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境界観測《リミナル・サイト》-その線の先で、私は死んでいる-  作者: Rasky
第2章 都市ラグナス

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37話 meaning

「っ……」


 眩しさで目を覚ますと、そこはまたしても視界の果てまで無機質な白で満たされた空間だった。


「……また、ここ……」


 吐き出した息すら反響せずに吸い込まれて消える。レナは力なくその場に跪き、濡れてもいない自分の両手を虚ろな目で見つめた。


 覚えている。死んだのだ。またしても、あの仮面の男の手によって。


 今回は、視界に浮かび上がる「白い線」と「赤い線」の意味を感覚的に理解し、前衛の二人へと指示を出すことができた。ルナとミアもレナの指示に従い、男の初撃を回避し、防具の隙間へ攻撃を掠めさせることまでは成功した。前衛二人の生存時間を延ばし、一瞬でも相手の姿勢を崩させた。そこまでは確かに進展していたはずだった。


 しかし、結果は何も変わらなかった。


「……ダメじゃん……。あんなにハッキリ線が見えてたのに……」


 膝の上に置いた拳を強く握り締める。爪が手の平に食い込む感覚だけが生々しい。


 決定的な問題は、認識と行動の間に存在する「ラグ」だった。 レナが視界の線を見て、その意味を脳で解釈し、言葉として発声する。その声が空気を通じてルナやミアの鼓膜に届き、二人の脳が指令を受け取って筋肉を動かす。この一連のプロセスには、どうしてもコンマ数秒のタイムラグが発生する。


 人間である以上、その伝達ラグをゼロにすることは不可能だ。そして、あの仮面の男は恐ろしい戦術的観察力でそのラグの存在を即座に見抜き、指示が出されてから動くまでのわずかな隙を正確に突いてきた。ミアが前に飛ぶ直前、制止の叫びを発した時にはすでに男の剣は振り下ろされていたのだ。声が届くより早く、刃が肉を断っていた。


「私の指示が遅いから……。私が見えてるだけじゃ、二人は救えない……」


 絶望が重く胸にのしかかる。男の武力、速度、判断力はどれも破格であり、線を介した不完全な情報共有程度で埋められる差ではなかった。


「……じゃあ、どうすればいいの……?」


 レナは白に塗り潰された床を見つめたまま、必死に打開策を模索し始めた。


(……例えば、私が直接戦う? 線が見えているなら、指示を出さずに私が自分で動けばラグは最小限で済む……?)


 考えた瞬間に、自らそれを打消した。 無理だ。私には剣の振るい方も、身をこなす身体能力もない。線が見えていて「どこに攻撃が来るか」「どこを刺せばいいか」が解ったところで、私の筋力と反応速度では男の剣速に物理的に追いつかない。

 回避行動すら間に合わず、一瞬で肉体を断ち切られて終わるだけだ。自分が前線に出る案は、ただ死を早めるだけで意味をなさない。


(……なら、戦う前にあの男を無力化する罠を仕掛ける? T字路の周辺に前もって仕掛けを作っておいて、来たら一気に崩落させるとか……)


 それも不可能だ。あの地下施設に崩落を起こせるような強力な爆薬や大型のからくりは存在しない。そもそも、セレスタが捕らえられているあの通路に到達した時点で、男はすでに廊下の奥から歩いてきていた。罠を設置する時間も資材も全く足りていない。


(……ミアとルナに、事前に全部の攻撃パターンを教え込んでおく? 『相手がこう動いたらこう避けて』って、遭遇する前に打ち合わせをしておく……?)


 レナは頭を振った。あの男の攻撃は決まった型の繰り返しではない。こちらの動きや線の指示に対応して、瞬時に最適な殺傷軌道へ変化させてくるのだ。

 前もってパターンを打ち合わせたところで、実戦で男が動きを変えた瞬間に破綻する。柔軟な判断が必要な戦闘において、固定化された手順など何の役にも立たない。


(……セレスタさんの魔法を頼る? セレスタさんは魔族だし、何か凄まじい力で男を吹き飛ばせるかもしれない……)


 案を出す先から、惨烈な現実がそれを拒絶する。セレスタは体内の生命力を極限まで削ぎ落とされ、会話すら掠れた声でしか行えない状態だった。背負った背中から伝わってきたのは、消え入りそうな微かな鼓動だけだ。戦力として期待できる状態では到底ない。


 何を考えても、どんな手段を模索しても、ことごとく「無理だ」という事実に突きぶつかる。


「……打つ手がないよ……。どうやったって殺される……」


 立ち尽くすレナの思考は、完全な不毛のループに陥っていた。


 その時、ふと自分の頭の中の記憶に違和感を覚えた。


(……待って。今回の戦い、線の見え方が……前よりずっと鮮明じゃなかった……?)


