45話 小さな買い出し
「……ヴェル……ナ……? ここ……どこ……?」
深く静かな眠りから覚めた白髪の少女──セレスタの声が、静寂に包まれた宿屋の一室にぽつりと落ちた。
「セレスタ! 目が覚めたんだね!」
ヴェルナは一瞬だけ驚きに目を見張り、次の瞬間にはいつものいたずらっぽい笑みを浮かべてベッドの傍らへ身を乗り出した。
「ここは都市ラグナスの北区にある宿屋さ。覚えてる? 地下水道のあの狭い水路から、みんなで壁をぶち破って外へ脱出したんだよ」
「地下水道……脱出……」
セレスタは小さく呟き、自分の白く細い手首を見つめた。かつて冷たい金属の拘束具が食い込んでいた皮膚には、痛々しい痕が残っているものの、あの狂おしいほどの縛鎖と魔素を吸い上げられる苦痛は消え去っている。
「……そう……私……助かったんですね……」
「うん。ボクと、それからそこにいるミアとレナのおかげでね」
ヴェルナが後ろを振り向くと、ミアとレナも静かな笑顔を浮かべてセレスタを見つめていた。
「はじめまして、セレスタさん。私はレナ。目覚めて本当に良かったよ」
「私はミア。怪我の具合はどう? 」
セレスタは二人の顔を交互に見つめ、それから二本の黒い角をかすかに揺らしながら、ペコリと頭を下げた。
「レナさん……ミアさん……。私を……助けてくれて、ありがとうございました……。まだ体は重いですが……捕らえられていた時に比べれば…だいぶ楽です」
「お礼なら、ヴェルナにも言っておくべき。一番心配して暴れ回ってたのは、ヴェルナ」
ミアがニヤケながら冗談めかして言うと、ヴェルナは恥ずかしそうに「ちょっとミア、余計なこと言わないでよー」と笑いながら手元をひらひらと振った。
しばらくの間、四人は互いの自己紹介や、脱出時の出来事、そして先ほどまで話していた「報告の結果を待つまでの間、一時的に行動を共にする」という方針についてセレスタに説明した。
セレスタは真面目な面持ちでうなずき、魔素の枯渇による倦怠感はあるものの、生命に関わるような異常はないことを自分でも確認していた。
しかし、一通りの会話が途切れたところで、レナがふとセレスタの姿を見て小さな声をあげた。
「……あの、セレスタさん。そのお洋服……」
「え……?」
セレスタが自分の身に着けているものを見下ろす。それは囚われていた際に着せられていた、血や体液などの汚れと破れが目立つ薄い白いワンピースだった。装飾の乏しいその服は、地下施設の過酷さを物語っていると同時に、明らかに不自然な装いだった。
「確かに……」とミアが腕を組む。
「こんな目立つ格好で外に出たら、また変な連中に目をつけられかねない。それに、何より生地が薄すぎて寒そう」
「だよねぇ」とヴェルナも同調する。
「それにセレスタのその立派な角と尖った耳は、見られたら魔族だって一目で分かっちゃうからね。ヒューマン領の街中を歩くなら、もう少し目立たない服と、角を隠せる帽子が必要だよ」
セレスタは自分の角に手を触れ、申し訳なさそうに身を縮めた。
「すみません……私、装備品全部取られちゃって……」
「謝ることじゃないよ!」レナが優しく微笑みかける。
「じゃあ、明日の朝になったら、私とミアとヴェルナでセレスタさんの服を買いに行こうか! セレスタさんはまだ身体が重いみたいだから、宿屋で安静にしていてほしいな」
「えっ……でも、私のお服を買いにいくのに、私が行かなくて大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫! セレスタさんの体のサイズなら、私とヴェルナで見立てられると思う。それに、帽子もぴったりなものを探してくるから!」
「うん」とヴェルナも頷いた。
