第410話 シトーとのおはなし
フランスは、熱くなった頬を、両手でぺちぺちやりながら、自分の部屋に向かって歩いた。
シャルトルの誘惑!
おそろしいわ!
なんて破壊力なの‼
結局、あのあと、しばらくシャルトルに、からかわれたり、いじめられたり、優しくされたりと、感情七転八倒のとんでもない状態にさせられた。
正直なところ、いじわるな顔をするときのシャルトルの破壊力が凄まじくて、またしても、好きの気持ちが高まってしまった。
でも……、この好きは、シャルトルの持つ好きとは違う。
それを考えると、せつない気持ちにもなるが、それを考える暇もないほどの、感情攻撃だった。
それに、思ったよりもシャルトルが明るく楽しそうに振る舞うものだから、つい、フランスも厳しい態度を取りつづけられなかった。
「これは、大変な百年戦争になりそうよ……」
しかも、フランスは、心の浮気をしたという、罪をすでにひとつ持っている。
それもやはり美しい人だった。
ひときわ美しく輝く女性。
今も愛しい。
マーガレット。
「美しい女性は、危険だわ……」
フランスは、自分の部屋の前に立つ人物に気づいて、足を止めた。
シトー。
フランスの部屋の前に立って、こちらを見つめている。
フランスはかけよって、声をかけた。
「シトー、どうかしたの?」
「変な顔してた」
どうやら、百面相しながら歩いているところを、見られていたらしい。
フランスは両頬をぎゅっとおさえて表情を落ち着け、言った。
「ちょっと、今、感情がぐちゃぐちゃで……。いや、それより、どうしたの、こんな時間に」
「話したいことがある」
「ああ、部屋で話す?」
「いや、ここでいい」
「そう?」
シトーが、じっとフランスを見つめる。
シトーは慎重に、でもはっきりと言った。
「結婚のこと、もし、百年先延ばしにしたのが……、フルール・ド・リス騎士団に志願したわたしのことがひっかかっているのなら、気にする必要はない」
フランスは、頬にくっつけていた手をはなし、両手でちがうちがうとやりながら言った。
「ち、ちがうわ! あなたのことが、ひっかかって、そうしたわけじゃないの」
いったん、心を落ち着けるのに、深呼吸してから、シトーに向き合う。
「たしかに、この選択をしたきっかけは、あなたの存在があるからだけど。でも、シトーの存在のせいで我慢するとか、そういうわけじゃないからね! 本当に、心の底から、百年聖女として生きたいと思ったの」
フランスは、そう言ってから、シトーの表情をうかがい、不安な気持ちで言った。
「シトーにとっては、迷惑だったかな? そうよね、ちゃんとシトーの気持ちも聞くべきだった。わたしはもう、聖女としては、教国から破門されているから、あなたが忠誠を誓いつづけるには、ふさわしくない。今からでも、あなたが自由になって、別の道を——」
「フランス」
シトーの、いつもの無表情が目の前にある。
でも、目は優しい。
「聖なる力があってもなくても、フランスは、聖女だ」
フランスは、シトーの言葉に、肩の力を抜いて、笑顔で言った。
「わたしね、あなたがそう言ってくれたから、もうすこし聖女として生きたいなって思ったの。わたし、聖女の仕事、嫌いじゃなかったわ。誰かのために何かできるって、とても豊かなことだし、自分の魂まで癒されるような気がするから。聖なる力がなくても……、誰かのために、何かはできるでしょう?」
シトーがうなずく。
優しさは、与えれば、与えられる。
そういう連鎖が、フランスは好きだった。
自由になっても、聖女として生きたいと思うほど、フランスにとって、聖女として生きた時間は特別、優しさにあふれていた。
フランスは、ちょっと気になっていることを、聞いてみた。
「シトーは……、後悔してない? 終生誓願を立てて、この道を選択したこと」
シトーがひかえめな笑顔で言う。
「きっと、きみと出会っていなくても、終生誓願は立てていた。フランスと出会うまでは、神だけが、わたしの心の寄り頼む場所だったから」
「わたしも、シトーほどじゃないかもしれないけれど、主のことを愛しているわ。百年捧げるのに、ためらいはないくらい。わたしたち、同じ方を心から愛しているわね」
ふたりで、笑顔を向け合う。
こんな時間にこそ、主を近くに感じる。
見守っていてくださる。
シトーが、笑顔のまま言った。
「ちょっと羨ましい」
「なにが?」
「百年も奉仕活動できるの」
「あら、シトーはこれから百年は生きないとだめよ。あなた、わたしの聖騎士なんだから」
「百年も?」
「そうよ。あ、賢者の石使っちゃう?」
「賢者の石……。でも、そうすると主のもとに行くのが遅くなる」
それは、そう。
きっと、死はおわりじゃない。
フランスは、マーガレットが目指しているだろう光への道を思い出した。
とにかく、今できることをしないとね。
フランスは、楽しみになって言った。
「アキテーヌに行くことになったら、頑張ってお金ためて、小さな教会をたてない? わたしたちの奉仕活動の拠点よ」
「いいな」
「また、やりたいこといっぱい考えないとね!」
「やりたいことは、ある」
「え! そうなの!? 何、何?」
フランスがシトーの顔をのぞきこむと、シトーが優しい顔で言う。
「病める時も、健やかなる時も、また、困難なときも、喜びのときも、すべてをあなたと分かち合い、あなたを愛し、敬い、慈しむ」
「それは、やりたいことには入らないわよ」
「なぜ?」
「だって、もうお互いにそうしているもの」
「……」
しばらく、シトーはフランスの顔を見つめた。そうして、納得したように、ゆっくりうなずいて、言った。
「そっか」
シトーが、すごい笑顔をした。
今まで見たことない、思いっきりの笑顔。
なぜか、泣きそうになるほど、嬉しいと思ってしまう、最高の笑顔だった。
フランスは、涙がこぼれないように、廊下の壁の上のほうに目をやって、明るく言った。
「何もないところに教会をたてるの、大変だろうけど、楽しいわねきっと」
「フランスと一緒なら、どこでも楽しい」
「わたしも、シトーと一緒なら、どこでだって楽しい」
フランスは、シトーの笑顔を見ながら思った。
主の愛は、どこまでも、はてしなく、誰にも手をさしのべて下さる。
シトーにも、フランスにも。
フランスにとっては、故郷を追われ、不安に生きる中、慰めも癒しも安らぎも与えて下さったのが、主だ。不安ななか、何度も聖書を読んだ。御言葉は、いつも、フランスに何かを与えてくれた。
ひもじいときや、冷えてつらいときには、神にたよった。
家族も故郷も身分も失われても、すべては与えられたと感じる。贅沢過ぎるほどの、たくさんの愛を、与えられた。
教国のように、同じ考え以外を排除するという考え方は、フランスには持てない。でも、たしかに、神を信じることで、救われると感じることはある。
必要とする人には、伝えたい。
それは、縛りつけて教えるようなやりかたではなく、主の愛のように、寄り添って、ともに学ぶようなやりかたで。
フランスは、あらためて、自分の聖女としての道を、明るい気持ちで見つめた。




