俺が、現場叩き上げの泥臭い直感と配線知識だけで「デバッガー権限」という牙を使いこなし始める。
それは、これから訪れる巨大な国家の混沌と暴走の中で、俺という一人の社畜が生き残るための、唯一無二の歪な武器となろうとしていた――。
全身の筋肉が激痛の悲鳴を上げ、全身シップまみれの状態で、俺は跳ね起きるように目を覚ました。
深夜2時15分。地下第5階層、男子収容棟の無機質なパイプベッドの上だ。
昼間の過酷な地獄の特訓と、ドローン10台を粉砕したペナルティの夜間清掃作業によって、全身の水分とエネルギーは完全に枯渇していた。支給された合成プロテインバーのような、味も素っ気もない粘土質の栄養食だけでは、到底30代半ばの社畜の胃袋は満たされない。
「……耐えられん。深夜残業の唯一の救いといえば、深夜のカップ麺って相場が決まってんだよ……」
俺はベッドから這い出ると、足音を殺して廊下へ出た。
昼間のハッキング実習で脳内に叩き込んだ「監視カメラの死角ルート」と、現場仕込みのバイパスコードを端末に入力し、廊下のセンサーを一時的に誤作動させながら前進する。狙うは、訓練エリアの裏手にひっそりと存在する「備品・糧食保管庫」だ。
「よし……アクセス成功。現場の電気室の解錠より簡単だな……」
電子錠のインジケーターが静かに緑色に点灯し、重厚な防音スチール扉が『シューッ』と音を立てて隙間を作った。
滑り込むように中へ入ると、室内はひんやりとした冷気と、ダンボールの匂いに包まれていた。スマートフォンの画面の明かりだけを頼りに棚の奥をガサゴソと漁ると――あった。備蓄用のダンボールの陰に、ホコリを被っていた『極太液体ソース・大盛カップ焼きそば』のパッケージを発見した!
「あった……! 命の源泉……漆黒のソース味……ッ!」
保管庫の隅にあった非常用給湯サーバーから熱湯を注ぎ、3分間待つ。
蓋の上で液体ソースの袋を温めながら、かやくのキャベツの香りが漂ってくるだけで涙が出そうだ。指先に全神経を集中させ、シンクで慎重に湯切りを行う。ジャーッと白煙とともに湯気が立ち上り、お湯を捨て切ったその時だった。
「――深夜の無許可立ち入り、および備品の私的占有。重大な規律違反行為です」
「ぶふっ!?」
背後の暗闇から突如として響いた、一切の抑揚がない機械的な声。
俺は危うく湯切り直後のカップ焼きそばを床にぶちまけそうになり、悲鳴を噛み殺しながらその場で跳び上がった。
振り返ると、暗がりの中からスッと姿を現したのは、黒いジャケットを脱ぎ、白いシャツ姿の如月だった。
彼女は手に小型の電子バインダーを握り締め、壁の配管の陰にある隠されたセキュリティパネルへ、まるで精密機械のピストン運動のように無駄のない、恐ろしい速度で謎のシステムコードを入力している最中だった。
「き、如月教官!? な、なんでこんな時間にこんなところに……!? ていうか見逃してください! 腹が減って死にそうなんです!」
俺が必死にカップ焼きそばを背中に隠して庇うと、如月はパネルから端末を引き抜き、いつものガラス玉のような無感情な瞳で俺を見つめた。
「……あなたの行動は、規定のスケジュールおよび評価対象から大きく逸脱した違反行為です。ただちに自室へ戻り、8時間の睡眠および代謝回復を行うことを推奨します」
「いやいやいや! あんたこそ夜中に何してんだよ? その端末……上層部の管理システムだろ? なんで夜中にこんな地下の物置で、コソコソ配線パネル弄ってんだ?」
如月は一切の感情を顔に出すことなく、氷のように淡々と言い放つ。
「私のタスク内容および行動目的を、候補生であるあなたに開示する義務はありません。私の行動に関するすべての質問を拒否します」
ガラス玉のような瞳。完璧な無表情。
だが、深夜の薄暗い糧食庫という密室、そして上層部の目を盗むように隠蔽パネルを操作していた状況。
その頑なな態度を見た俺の脳内に、社畜特有の「長年の社会人経験から来る勝手な推測(妄想)」が駆け巡った。
(待てよ……? こいつ、昼間のハッキング実習でも俺の無茶苦茶なバイパス接続を減点だけに留めてたな……。それに、夜中に上層部の目を盗んでこんな地下の暗がりで何かの極秘データを操作してる……)
俺はゴクリと唾を飲み込み、周囲を警戒するように声を潜めて如月に顔を近づけた。
「……お前、さては上層部に隠れて『何か』探ってんな? 上のイカれた連中に内緒で、一人でコソコソ内部告発の準備でもしてんだろ」