「セレスタはまだ魔素が枯渇してて体力が戻りきってないんだから、おとなしくベッドで寝てなさい。ボクが最高のセンスで似合う服を選んできてあげるからね!」
「ヴェルナのセンスだけで選ばせると変な露出度の高い服になりそうだから、私とレナもちゃんと吟味する」
「ひどいなぁミア! ボクのセンスを信じてよ!」
三人の賑やかなやり取りを見て、セレスタの緊張が少しだけほぐれたようだった。彼女は小さく口元を緩め、「……ふふ、お任せします。よろしくお願いします」と可愛らしく深々と頭を下げるのだった。
◇
翌朝。都市ラグナスの空は透き通るような青空に恵まれていた。
朝の光が差し込む宿屋の部屋で、レナたちはセレスタに簡単な朝食と水を渡し、暖炉の火を調整してから出かける準備を整えた。
「じゃあ、行ってくるね、セレスタ。何かあったら宿の人を呼ぶんだよ。でもちゃんと毛布とかで隠してね」
「はい。お気をつけて、ヴェルナ、レナさん、ミアさん」
ベッドの上で角と耳を隠すように毛布にくるまったセレスタに見送られ、レナ、ミア、ヴェルナの三人は宿屋を後にした。
朝のラグナス北区は、商人が荷馬車を引く音や、仕入れに走る人々の活気で満ちあふれていた。冷たい朝気が頬を撫でる中、三人は賑やかな大通りを目指して歩き出す。
「さて、どこで服を買おうか?」
ミアが周囲を見渡しながら尋ねると、ヴェルナがニヒッと八重歯を見せて親指を立てた。
「ふふん、この街の地理ならボクに任せときなよ。北区の仕立て屋街に行けば、旅人向けの頑丈で動きやすい服から、可愛い普段着まで揃ってる店があるんだ」
「ふーん?最初は『実はボク、こう見えても方向音痴なんだよね。』って言ってたのに?」
レナの言葉に「あは〜」と頭を掻きながら、ヴェルナは「いやぁ、初心者感出した方が仲間意識みたいなの、あるかなーって…ニヒヒッ…」と気まずさと申し訳なさを漂わせながら目を逸らした。
「ふふっ、冗談だよ。じゃ、ヴェルナ、案内よろしく!」
三人は軽やかな足取りで仕立て屋街へと向かった。途中の露店から漂う焼き立てのパンの匂いや、色鮮やかな果物が並ぶ風景に、昨日までの地下水路での恐怖が嘘のように感じられる。
やがて、ヴェルナが案内したのは、木造の落ち着いた佇まいをした一軒の衣料品店だった。店内には多種多様な布地や、冒険者向けの上質感のある仕立て服が並んでいる。
「いらっしゃい。おや、可愛らしいお客さんたちだね」
店主の年配の女性が穏やかな笑顔で出迎えてくれた。
「おばちゃん、小柄な女の子向けの服を探してるんだ。旅にも耐えられて、でもちゃんと可愛くて、帽子もセットで合わせたいんだけど」
ヴェルナが仕切り出すと、店主は「それなら良いのがあるよ」と奥のハンガーラックへ案内してくれた。
「小柄な子用かい? ちょうど最近、機能性と見た目を両立させた良い仕立物が入ってきたばかりなんだよ」
店主が取り出した服を見た瞬間、レナとミア、そしてヴェルナの三人の目が同時に輝いた。
「わあ……これ、すごく可愛い……!」
レナが思わず声を漏らす。
それは、白を基調とした膝丈のコートを羽織り、黒と金で縁取られた制服風のワンピースを身に纏っている。胸元には金色の小さなネクタイが結ばれ、裾からは幾重にも重なった白いフリルがふんわりとのぞく。
足元は黒い編み上げのショートブーツ。折り返されたグレーの履き口が柔らかな印象を添え、短めの黒い靴下との組み合わせが軽快さを演出している。白いコートの袖口やポケット、裾には金色の装飾が施されており、全体として清潔感と上品さを兼ね備えた、どこか士官学校の制服を思わせる装いで、可愛らしさと洗練された上品さが絶妙なバランスで同居していた。
