第417話 小竜公のおそれ
フランスの視線の先にある、一本の木。
すこし高いところにある、ちいさなうろから、こちらをのぞいている目があった。
小さなコウモリの目だ。
不安そうな瞳でこちらを見つめている。
「ヴラド‼」
フランスは、コウモリが、すこしだけ顔を出してこちらをのぞいている、木のうろに向かって走り寄った。
だが、フランスが近づくと、コウモリは、さっと身をかくすように、暗いうろの奥のほうに引っ込んでしまった。
あれ?
……え?
ヴラドよね?
今のは、絶対、ただのコウモリじゃなくて、ヴラドだったと思うんだけど……。
フランスが、木の根元に足をひっかけるようにして少しのぼり、うろの内側の暗がりを見つめると、奥のほうにコウモリがはりついているのが見えた。
おびえた顔でこちらを見ている。
わあぁ、思いっきり震えている……。
か、かわいそう……。
フランスは、刺激しないように、柔らかな声で、言った。
「ヴラド、もう大丈夫よ。迎えに来たわ」
だが、コウモリは、出てくる様子はない。疑り深そうな目をこちらに向けている。
「ヴラド、どうしちゃったの。出ておいで。もうこわくないよ」
フランスが手を差し入れると、小さなコウモリは、おびえたようにキィキィ鳴いて、さらに奥にへばりつくようにした。
……え?
こんなに、怖がって……。
どうしちゃったの。
しばらくフランスはなだめてみたが、おそらくヴラドであろうコウモリは、一向に出てくる様子がない。
これじゃ、いつまでたっても帰れないわ。
失礼します。
フランスは、思いっきり手をつっこんで、小さなコウモリの身体をつかんだ。
コウモリが嫌がるようにあばれて、フランスの指先に噛みつく。
「痛い、痛い、ヴラド! やめて!」
結構な痛みだったが、フランスは、しっかりとヴラドの身体をつかんで、うろの中から取り出した。
コウモリは、うろから出た途端、フランスの手から逃れて姿を人にかえた。
会いたかったヴラドの姿がそこにあった。
だが、喜んだのもつかの間、ヴラドは、フランスから距離をとって立ち、睨むようにして言った。
「あっちへ行け! おまえは、フランスなんかじゃない! 幻め!」
ヴラドもおそろしい幻を見たのね。
フランスは、あんまり刺激しないように、できるだけ優しく言った。
「ヴラド、これはもう幻じゃないわ。触れられたでしょ? ね?」
フランスが一歩ヴラドに近づくと、ヴラドが一歩下がる。
彼は、警戒した様子でかたくなに言う。
「あっちへ行け‼」
フランスのうしろから声がする。アミアンとシャルトルの声だった。
「一体どんなおそろしい幻を見たんでしょうか」
「どうやら、フランスの幻を見たようですね。よっぽどおそろしいフランスだったのかもしれません。こわいですね」
シャルトルが、またいじわるな顔をしているかもしれない。
シトーがぼそっと言う声も聞こえた。
「おそろしい、フランス……」
「おい、ヴラド、しっかりしろ」
フランスのとなりに、イギリスがやってきて、そう言った。
フランスは、イギリスたちの姿を指し示して、さらに言った。
「ほら! みんないるわ! これは幻じゃない。あなたのこと迎えに来たのよ。遅くなっちゃってごめんね」
ヴラドが、フランスのまわりにいるみんなの姿をまじまじと見た。
そうして、不安そうな様子で、ぼそりと言う。
「迎えに……?」
「そうよ。ほら、イギリスもいるでしょ」
「イギリス……」
ヴラドが、じっとイギリスを見つめる。
かなり長いこと、じっとイギリスを見つめたあと、ヴラドは顔をくしゃっとゆがませて、情けない声を出した。
「うわぁぁぁ」
ヴラドが、泣きそうな顔で走ってくる。
フランスは、両手をひろげて、泣きそうな気持ちでかまえた。
ヴラドが走ってきて、両手をひろげて、思いっきり抱きついた。
イギリスに。
……。
……そっち?