「……意味が提示できません。私は与えられた処理を実行しているだけです」
如月は眉ひとつ動かさずに返すが、俺の中でストーリーはすでに勝手に完璧な形で完結していた。
冷酷で感情のないロボット公務員に見えて、こいつはこいつで、この巨大な国家組織の理不尽な命令にたった一人で抵抗している孤独なスパイ(内部告発者)なんだ、と。
「ハッ……隠さなくてもいいって。俺が昔いた営業会社にもいたんだよ。ワンマン社長のイカれた無茶振りに完璧に従うフリしながら、裏でこっそりサービス残業とパワーハラスメントの証拠ログを集めてた優秀な先輩がさ」
俺はふっと自虐的な笑みを漏らすと、熱々のカップ焼きそばのフタを思い切り剥がした。
一瞬にして、濃厚な液体ソースのスパイシーな香りが、ひんやりとした糧食庫の空気中に広がっていく。
「一人で抱え込んで上の連中と戦うなよ。腹が減ってちゃ、いい裏工作のアイデアも浮かばねえぞ」
俺はプラスチックのフォークを『パチン』と二つに割ると、焼きそばの半分を剥がしたフタの上へ豪快に取り分け、如月に向かってぐいっと押し付けた。
「食えよ。ヤバい現場の秘密を見ちゃったんだ、今日から俺たちは『現場の共犯者』ってことで手を打とうぜ。その代わり、俺の深夜のカップ麺くらい黙認してくれ」
如月は差し出されたフタと、俺の顔を交互に見つめた。
その瞳には、人間らしい困惑や感謝といった感情の波など一切なく、ただ膨大な演算処理を行っているかのようにどこまでも静寂だった。
「……候補生・佐藤との感情的摩擦を回避し、今後の訓練における指導効率を最大化するための補填措置として、この有機栄養素を受け入れます」
「言い方が相変わらず硬えよ! 素直に『いただきます』って言え!」
如月は一切の表情を変えず、機械のような滑らかな手つきでフォークを手に取ると、無感情に焼きそばを口へと運んだ。
(ふん……冷酷なサイボーグ公務員を気取ってるけど、やっぱりこいつも一人で上の理不尽に耐えかねて戦ってんだな。よし、俺と如月は今日から裏の『共犯者』だ)
勝手に一人で熱い絆(?)を感じ、焼きそばを豪快にすする佐藤。
一方の如月は、心に感情の芽生えなど一微塵もなく、ただ淡々とAIの指示(※後の章で判明するレジスタンス引き込み用トラップ)の最終チェックを完了させ、目の前に提示されたカロリーを栄養素として処理しているだけだった。
すれ違ったままの二人の思惑。
地下施設の深い静寂の中、間もなく訪れる『第6章での最悪の襲撃』に向けた静かなカウントダウンだけが、人知れず刻まれていた――。
「――以上をもちまして、『選別者訓練キャンプ』における基礎・応用全カリキュラムを終了とします」
地下第5階層、無機質な灰色のコンクリート壁に囲まれた地下講堂。
スピーカーから響く如月の冷ややかで抑揚のない声が収束すると同時に、室内に重苦しい沈黙と、生き残った者たちの荒い息遣いだけが残された。
初日に数百人近くいた候補生たちの姿は、そこにはない。
過酷を極めた体力錬成で倒れ、電撃トラップの障害物走で後送され、格闘実技で骨を折られて脱落していった者たち。残されたのは、わずか数十名程度。
そのほとんどが、元・海外PMCの傭兵や裏社会の暗殺者といった、見るからに修羅場を潜り抜けてきた屈強な怪物たちばかりだ。
その中に、膝をガクガクと震わせ、全身シップの激臭を漂わせた30代半ばの男がポツンと一人。
汗と泥でヨレヨレになった黒い訓練ウェアを着た、元・電気設備営業の俺、佐藤だ。
「……はぁ……はぁ……生き……残った……マジで生き残っちまったぞ……」
初日の最初の10分で「瀕死」になり、配線知識の力任せなバイパス接続でドローンを爆破させて弁償代850万円を背負わされた俺が、なんと奇跡的に脱落ラインをすり抜けて最終日まで辿り着いてしまった。
壇上に立つ如月は、黒いジャケットの袖口を整えると、電子バインダーのホログラム画面を見下ろしながら淡々と告げた。
「佐藤さん。あなたの全訓練項目の総合成績は、残存候補生の中で下から2番目です。運動能力、戦闘技術、規律遵守のいずれにおいても最低水準と言わざるを得ません。ですが……脱落条件の規定値には達していません」
「下から2番目でも、生き残りは生き残りだバカヤロー……! ヤマダさんを取り戻すまでは、どんな泥水すすってでも死んでたまるかよ……」
俺は痛む腰を強引に叩き伸ばし、荒い息を整えながらニヤリと力なく笑ってみせた。
