第408話 シャルトルとのおはなし 前編
フランスは、ロビンと話をしたあと、ひとりで部屋を出た。
庭園のほうへと歩く。
ガルタンプ大司教の邸宅にある庭園は、これまたギラギラの作りだったが、月の光の下では、そこまでどぎつい感じはしなかった。
金色のギラギラを、月のさめざめとした夜の光が、青みがかった輝きのなかに沈めている。
「夜に見ると、なかなか良い感じかも」
風が吹く。
花の香り。
あこがれを思い出させる、高貴な花の香りがした。
花園の真ん中におかれた、優美なつくりの東屋に人がいた。
美しい男のような姿をしている。
シャルトル……。
シャルトルは、ひとり、東屋の柱にもたれかかるようにして、月が照らし出すそこらの景色を眺めているようだった。
フランスが近づくと、シャルトルが気づいてゆっくりと振り向く。
美しい笑顔と、夜にすら輝きを失わないシャルトルブルーの瞳がこちらに向けられた。
「フランス、まだ起きていたんですか」
「ええ。眠れそうになくて、散歩を」
「同じですね」
フランスは、シャルトルに近づいて、東屋にある小さな石造りのテーブルの上に、酒の瓶と、グラスが置かれているのを見た。
「飲んでいたんですか?」
そう言えば、フランスがこの邸宅に到着した時にも、シャルトルはすでに広間で飲んでいた。
めずらしいわね。
聖下が、お酒を飲まれるなんて。
そんなところ、あまりお見かけしないのに。
フランスがまじまじと見つめている視線に気づいてか、シャルトルが苦笑して言う。
「たまには、こうして飲みたい日もあります」
「何か、心に思うことがあるのですか?」
「聞いてくださるのですか?」
「シャルトルのお話なら、いつでも聞きます」
「ふうん」
シャルトルは、うすく笑顔をつくって、フランスを見たあと、花園の景色に目をやった。
沈黙がおとずれる。
だが、居心地わるくはなかった。
月夜の庭園で、憂う美しいひと。
最高。
永久保存。
フランスは、またしてもまばたきを最小限におさえて、シャルトルの美しい姿を目に焼き付けた。
シャルトルが、唐突に言った。
「多分、失恋しました」
「……」
フランスは、しっかり聞いて、しばらくぼんやりしてから叫んだ。
「エッ⁉」
シャルトルが、失恋⁉
どこのどいつが‼
どこのアホたれが、シャルトルをふったというの‼
シャルトルは、憂鬱なためいきをひとつついて言う。
「自分でも、ここまで自分が傷つくとは、思ってもみなくて。今、とても、つらいんです」
「そ……」
そんな……。
どこのどいつだか、聞き出して、ゲキハライタオウトをくらわせてやりたい。もうその力はないけれど。
よくも、この美しく気高く誰よりも崇拝されるべき大天使様を、傷つけてくれたわね!
いや、でも、そんなやつには、聖下を渡せないわ!
もったいないわ!
フランスは、腹の底にメラメラ燃え上がる殺意みたいなものは押し隠して、言った。
「その……、長く思われていたのですか?」
「実のところ、よく分からなくて。ずっと、恋愛というものは縁遠いものだと思っていました。それに、気をつけてもいました。あまり、誰かに心をかたむけすぎないように。でも、気づいたら、囚われている」
シャルトルが、庭園を見つめる瞳に、月の光がさしている。
「いつのまにか、どうしようもないほど、脱け出せなくなる」
それは、いつか聞いた言葉だった。
シャルトルと、はじめてリンゴちゃんに乗って、お菓子をもって孤児院の近くで景色を眺めていた時だ。シャルトルの深い泉のような真っ青の瞳に、ひきこまれそうになった感覚を思い出す。
シャルトルブルーが、彼女の手元のグラスに向けられる。
「今も、抜け出せないまま、ただ傷ついて、ひとりで酒を飲んでいます」
フランスはそれを聞くと、いてもたってもいられず、憤慨して言った。
「あなたの魅力を理解しない、ひどい人です」
「そう。とても、ひどい人なんです。ずっと、わたしのことを好きと言うのに、それは全部本気じゃないんです」
フランスの腹で燃え上がる炎が、もはや喉元まであがって来て、フランスは思わず、威嚇するように言った。
「どこのどいつですか! その最低の大馬鹿者は‼」
「あなたですよ」
「……」
シャルトルにぴっぴっと指で簡単に示されて、フランスはぽかんとした。
え?
……え?
えっと……、……え?
「わ、わた、わた、わたし、え?」
フランスが、ぽかんとしながら、自分を指でさすと、シャルトルが、腕を組んで、やれやれと疲れたように言う。
「言わずにいるつもりでした。でも、あなたが、あんまり何も気づかないのが、なんだか腹が立ってきました。すこしも、わたしのことを意識してくれないのですから」
「そ、そんなことありません! そんな! 意識しないなんてことはありません!」
シャルトルが、力なく微笑んで言う。
「うそつきの、ひどい女ですね、あなたは。本当に、なんとも思っていないくせに」
「な、なんとも思っていないことはないです。でも……、あなたは……、特別だから……」
特別な、大天使様だから。
「特別なんかじゃない。ただの人です。あなたに微笑まれると嬉しくて、あなたが他のひとを思うと、寂しい」
「……」
「女同士、こういうふうに、思うことは、いけないことでしょうか?」
「いけないことだとは、思いません。でも……」
シャルトルが一歩、フランスに近づく。
なんとなく、その視線がこわくなって、フランスは一歩下がった。
シャルトルが一歩ふみだすごとに、フランスは一歩下がる。
フランスの背が、東屋の冷えた石の柱にあたった。
間近に、シャルトルブルー。
シャルトルが、ささやくように言う。
「あなたが言う好きと、わたしがあなたを好きだと思う気持ちには、大きな隔たりがある。フランス。わたしは、あなたに、触れてみたいと思っています。その愛らしい唇を吸ったら、あなたがどんなふうにするのか気になる。男女の睦ごとのようなことを、あなたとしたら、一体、どんなふうに、わたしのことを呼ぶのか……、気になります」
「……」
「顔が、真っ赤ですね」
「……」
フランスは、しばらく何も言えず口をぱくぱくやったあと、叫ぶように言った。
「わ、わたしは! 最低の大馬鹿者です‼」
今の今まで、ひとかけらもそんなふうに思ってもらえるとは思いもせず、ただ自分の、不埒な好きをぶつけていたなんて。
フランスが、泣きそうになって「大馬鹿者のど阿呆です‼」と繰り返すと、シャルトルが、急に力を抜いて、ぷっと笑った。
「その顔も可愛いです」
くすくす笑うシャルトル。
せ、聖下ぁあ。
うわーん。