フランスは、こっちに来るかと思って広げていた手をそのままに、隣で思いっきりイギリスに抱きついているヴラドを見た。
「うわぁぁぁ、イギリスだぁぁぁ! おまえは幻に一度も出なかったもんなぁぁ。幻じゃないのかぁぁぁ。うわーん」
ヴラドは、イギリスにかじりつくみたいにして抱きつき、泣いていた。
ちょっとの間固まっていたイギリスだったが、ヴラドがひっついてわんわん泣くから、なぐさめるように背をぽんぽんとやっていた。
しばらく、イギリスにあやされて、ヴラドの泣きが落ち着いたあと、ヴラドがそうっとフランスの姿を見て言った。
「じゃあ、これは、幻じゃなくて、ほんとのフランス……」
「そうよ、こわくないでしょ?」
そう言って、フランスが一歩近づくと、ヴラドが、さらにイギリスにかじりつくみたいにくっついて、おそれる声で言う。
「フランス、こわいよぉぉ」
「ちょっと! どんな幻を見たのよ。こわくないったら!」
フランスが近づくと、あんまりヴラドがこわがるものだから、イギリスがぎゅっと抱きしめてヴラドを落ちつかせた。
また、うしろからアミアンとシャルトルの声がする。
「お嬢さま、完全に怖がられていますね。一体どんなひどいことをされたんでしょうか」
「おそろしいですね。おっと、フランスがこっちを見ています。われわれも、おそろしいことにされるかもしれません」
「こわいですね」
ふたりとも……、楽しそうね。
そのあと、イギリスにしっかり抱きしめてなでなでしてもらい、なんとか落ち着いてきた様子のヴラドに話を聞いてみると、こうだった。
「何度も、フランスが出て来るんだ。で、俺の前では、やさしくするのに……、おれのいないところで、おそろしいことばっかり言うんだ。あの気持ち悪いコウモリとか、役立たずの引きこもりとか、人の墓に住んでいる変態とか、血をほしがる化け物とか……うぅ……もっとひどいことも言ってた……」
か、かわいそう……。
それじゃ、こわくもなるわね。
ひとりでずっと、そんな幻を見続けていたのかと思うと、心がいたむ。
でも、ちょっと文句を言いたい気持ちにもなる。
「ヴラド、約束するわ。もし、あなたのこと悪く言いたくなったら、目の前で言う」
「うわーん」
フランスの言葉に、ヴラドがまた泣く。
イギリスが、ヴラドの背をなでながら、やれやれという顔で言う。
「フランス、それはなぐさめには、ならないんじゃないか」
「だって、ヴラドひどいわ! わたしがそんなこと言いそうだと思っているってことなの?」
ヴラドが、フランスの顔色をうかがうように、しょんぼりしてから、小さな声で言う。
「ちがう。でも、こわいんだ。幻だって分かっていても、こわいだよ」
その反応に、ちょっときつく言ったことが申し訳なくなって、フランスはしょんぼりして聞いた。
「まだ、わたしが近づくのはこわい? わたし、あなたに拒絶されたのが悲しくて、つい、きつく言っちゃった。ごめんなさい」
「……」
「一人にしてごめんね。守ってくれてありがとう。あなたは、とっても素敵で、頼りになる人だわヴラド。あなたのこと、気持ち悪いなんて思ったことない。そりゃ、最初は、人の血を飲むことをおそろしく思ったりもしたけれど……。でもわたしの手から血を飲んでいるあなたのことは、甘やかしたくなるくらい可愛いと思うし、墓に住んでいることだって、たったひとりでずっといるのを心配していても、変に思ったことなんてない」
「……」
まだ不安そうなヴラドに、そっと聞いてみる。
「あなたに……、そんなふうに、陰で言うものがいたの?」
「……あの女はそうしていた」
「あの女?」
ヴラドは、ひどく言いづらそうにして、なかなかその先を言わなかったが、フランスの視線にうながされてようやっと、小さい小さい声で言った。
「母親だ」
たしか、弟は、ふつうの人間のようだったと言っていた。
それに比べるとヴラドは……。
驚くほど色素のうすい、人間離れした姿を持っている。
そして、人の血を飲みたがる。
ヴラドは、はじめて会ったときに、たしか自分のことをこう言っていた。
『人の血を飲みたがる。そんな人間がいるか? まるで、ばけものだ』
彼に『ばけもの』だと思わせた原因のひとつは、もしや彼の母親だろうか。
ヴラドの前では表立って出さなくても、母親はもしや、彼のことをおそろしく思うことがあったのかもしれない。そして、陰で母親がなにか言っているところを、ヴラドは見てしまったのかもしれない。
つらいわ。
フランスの右目から、ぽろりとひとつ涙がこぼれた。
ヴラドが、フランスの涙をそっと指先でぬぐうために近づく。
フランスがずっと探していたコウモリちゃんは、ようやくイギリスからはなれて、フランスにぎゅっと抱きついた。