「うん……、これは素晴らしい」
とミアが頷く。
「生地も厚手でしっかりしているし、防寒性も高そうだ。それに、この白と黒の色合い……セレスタの白髪とすごく合いそうじゃない?」
「でしょ! ボクの直感がこの服を見た瞬間にビビッときたんだよ!」とヴェルナが自慢げに胸を張る。(実際には店主が持ってきたのだが)
「そして何より大事なのは……これ!」
レナが指さしたのは、その衣装にセットで添えられていたベージュブラウンのベレー帽だった。
レナは二人の手をつかみ、引き寄せると、小さな声で話し始めた。
「このベレー帽なら、深ぶりにかぶればセレスタさんの頭の角をすっぽり隠せそう」
「なるほどね」
とミアが帽子を手にとって確かめる。
「生地が柔らかいから、角があっても形を崩さずに覆い隠せる。耳の尖りも、帽子とサイドの髪でうまく隠せそうだ」
ヴェルナのお墨付きも貰ったので、
「よし、決まりだね! 服のサイズ感も、あの小柄なセレスタならピッタリのはずだよ」
三人の意見は完全に一致した。さらに、レナの提案で、寒さ対策と靴の擦れ防止のために黒のタイツと、しっかりとした作りの革製ショートブーツも一緒に購入することになった。
「買い物がスムーズに終わって良かったね」
買い物を終えた紙袋を抱えながら、レナが嬉しそうに微笑む。
「ふふ、これでセレスタも堂々と街を歩けるようになるね。綺麗な服を着たらきっと喜ぶよ」
ヴェルナもどこか誇らしげな表情で八重歯を覗かせた。
◇
宿屋へ戻ると、セレスタはベッドの上で静かに本をめくっていた。どうやら、部屋に置かれていた古い地理の本のようだ。
「ただいま、セレスタさん!」
「あ……レナさん、みなさん、お帰りなさい。早かったですね」
セレスタが本を閉じ、少し緊張した面持ちで三人を出迎える。
「ふふん、楽しみにしときなよセレスタ! 君に最高に似合う服を選んできたからね!」
ヴェルナが大きな紙袋をベッドの上にドサリと置いた。
「これ……私に……?」
「うん! さあ、着てみて!」
レナとミアが手伝いながら、セレスタに新しい衣装を着替えさせた。
白を基調とした金縁ハーフコートに、黒のシックなドレス風ワンピース。そして、ヴェルナが少し工夫しながら、セレスタの頭にベージュブラウンのベレー帽をそっと被せた。
二本の黒い角はベレー帽の丸みの内側に優しく収まり、外からはまったく見えなくなった。白髪のサイドヘアが帽子の端からふんわりとこぼれ、まるでどこかの良家のお嬢様のような、可憐で落ち着いた雰囲気に生まれ変わったのだ。
「……できた!」
レナが姿鏡をセレスタの前へ運んでくる。
「……え……?」
鏡に映った自分の姿を見て、セレスタは丸い目をパチパチとさせた。 かつて地下施設で泥と汗に汚れ、冷たい破れワンピースを着ていた自分はそこにはいなかった。
鏡の中にいるのは、白と黒の綺麗な衣装に身を包み、暖かいベレー帽をかぶった一人の少女だった。
「ど、どうかな……? セレスタさん」
レナが少しドキドキしながら尋ねると、セレスタは自分の胸元のネクタイや、コートの袖口の刺繍をそっと指先でなぞった。
「すごく……綺麗です……。こんなに素敵なお服……私、頂いてもいいんでしょうか……?」
「当然だよ!」
ヴェルナがセレスタの肩をぽんと叩く。
「君はもう自由の身なんだからね。今まで通り、綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、胸を張って歩くんだ」
「ヴェルナの言う通り」
ミアも柔らかく微笑む。
「すごく似合っている。角も綺麗に隠れているし、これなら街の人に出歩いても怪しまれない」