 思い返してみる。以前、森で魔獣と対峙した際は白の線しかなく、地下水道では線の色や意味も判然とせず、ただ激しい頭痛とともに視界を邪魔する存在と思える時もあった。


 それが今回は違った。 ルナとミアの足元からは明確な「白」が伸び、敵の凶器からは回避すべき「赤」が、まるで空間に直接描かれた絵の如くはっきりと区別して認識できた。

 痛みに耐えさえすれば、どの線が何の予兆であるかを直感的に理解できるようになっていた。

 そう、必要最低限かつ必要不可欠な線のみしか出ていなかった。


(……もしかしてこの線……私が死を繰り返すたびに、あるいは線を見続けて使用するたびに、私の脳や目に馴染んで……『最適化』されてきてる……?)


 仮説としては筋が通っていた。死に戻りによって経験が蓄積されるように、不可解な線の知覚能力もまた、死と使用の回数に応じて精度を増している可能性がある。もしそうなら、回数を重ねるごとに見える情報の精度はさらに上がり、敵のより詳細な予兆を捉えられるようになるかもしれない。


 しかし——すぐにその希望は冷酷な現実によって打ち砕かれた。


「……でも、精度が上がったところで……指示を出す時のラグが消えるわけじゃない……」


 どれほど線が見えやすくなろうと、どれほど未来の動線が鮮明に描かれようと、声を出して他人に伝えるという物理的なプロセスが存在する限り、あのコンマ数秒の遅れは絶望的な壁として立ち塞がり続ける。男はそのラグを絶対に見逃さない。


「……もう嫌だ……」


 膝を抱え、レナは白の世界で小さく丸まった。


「勝てないよ……。あんな化物、どうやって倒せばいいの……。もう投げ出したい……逃げたい……」


 自分の口から漏れた弱音。だが、「逃げたい」という単語を発した瞬間、レナの思考の深層で小さな引っかかりが生じた。


(……逃げる……?)


 そうだ。なぜ自分はあの男を「倒さなければならない」という前提で思考していたのだろうか。

 自分たちの目的はあの仮面の男を打ち倒すことではない。セレスタを救出し、あの地下施設から全員で生きて脱出することだ。あの男と真正面から殺し合う必要など最初から存在しない。戦闘を回避するか、足止めをして逃げ切ることができれば、それで目的は達成されるのではないか。


(倒す必要はない……逃げ切ればいいんだ……!)


 新しい発想の端緒を掴んだ、いや、逃げれないと思い込んでいたその決めつけを打ち砕いた、まさにその瞬間だった。


 視界の端から圧倒的な光が膨張し始め、白い空間全体が白光へと飲み込まれていく。


(あ……また戻される……!)


 焦燥感が胸を突く。どれほどこの空間で重要な思考に辿り着こうとも、死戻りの法則によって、この場所で考えた記憶は過去へと戻った瞬間に全て喪失してしまう。また知識ゼロの状態から、あの死の恐怖を味わわなければならないのだ。


 思考が途切れ、世界が完全にホワイトアウトした。




 ◇




「……ヴェル……ナ……なの……?」


「そうだよ……遅くなってごめんね、セレスタ。もう大丈夫だから……!」


 涙を拭い、ルナが急いでセレスタを背負おうと背を向けた瞬間、レナがその肩を強く掴んだ。


「待って、ルナ! セレスタさんは私が背負う!」


「な……何言ってるのレナ! 私が背負わないと——」


 少しの言い合いの後、ルナはレナの言い分が正論であることを理解し、固く頷いた。


「……頼むよ、レナ。絶対に守って」


「うん、まかせて」


 脱出の動作に移ろうとした、まさにその時だった。


 カツン。


 湿った石床を硬い靴底が踏みしめる音が、通路の奥から響いた。


 暗闇から姿を現したのは、顔を仮面で覆った男だった。


「ひっ……っ……」


 レナの膝がガクガクと激しく震え出す。記憶にはない。この仮面の男と出会ったことも、戦ったことも、レナの頭の中には一切存在しないはずだった。


「あれだけの手勢を掻い潜りここまで侵入するとは……貴様ら、ただの鼠ではないな」


 男がそう口にした瞬間、激しい頭痛とともにレナの視界に白と赤の線が浮かび上がった。


「っぐ、ルナ、ミア! 正面から行っちゃダメ! 左へ!」


 指示の伝達。それに応じたふたりの回避。しかし、それも数回繰り返していくと、男の冷徹な戦術眼によって指示のラグを見破られてしまった。

 男は指示を出しているレナを狙い、攻撃を仕掛ける。それを防ぐためにミアが跳躍をした瞬間、ミアに黒剣を突き刺した。


 ズドッ!!


「が……ッ!?」


「ミアあああッ!!」


 ミアの身体を突き刺したまま、男はルナへ向けて彼女の身体を投げつけた。もつれ合って倒れるふたり。レナの視界から白い線が瞬時に消え去り、迫り来る男の全身から伸びる圧倒的な密度の赤線だけがレナを包囲する。


「終わりだ」


 逃げ場のない行き止まり。壁に背中を打ち付け、腰を抜かしたレナの目の前で、男の手にした漆黒の刃が持ち上げられた。


 頭痛と激痛で意識が薄れかける中、振り下ろされる刃の向こう側——男の影の隙間、そしてセレスタが捕らえられていた牢屋の奥の暗がりへと向かって、一筋の「白く細い線」がひっそりと伸びているのがレナの目に映った。


(え……なに……あの奥に……線が……?)