カリキュラム終了の解散後。照明が落とされ、薄暗くなった地下5階の共有ロビー。
周囲の屈強な候補生たちは、明日の朝に控えた「最終選別(実戦配属)」に向けて、殺伐とした空気の中で静かにナイフや火器のメンテナンスを行っていた。
俺はロビーの隅にある自動販売機に硬貨を放り込み、ガコンと音を立てて落ちてきた缶コーヒーを取り出した。
アルミ缶の痛いほどの冷たさが、疲労で熱を持った手のひらに心地よい。
プルタブを押し開け、苦いブラックの液体を喉に流し込んでいると、背後から足音もなく気配が近づいてきた。
「明日の朝0600より、地下第1階層の統括室にて最終段階である『適性配属面談』を行います。1秒の遅刻も認められません」
「分かってるよ。……なあ、教官」
俺は缶コーヒーを手に持ったまま振り返り、少し斜め後ろに立つ如月に視線を向けた。
無機質なスチールデスクの横に立つ彼女は、相変わらず髪一筋の乱れもなく、完璧な姿勢で佇んでいる。
「昨日の夜の話……覚えてるか?」
昨夜、糧食庫の暗がりで半分こにして食べたカップ焼きそばの味。
如月はガラス玉のような無感情な瞳で、静かに俺を見つめ返してくる。その表情には、人間らしい照れや戸惑いといった揺らぎなど一微塵も存在しない。
「昨夜の事象につきましては、データベース上で『不慮の食品共有による候補生との摩擦回避処理』として正常にログ保存されています」
「相変わらず固くて可愛げのない言い回しだなあ……。まあいいや。俺はさ、お前が一人で上の理不尽と戦ってんの、本気で応援する気になったよ。お互い無事に生き残って、このイカれた地下から脱出しような、『共犯者』さん」
俺が缶コーヒーを軽く掲げてニッと笑ってみせると、如月はミリ単位の狂いもなく無感情に、静かに小さく頭を下げた。
「……あなたの明日の面談における生存確率は現在、31.4%と試算されています。無駄な言語コミュニケーションを控え、直ちに自室へ戻り代謝の回復に充てることを強く推奨します」
そう告げると、如月は寸分の乱れもない足取りで、暗がりの中へと静かに去っていった。
(ふん……相変わらず冷たい態度を取りつつも、わざわざ具体的な生存確率を出して注意喚起してくれるあたり……やっぱり不器用な奴だな)
立ち去る背中を見送りながら、勝手に一人で「冷酷なスパイ教官との熱い絆」を感じて自己満足する俺。
だが、そのガラス玉のような瞳の奥で彼女が何を思考し、何を画策しているのか――その真意を知る術は、今の俺には一切なかった。
「……さてと。明日も激務(配属面談)だし、さっさと寝るか……」
自分の無機質なパイプベッドに戻り、泥のように重い瞼を閉じる俺。
地下訓練キャンプは静寂に包まれ、不気味なほどの「偽りの平穏」が漂っていた。
だが――その静寂の裏で、運命の歯車はすでに牙を剥き始めていた。
施設の外郭、地上と地下を繋ぐ巨大な給排気坑の漆黒の闇の中。
ダクトの壁面に金属製の鉤爪が食い込む静かな音が、幾重にも重なって響く。
無機質な暗視スコープの青緑色の光が、闇の中で無数に揺らめいていた。
『――地下第5階層、外郭エリアのセンサーにわずかなノイズを確認。侵入ルートを確保』
耳元のインカムから届く部下からの静かな報告を受け、闇の中でしなやかに身を起こす一人の影があった。
引き締まった体に漆黒のタクティカルギアを纏い、バイザーの隙間から覗く口元には、強い意志と決して揺らぐことのない決意が宿っている。
『……よし。これより作戦を開始するわ』
彼女は透き通るような、けれどどこか寂しげな声で低く呟くと、背後に控える精鋭たちへ静かに視線を送った。
『誰も死なせたくない。全機、私に続いて』
闇の中で静かに、けれど力強く響く、凛とした少女の声。
重装備に身を包んだ反政府レジスタンスの群れが、静かに、だが確実に地下施設へと雪崩れ込んでいく。
「選別者訓練」の偽りの平穏は崩れ去り、地下第5階層は一瞬にして、運命が交錯する惨劇の戦場へと変貌を遂げようとしていた――。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ドローンを爆破して850万の借金を背負いつつも、持ち前の社畜メンタルでなんとか生き残った佐藤。
如月を「裏の共犯者」と勝手に信じ切っていますが、二人のすれ違いはどこへ向かうのか……。
そしてラストでついに動き出した謎の襲撃者たち。
次回の第6章、訓練キャンプが一瞬で戦場と化す波乱の展開をお楽しみに!