セレスタのグレーがかった瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていった。 彼女は溢れ出そうになる涙を必死に堪えるように、小さな両手を胸の前でキュッと握りしめ、顔をクシャッとさせて破顔した。
「……ありがとう……ございます……! 私……すごく……すごく嬉しいです……っ!」
その満面の笑みと感謝の言葉に、部屋の中が一気に温かい空気で包まれた。レナとミアも顔を見合わせて微笑み合い、ヴェルナは
「にひひ、大成功だね!」と嬉しそうに笑った。
◇
セレスタの着替えも終わり、昼過ぎ。彼女の体調も昨日よりは格段に回復していたため、四人は宿屋の1階にある食堂で昼食を摂ることにした。
「おいしい……!」
焼き立てのパンと、たっぷりの野菜と肉が煮込まれた温かいスープを口にしたセレスタは、頬を緩ませて感嘆の声を漏らした。
「ふふ、たくさん食べて体力を戻してね」
レナが優しく微笑むと、セレスタは何度も頷きながら、スープを大切そうに味わっていた。
食事が一段落したところで、ヴェルナが真面目な顔つきになって口を開いた。
「さて……セレスタも服が手に入って、体調も戻ってきたことだし。昨日の夜に話した『これからの方針』について、セレスタにも共有しておこうか」
「方針……ですか?」
セレスタが首をかしげると、ヴェルナは昨夜レナやミアと話し合った内容──魔王ハデス様たちへ特殊通信で報告を入れること、そして指示が出るまでは4人での旅を「保留」にしてこの街に留まることを説明した。
セレスタは静かに話を聞いた後、深々と頷いた。
「分かりました……。ヴェルナの判断に異論はないです。……それに、私からも……レナさんとミアさんに、お伝えしたいことがあります」
セレスタは真っ直ぐにレナとミアを見つめた。
「私が助けていただいた恩返し……というわけではありませんが、私にできることなら何でも協力したいんです。ヴェルナから聞きました……お二人は『魔法の使い方』や『魔素の制御』を知りたいのですよね?」
「あ、うん……!」
レナが姿勢を正す。
「私、地下施設から出た時にで急に倒れちゃって……ヴェルナから『魔素を体内に溜め込みすぎたのが原因』って聞いたの。またみんなの足を引っ張りたくないから、体内の魔素を外に逃がす方法や魔法の使い方を知りたくて」
「ミアさんも、レナさんと同じく、魔力を使って術式を構築して魔法を使えるようになりたいと……」
「そう」
ミアが頷く。
「私は今まで魔法というものをあまり見た事がない。魔力の構造や効率的なやり方が分かれば戦術の幅も広がる。それをセレスタが教えてくれるなら、これ以上心強いことはない」
セレスタは少し照れくさそうに、しかしハッキリとした口調で答えた。
「はい! 私でよければ、いくらでも教えます。……実は、魔素の制御というのは、『コツ』さえ掴めば誰でもできるようになるものなんです」
「本当!?」
レナの目が輝く。
「はい。魔素というのは、体内に留めようとするから滞留して悪影響を及ぼします。人間の呼吸と同じで、『吸って、吐く』という循環のイメージを意識の中に作るだけで、過剰な魔素は自然と肌や吐息から外へ抜けていくんです」
セレスタの説明は極めて論理的でわかりやすかった。
「なるほど……呼吸と同じ……」
「ええ。後で静かな場所で、実践してみましょう。レナさんは二度と魔素酔いを起こさないように、感覚を身につける練習から始めてみましょうね」
「ありがとう、セレスタさん……!」
「ふふ、セレスタはこう見えて教え上手なんだよ」
ヴェルナが自慢げに笑う。
「じゃあ、報告の返信が来るまでの間、この街の郊外で魔法のレッスンと行きますか!」