 戦闘に夢中で全く気が付かなかった。その線がいつからあったのか、その線の指し示す先に何があるのか、そんな思考する猶予など与えられない。


 直後、振り下ろされた冷たい刃がレナの首筋を深く断ち切った。


 熱い感触。生温かい血の噴出。視界が回転し、石床の水面へ落っこちる感覚とともに、レナの意識は完全な暗闇へと没していった。




 ◇




 っ…

 眩しさで目を覚ますと、そこは再び白く何もない空間だった。


「……はぁ……っ……はぁ……っ」


 首筋を斬られた激痛の残滓に身を震わせながら、レナは白い床の上に倒れ込んでいた。激しい呼吸を繰り返しながら、自分の首元を手で確かめる。血は出ていない。皮膚も繋がっている。


 またしても、死んで戻ってきたのだ。


「……ダメだった……。また……誰も守れなかった……」


 惨敗の記憶が鮮明に脳裏を駆け巡る。しかし、今回の死の直前、レナの脳裏にはこれまでの失敗とは異なる強い疑問が刻み込まれていた。


「……最期に見えた、あの線……」


 首を斬られる直前、視界の隅、破壊された牢屋の奥の闇へと続いていた一筋の白く細い線。

 あの線は、前回の死の時には絶対に存在しなかった。前回の戦いにおいて、レナの視界に映っていた白い線は、ルナとミアの足元から男の身体へと続く「攻撃の動線」だけだったはずだ。


(……何が違うの? 前回の死と、今回の死で……何が違ったから、あの場所に新しい白い線が出たの……?)


 レナは膝を突き、直前の行動や状況を細かく回想し始めた。


(……行動は、ほぼ同じだった。ルナが背負おうとするのを私が止めて、セレスタさんを背負った。敵が来て、私が線の指示を出した……。ミアが刺されて、ルナが巻き込まれて……最後の状況も全く同じだった……)


 仲間との会話内容にも、戦闘の経過にも、決定的な差は存在しない。男の動きも、こちらの指示に対する敵の対応も、前回のなぞりでしかなかった。


(……じゃあ、何? 何がきっかけであの線が現れたの……?)


 状況の外部因子をどれほど探し回っても、納得のいく答えは出てこない。八方ふさがりになりかけたその時、レナは前回の死——この白い空間で自分が考えていた記憶の断片を突如として思い出した。


(……あ。私……前のこの空間で、死に戻る直前に……『逃げる』って選択肢を考えた……)


 そうだ。「あの男を倒す必要はない」「逃げ切れば勝ちだ」という発想に、前回のこの白い世界で辿り着いていた。


(……嘘でしょ……? もしかして……)


 レナの全身に鳥肌が立った。


 この白い空間は、ただ死んだ後に意識が立ち寄るだけの無意味な場所ではないのではないか。向こうに戻れば、ここで考えた詳細な記憶や言葉そのものは忘れてしまう。

 しかし——この空間で思考した「選択」や「意図」は、魂の深層や死に戻りのシステムそのものに作用しているのではないか。


(私が『倒す』ことばかり考えていた時は、敵に攻撃を当てるための『白い線』しか見えなかった。でも、この白い世界で『逃げる』という目的を思いついたから……だから最後の瞬間に、脱出経路を示す『別の白い線』が牢屋の奥に出現した……!?)


 仮説が事実であるならば、全ての辻褄が合う。

 線の発生条件は、単なる未来の予測だけではない。レナ自身が意識的、あるいは無意識的に求める「目的」に応じて、世界を観測するための指標として生成されているのだ。


「……そうなんだ……。ここで考えることにも……ちゃんと意味があったんだ……!」


 暗闇の中で手探りをしていた暗夜に、一筋の明かりが差したような感覚だった。


 向こうへ戻れば記憶は消える。けれど、ここで諦めずに「どう動くべきか」「何を選択すべきか」を極限まで突き詰めれば、それは次の死に戻りにおいて、視界の「線」という明確な導きとなって自分を助けてくれるのだ。


「……逃げるための道はある。牢屋の奥に……抜け道がある……!」


 レナは力強く立ち上がった。


 倒すのではない。戦うのでもない。あの男の攻撃を線の指示で最小限に防ぎながら、前衛のふたりを死なせずに、牢屋の奥の抜け道へと誘導し、全員でこの地獄から脱出する。


 明確な目的と解を得たレナの周囲で、白の世界が再び強い輝きを放ち始めた。


「今度こそ……今度こそ全員で、生きて帰る……!」


 溢れ出す光が視界を包み込み、レナの意識を現実の過去へと押し戻していった。

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