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境界観測《リミナル・サイト》-その線の先で、私は死んでいる-  作者: Rasky
第2章 都市ラグナス

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47話 闇に蠢く影

 

「──以上が、ヒューマン領の旧地下水道に設けていた実験拠点における報告となります」


 重苦しい静寂が支配する大広間に、一枚の仮面を被った男──ベルネスの声が擦れるように響いた。


 ここは、選ばれた幹部しか足を踏み入れることを許されない最深部。黒鉄で縁取られた重厚な扉の向こうに広がる巨大な会議室には、円卓を囲むようにして七つの席が用意されている。


 天井は高く、壁沿いに配置された魔石の灯りが淡く揺れ、集まった幹部たちの影を不気味に引き延ばしていた。


 ベルネルの正面、円卓の上座に腰を下ろしているのは、黒髪七三分けの細身で高身長の男──ザグレウスだった。三十代半ばほどの落ち着いた雰囲気を漂わせ、上質な仕立ての服を着こなしているが、その眼鏡の奥にある瞳には一滴の温度もない。


「ふむ……」


 ザグレウスは細い指先で顎をなでながら、低く穏やかな声を漏らした。


「つまり、管理と防衛を任せていた拠点に何者かが侵入し、捕縛していた実験体の魔族を一匹逃がした……そういうことかね、ベルネス?」


「は……! 申し訳ございません、ザグレウス様!」


 ベルネスは膝をつき、額を床に擦り付けんばかりにして身を縮こまらせた。


「ですが! 当該拠点からの機材および実験データの移転計画は、侵入の直前にほぼ完了しておりました! 被害は下級の手下共が数名処分された程度であり、組織の根幹に関わる流出は一切ございません! 移動計画の最中という不幸なタイミングが重なっただけで──」


「言い訳を聞いているのではないのだよ」


 ザグレウスの短い割り込みに、ベルネスの言葉がピタリと止まる。


「君の管理の甘さが、その『侵入』を許した。結果として魔族が一匹、我らの手から離れた。

 ……それが事実だ」


「そ、それは……っ!」


「あ〜あ、ダサぁ。ザグレウスの配下のくせに、下等生物に尻尾引っ掴まれて逃げてきたんだ?」


 嘲るような声が部屋の端から響いた。 カーキ色の髪をした細身の青年──ベルフェルが、円卓の椅子に深々と腰掛け、退屈そうに指先で爪を弄んでいる。


「いやぁ、本当に使えないよねぇ。僕なら侵入された時点でそいつらごと拠点をドカンと吹き飛ばして、証拠も何もかも灰にしてあげたのにさ。ねぇ、リリエルもそう思うでしょ?」


 その隣で、しとやかな和服に身を包んだ黒髪の少女──リリエルが、くすくすと上品に口元を袖で隠した。


「ベルフェル。あまり追い詰めたら可哀想じゃない? でもぉ………、お仕事に穴をあけたのは、事実ですものね」


 二人の会話を、冷ややかな視線で見下ろす者がいた。 赤髪の高身長の女──カルミナだ。彼女は腕を組んだまま、苛立ちを隠そうともせず吐き捨てる。


「無能の首をすげ替えるのは容易いが、余計な足痕を残されたのであれば不快だ。ザグレウス、貴様の部下の始末は貴様がつけるのだろうな?」


「勿論だとも、カルミナ」


 ザグレウスは緩やかに微笑み、眼鏡の位置を直した。


「ひぃっ……! ザ、ザグレウス様! お許しを! 私はまだ貴方様のお役に立てます! 逃げた魔族の追跡も、次の拠点での防衛も……っ!」


 ベルネスが悲鳴のような声を上げ、立ち上がろうとした──その瞬間だった。


「──煩い」


 浮遊する白髪のウルフ──怠惰を司るメフィルが、手にした巨大な鎌をわずかに傾けた。

 言葉の終わりと同時に、ベルネスの首筋から細い赤い線が一本、スッと浮かび上がる。 仮面の男は自分の首に手を伸ばそうとしたが、指先が触れる前に、首から上が滑り落ちるようにして床へと転がった。


 ドスン、と胴体が倒れ、床を赤く染めていく。


「……メフィル、私の仕事を横取りしないでくれたまえ」


 ザグレウスがため息を漏らすと、浮遊したままのメフィルは退屈そうに欠伸を噛み殺した。


「遅いから。……ザグレウスの手際が悪い。私は早く寝たいの」


「ボクも賛成〜! 弁明を聞くだけ時間の無駄だったよぅ」


 淡い水色髪の少年──ゼルヴァが、きらきらとした狂気の瞳を輝かせながらテーブルの上で身を乗り出す。


「ねぇねぇ! 次の襲撃地点はどこ? 次はボクも暴れにいっていいんでしょ!? ねぇ! ベルフェルさんばっかりズルいよ!」


「ダメに決まってるだろ、ガキ。と言いたいところだが、お前ピッタリの案件がある。北にあるデルナ砦に魔獣達を引き連れて行って、暴れて来い」


カルミナからの予想外の言葉にゼルヴァは「えー!? いいの!?いいんだね!?行ってきます!」とまるでピクニックに行く子供のような無邪気さで、誰からの返事も聞かずに飛び出して行った。

