第415話 故郷の森
フランスたちの目の前に、ふたりの美しい女があらわれた。
背の高い女だった。どちらも似た姿を持っている。
ふたりの女は、驚くほど大きな木のそばから、するりとほどけたものが戻るようにして、姿をあらわした。
髪には、印象的に美しい白い花飾りがついている。
それは、あの紫の霧を出していた、蔦に咲く花に似ていた。
片方の女が言う。
「なつかしい香りだ。あの方の、香り」
一歩、女が足をふみだす。
どうやらその女は、目が見えていないようだった。その目は、どこを見ているともしれない目だ。もうひとりの女が導くように腕をひいている。
腕を引いている女が言う。
「なつかしい姿だ。あの方と、似た姿」
その女は、足を悪くしているようだった。女が一歩足を踏み出すと、目が見えないほうの女が、その腕を支える。
ロビンが、その姿を見て、小さな声でつぶやくように言った。
「ドリュアデスだ」
ドリュアデス。
木のニンフね。
ドリュアデスは、お互いを支え合うようにして、一歩、また、一歩と進んだ。
そして、アミアンの目の前までやってくる。
目の見えない女が言った。
「あの方の香りがする。美しい森の香りだ」
フランスは、はっとして言った。
「あの方とは、もしや、アルセイデスのことですか? あなたがたの目の前にいるのは、アルセイデスの娘です」
足の悪い女が、アミアンをしっかりと見つめながら言う。
「なんと、あの方は、人とのあいだに子をもうけたのか……。そうか、それで、ここに戻って来られないのだな。あの方は、今どこに」
アミアンが、ドリュアデスをまっすぐに見つめ返して言った。
「母は、死にました」
目の見えない女が眉をしかめる。
「まさか、あの方が死ぬはずはない。あの方は、長い時を生きる精霊だ。我々のような、木に宿るものとは違う。森そのものを司る、尊いお方なのだ。あの方は、どこに」
「母は、わたしを助けるために、運命の魔法を使いました」
「まさか……」
目の見えない女が、眉を下げた。
足の悪い女が、まじまじとアミアンの顔をのぞきこみ、そして、落胆して言った。
「本当だ。おまえの中に、運命の魔法の痕跡が見える……」
ドリュアデスたちは、お互いに寄り添って温めるように立ち、お互いに額をつきあわせて、祈るように言う。
「あの方は、もういらっしゃらないのか」
「去っておしまいになったのだね」
「愛を見つけたんだね」
「尊い愛を」
「我々は、ずっと、あの方が帰ってきて下さるのを待っていた。もうすっかり、病んでしまったのに」
「あの方がお戻りになれば、また、明るく美しい森に戻れると思っていた。あの方は……、もう戻らないのだね」
ドリュアデスたちは、お互いを慰めるように、互いの腕をなで、重いため息をついて言った。
「愛を見つけたのなら、しようがない」
「愛のためなら、仕方がないね」
アミアンが、優しい声で聞いた。
「森に広がる霧は、あなたがたの力ですか」
目の見えない女が答える。
「そうだ。我々は、ほかの生き物の強い感情をかてに、わずかに生きながらえている。眠りの中で、増幅されるおそれが、我々の命をつないでいる。おそれは、死を遠ざけるために必要な気持ちだからね」
おそれ……。
あの霧の中で見せられた幻は、それぞれが持つおそれだったのだろうか。
ドリュアデスは、アミアンから視線をそらし、お互いを抱きしめるようにする。
ふたりは、そうっと囁くように言った。
「この森の総意で生かされたが、迷い込んだ者も多かった。すべてを還しましょう」
「すべてを還して去りましょう」
「あの方のもとへ」
「あの方のもとへ」
ふたりの女が、ぎゅっとお互いを引き寄せて、よりそうようにした。
風が吹く。
ふたりの女の姿が、ざあっと、風に吹かれて、消えた。
まるで、そこに、何もなかったかのように。
何も残らない。
あたりにまだ残っていた紫の霧も、風にはらわれるように消える。
そこらじゅうに広がっていた蔦にある、薄紫のように見えていた小さな白い花が、すべてこう垂れて、しぼんでゆく。
どんどん、色が悪くなる。
花も、蔦も、枯れてゆく。
枯れた色が、そこらを覆った。
フランスは、ドリュアデスのうしろにあった、巨大な木を見た。
一本の大きな木だと思っていたが、よく見ると、ことなるふたつの木が絡み合うようにして、ひとつの大きな木になっている。
古い木だ。
あちこちが、朽ちている。
幹には空洞ができているし、大きく広がる枝は、いくつも支えきれずに、地におちてしまっているようだった。
ロビンが、その木を見て言った。
「きっと、アルセイデスが去ったから、年経た木は耐えられなかったんだ。アルセイデスがいるだけで、森はぐっと強くなるからな」
フランスは、もう物言わぬ木となってしまった、立派な木を見つめて、切ない気持ちで言った。
「他のニンフたちが来てくれれば、また強い森になれるかしら」
ロビンが残念そうに言う。
「さあ。もう、ほとんどニンフも残っちゃいないから……。エルフもドワーフも去ったし、古い妖精たちもどんどんここから去っていくんだ。森は……、どんどん弱くなっている」
あたりから霧が完全に消え去ると、森は、すこし明るくなった。
木々の間から光がさしこんでいる。
古くて、美しい森だ。
だが、よく見ると、大きな木々は、ほとんどが枯れ始めているようだった。
草の間から、小さな羽もちの妖精が飛び立つのが見えた。
気づくと、あちこちで、妖精たちが目覚めて動き始めている。何もいないように見えた場所から、木陰から、葉蔭から。
妖精の羽が、木漏れ日を浴びて輝いていた。
大きな木から、キラキラしたものが飛び出しはじめるのを見て、フランスは思わず言った。
「きれいね……」
アミアンも、フランスと同じように、妖精たちが飛ぶ様子を見上げながら言う。
「ほんと、きれいです」
「アミアンのお母様の故郷なのかしら」
「そうかもしれませんね」
「美しの森ね」
フランスは、しばらくあたりを見つめてから、不思議な気持ちで言った。
「こんなに古い森を守っていたアルセイデスだったのね、アミアンのお母様」
「いつから、生きていたんでしょうか。とっても、不思議です」
ロビンが教えてくれる。
「この森は、昔、エルフも住んでいたらしい。妖精の国の中でも、かなり古い森だ。ドワーフやエルフが、この地から去る前からあった森なのかも。もしそうなら、森も……、もう寿命なのかもな」
たしかに、ドワーフが作った道もそばにある。だとしたら、その時代は、どんな様子だったんだろうか。エルフが木陰で休み、ドワーフがあたりで談笑することもあったのかもしれない。
でも、もう、誰も残っていない。
何もかも、ずっと同じように若木ではいられないのね。
いつかは、すべて去ってゆくのかもしれない。
永遠に続くものは、ないんだわ。
たとえ、不死と言われる精霊でも。
人間よりはるかに長い時間を生きる森でも。
フランスは、自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。
「とりあえず、妖精たちも目覚めたみたいだし、おそろしい森でなくなったのは良いことよ。きっと、この先は良くなる。きっと、先にはめでたしめでたしがある。……そうよね」
アミアンとくっつく。
何か、大きなことが終わった感じがして、フランスは、ひとつ息をついた。
……。
あれ?
何か……。
フランスは、またしても叫んだ。
「で、ヴラドは⁉︎」




