第409話 シャルトルとのおはなし 後編
フランスは、目の前でくすくす笑う、シャルトルの顔をじっと見た。
美しい、その顔。
シャルトルブルーにかかる、豪奢なドレスのような睫毛。きわだって優秀に見える通った鼻筋。女性的にも、男性的にも見える、不思議な唇。肌はきめこまやかで、まるで陶器で作られた美しい人形のようにも見える。
でも、今、はじめて、フランスは、そのシャルトルの姿が、生々しく感じられた。
高貴な花の香りにまじって、わずかに香るぶどう酒の香り。
花の香りだけだと思っていた香りも、よくかぐと、そうじゃない。人が持つ、じっとりとした温度感まで、感じるようだった。
大天使様じゃないんだ。
目の前にいる人は、自分とおなじ人だ。
フランスは、近くにあるシャルトルの頬にちょんと、触れてみた。
人の温度がある。
今まで、まるで夢まぼろしの中のもののように思っていたかもしれない。
でも、そうじゃない。
目の前にいる人を、自分は傷つけた。
「シャルトル、ごめんなさい」
「そうはっきりと言われると、さらに傷つきます」
うわーん!
こんな時、どう答えるのが、優しい事なのか分からない!
シャルトルが、笑顔で言う。
「まだ、好きと言ってくださいますか?」
「……」
フランスは、何も言えなかった。
シャルトルが、表情を変えずに言った。
「じゃあ、嫌いと言ってくださいますか?」
「き……、きらいです」
フランスの両目から、ぼたぼたっと涙が一気に出た。
嫌いなんかじゃない。
でも、このフランスとかいう最低の大馬鹿野郎のことは、早急にシャルトルの心から退けないといけない。そういう気持ちだけを頼りに、フランスは『きらい』と言ったが、心までは追いつけなかった。
追いつけない気持ちが、涙になってあふれていくようだった。
シャルトルが、フランスの耳元に唇をよせて懇願するように囁く。
「でも、わたしの顔は好きでしょう? ね? 好きと言ってください。おねがいです、フランス」
「すーーーーッ……きらいですぅぅ」
危なかった。
シャルトルが顔をすこしはなして、フランスの顔を見る。
フランスは。どばどばっと出る涙を止められないまま、無理矢理顔をしかめて「きらいです」を繰り返した。
唐突にシャルトルが吹き出した。
ははは、と口をあけて笑いながら言う。
「その顔!」
あんまり、天真爛漫な、くったくのない笑顔に、思わず涙が止まる。
シャルトルがおかしそうに言った。
「泣いた顔もかわいいです」
「シャルトルは、酒臭くてもかっこいいです」
「失礼な。そんなに酒臭くありません」
シャルトルが、フランスの両頬にやさしくふれて、涙をぬぐうように、右にひとつ、左にひとつ、頬にキスした。
「あなたのことが好きです、フランス。とても。心から。誰よりも、心ゆるせる笑顔だった。母に、すこし似ています。前にも、言いましたね」
「あなたが持つ思いとは、異なりますが、わたしも、あなたが好きですシャルトル。誰よりも、気高くて力強く、輝いて見えます。あこがれのシャルトル聖下」
ふたり、見つめ合う。
シャルトルが、すこし考えるようにしてから、明るい声で言った。
「今ちょっと思い直しました」
「え?」
「イギリス陛下も、百年のおあずけをくらって、実質ふられたようなものですし。今は、あなたは、まだ、誰のものでもない」
「は、はあ」
「できるだけ、この美しい姿でいる間に、あなたを誘惑したら、もしや好きと言ってくれるかもしれませんし、そうやってあなたのことを困らせたり、たまには泣かせたりするのも楽しいかもしれません」
「……えっ?」
「ちょっと、くせになっているかもしれないです。あなたの、泣き顔」
「……ええッ」
フランスが困惑していると、シャルトルが輝くような笑顔で言う。
「あなたが、いちいちわたしの言葉に反応して、笑ったり、泣いたりするのが、可愛くてたまらないんです」
至近距離で微笑まれる。
酒のせいか、かすかに赤い頬、笑いすぎてかうるんだ瞳で、じっと見つめられると、妙にどきどきする。
これは、まずい……。
まずいと思う……。
イギリスとの百年戦争だってあるのに、こんな……。
こんな!
ご褒美みたいなやつ!
ああ、主よ!
あわれなるこの、ひとりの、聖女として百年生きようと誓った女の心も貞潔も、かたくお守りください!
シャルトルが言った『唇を吸ったら』の言葉が頭にこびりついて離れません!
唇って、吸うものだったんですか!
そうなんですか⁉
すべての道を、あなたは照らしてくださいます。
まことに、まことに!
アーメ――ンッ‼
……。
いや、よくない。
シャルトルには、もっとのぞみのある相手のことを、思ってもらわないと。
フランスは、心に悪魔をやどして、表情を消し去り言った。
「わたしは、シャルトル、あなたにはひとつの興味もありません。迷惑なので、やめてください」
シャルトルが余裕の表情で言う。
「主の前に、真実のみを言ってください。わたしの顔は、誰よりも一番好きですよね」
そんな聞き方ずるい!
主の前に偽りは置かないと誓っているもの!
「くぅぅ……好きです」
「へえ、良い方法を見つけました。主の前に真正直な心で答えてください。本当に……、迷惑ですか? あなたが、そう思うのなら、二度とあなたに近づかないでおきましょう」
「……」
偽りはおけない!
でも、期待させるようなことは言いたくない!
フランスが選べたのは、ただ、沈黙だった。
シャルトルが、じっとフランスの表情をうかがうようにする。
しばらくそうしてから、シャルトルが、見たことのないちょっと気弱な表情で言った。
「ちょっと、ほっとしました。迷惑だと言われたら、泣いていたかもしれません」
うわーん。
聖下が泣く⁉
そんなの……‼
今、聖女の力があったら間違いなくこう言っていた。
聖女フランスの腹は、激しく痛む‼
激しく、痛めぇッ‼