 円卓のさらに奥、巨体を沈めているのは3.5メートルを超える肉の塊──バアルだ。彼は目の前で起きた処刑劇など端から興味がない様子で、分厚い手で肉の塊を口へ放り込み、ゴリゴリと骨ごと噛み砕いている。何の肉かは分からないが…。


 手下の死体が転がり、血の匂いが充満する室内。 しかし、ここに集う者たちにとっては、それが日常の景色に過ぎなかった。




 ◇




「さて」


 ザグレウスが懐から絹のハンカチを取り出し、自分のデスクに跳ねた一滴の血を丁寧に拭い取った。


「雑音は消えた。会議を続けようか」


 何事もなかったかのように、冷淡な声が響く。


「ヒューマン領の旧地下水道拠点は廃棄処分だ。幸いにも、本命の施設や研究資料、魔素抽出装置の基幹部分はすでに別ルートで輸送を開始している。被害は実質ゼロと言っていい」


「逃げた魔族一匹についてはどうするの?」


 リリエルが首を傾げ、和服の裾を整えながら尋ねた。


「あれはただの『抽出体』だ。固有の特質こそいくつか認められたが、計画の代替がきかないほどのものではない。……まあ、ヒューマンの街の中に紛れ込んだところで、あの濃度の魔素に汚染されていたのだ、長らくは持つまい」


 ザグレウスの淡々とした言葉に、ベルフェルが「あはっ」と短く笑った。


「なんだ、じゃあ放っておいても勝手に野垂れ死ぬってわけだ。さすが下等生物だな」


「油断は禁物だぞ、ベルフェル」


 カルミナが赤髪を揺らし、鋭い視線を向けた。


「侵入者が単なる野良のヒューマンか、あるいは魔王軍の過激派の調査隊か……まだ解解はついていないのだろう? 『境界線』の干渉も強まっている今、余計な刺激は避けるべきだ」


「分かっているよ、カルミナ」


 ザグレウスがパン、と軽く手を叩き、全員の視線を集めた。


「次の主拠点だが……ヒューマン領南部、港町ヴェゼルの近郊にある地下遺構へと移行する。あそこならば物流の紛れ込みも容易く、海路を利用した『資材』の調達も都合が良い」


「港町ヴェゼル……」


 リリエルが言葉を反芻し、黒い瞳をうっとりと細めた。


「新しいおもちゃがたくさん手に入りそうな場所ねぇ」


「輸送の手配は私の部下にやらせている。数日内には新拠点の稼働が始まる予定だ。ベルフェル、君には現地での『資材受け入れ』の監督を頼みたい」


「え〜、この僕が監視係? 前の里の襲撃の件もそうだけど人使いが荒いと思わないわけ?なんで僕が手下共の作業を見てなくちゃいけないんだ。だいたい、いつも暇そうにぷかぷか浮いてるそいつに頼めばいいじゃないか」


 ベルフェルは不満そうに肩をすくめたが、ザグレウスの冷徹な眼鏡の奥の光を見ると、苦笑いを浮かべて首を振った。


「あぁもう、分かったよ。ちゃんとやるってば。確かにそこでぷかぷか浮いてる鎌女よりはこの僕の方が適任だろうしね。うん。まぁでもついでに街の家畜共で暇つぶしでもさせてもらうよ。それくらいはいいだろう?」


「派手に暴れすぎて勘付かれるなよ、愚か者が」


 カルミナの吐き捨てるような言葉に、ベルフェルはわざとらしく耳を塞ぐポーズを取った。


「……そろそろ、終わる?」


 ぷかぷか漂っていたメフィルが、だるそうに鎌の柄を叩いた。


「次の拠点が決まったなら、私はもう行く。眠い」


「ふむ、そうだね。本日の議題はこれで終了としよう」


 ザグレウスが立ち上がると、他の幹部たちも各々の動作で席を立ち始める。


 血の海と化した床の上に転がるベルネスの死体には、誰も視線すら向けない。ただの使い捨ての駒。代わりに据える者など、幾らでも湧いてくるのだから。


 リリエルは和服の裾を軽やかになびかせ、ベルフェルの隣に並んで歩き出した。


「ねぇ、ベルフェル。港町へ行くなら、わたしも連れて行ってくれない?」


「ん……うーん……ん〜? リリエルが来ると、いろいろと面倒なことになりそうだけどなぁ」


「失礼だなぁ。わたし、とっても大人しくしてるのに」


「どこがだ」


 二人の無邪気な会話が、薄暗い廊下へと消えていく。


 ヒューマン、魔族、獣人、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ……あらゆる種族の住まう大陸の裏側で、静かに、確実に毒を撒き散らす七つの影。 その侵食の手は、次の目的地──港町ヴェゼル、デルナ砦へと伸びようとしていた。





「この僕が33話ぶりの登場だって?どういうことだよ!この僕が!あのベルネスとかいうきっしょい仮面付けたやつより出演回数が少ないなんておかしいじゃないか!!リリエルもそう思うだろう!?」


「黙りなさい。ベルフェル」


「はぁ!?」




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