第395話 こんな時に、思い出すのは
フランスは、思わぬ突然の知らせに、固まった。
目の前にある地下牢の鉄格子をつかんだ手が、冷たいはずなのに、感覚が遠のくような感じがする。
捕らえられ、閉じ込められている、地下牢のすべてが一瞬、遠くにぼやけたような感覚に、フランスは、ぐっと手に力をこめて耐えた。
フランスの目の前で、ガルタンプ大司教は、疲れたようにため息をついて言った。
「ずいぶん手は尽くしましたが、どうやら現教皇聖下は、あなたを処刑して強い姿勢を見せることで、教国の権威を取り戻せると、かたく信じているようです」
見せしめ。
結局は、見せしめとして、そういう判断になったのね。
ガルタンプ大司教の目の下には、疲れからか濃い影がある。
「一部の司教座のものや、聖女たちもずいぶんと、聖女フランスを処罰することに反対していましたが……、それが、逆効果になったようですな。反発するものがいるほど、現教皇聖下は、お気持ちを固くされたようです。それに、どうやら帝国の反応がこわいようですな。皇帝を害した女を始末したいという思惑もあるのでしょう。まったく……、肝のちいさい男だ」
「……」
ガルタンプ大司教は、決して気の毒そうな顔はしなかった。
ただ、まっすぐにフランスを見つめて、つづける。
「あなたの侍女と聖騎士は、昨日教国をたちました。シャルトルと一緒に」
良かった。
フランスはそれを聞いて、肩の力を抜いた。
おそらく、処刑になると知って、シャルトルはアミアンとシトーを逃がしてくれたのだろう。どうやって説得したのかは、分からないが、きっとあのふたりなら、残ると言ったに違いない。
シャルトルは、それを説得してくれた。
感謝いたします。
それに、ガルタンプ大司教にも——。
残酷な報告を本人に報せるのは、きっと骨が折れることに違いない。それなのに、こうして来てくれた。
ガルタンプ大司教が声を、すこし優しくして言う。
「弁護人の男たちも、わたしの屋敷で安全に配慮していますから、ご心配なく」
「ガルタンプ大司教、心から感謝いたします。こうして、教えてくださって」
彼がきてくれなければ、フランスは、おそらく何も知らないまま、処刑の日を待つことになったかもしれない。
そういえば、シャルトルが教皇の座を追われたあと、フランスが帝国に発つまで、どんな横槍もなかったのは、もしやガルタンプ大司教が守ってくれていたのだろうか。
そうできる権力を持つものは、フランスのまわりには彼くらいしかいなかった。
なんとなく……、そうだろうという気がした。
フランスは、ひとつ息を吐き、心を落ち着けて聞いた。
「処刑は、いつ執行されるのでしょうか」
「三日後です」
三日……。
そんなに、すぐに……。
フランスは、ガルタンプ大司教が去ったあと、ひとり、牢の中に立ち尽くした。
こんなに、なんてことない感じで、気づいたら隣にいる、みたいにして、来るのね。終わりは……。
もしかして、良い結末がおとずれると、信じていた。
最後は、笑って終われると、思っていた。
恥ずべき行いではなく、真心を持って、力を失った。
それを、主は、罪に定めたりなどなさらない。
そんなふうに思っていた。
思い上がりも甚だしい。
御心をはかるなど。
フランスは、目の前にある鉄格子を、両手で握りしめた。
ざらりとした感触。
ひんやりと熱をうばう、冷たさ。
血のような、鉄の香り。
死をのぞんだわけじゃない。
明日を望んだ。
まだ、しばらくは終わらない、明日の連続を、望んでいた。
「……」
フランスは、じっと、鉄格子をつかむ自分の手を見つめた。
血の通う、手。
もし処刑が決まったら、おそろしくて泣くかもしれないと思っていた。でも、フランスの目にこみあげるものはなかった。ただ、しんと静まり返った心で、血の通った手を見つめている。
まるで他人事のように。
フランスは、手が冷え切るまで、じっとそうしていた。
ガルタンプ大司教がおとずれた日をさかいに、ロビンも来なくなった。シャルトルが一緒に帝国へ連れて行ってくれたのだろうか。
そうであってほしい。
無事に、帝国にもどれますように。
そうして、みんなの無事を祈りながら、あっという間に、三日が過ぎた。
処刑の日の朝、いつもより、すこしだけ豪華な食事が出た。
といっても、パンとチーズと、すこし質の良いワインが一杯だけだったが、いつものカビかけたパンよりは、そうとう良い。
カビかけのパンくらいじゃ、お腹壊したりしないけど。
「今日のパンは、焼きたてだわ」
風呂にも入れた。
「汚れたまま、連れて行かれるんじゃないのね。一応、元聖女だから、配慮されているのかしら」
くさいまま、処刑台にあげられるんじゃなくてよかった。
服装も、質素だが、清潔感のある服が用意されていた。
シャルトルの時より、いくらかましかも。
大罪人じゃないから?
え、大罪人じゃないわよね?
ガルタンプ大司教に聞かなかったけれど。
そこまでじゃ……、ないでしょ。
多分。
……。
処刑が目の前に迫ると、もっと恐ろしくて震えたりするのかと思ったが、あんまりのことに、なんだか現実感がなかった。
どうしよ……。
そうしようもないけど……。
フランスは、とりあえず、地下牢での思い出に、と思って大声で讃美歌を歌った。
見張りの男が、歌うたびに遠くにはなれる。
しっかりと身ぎれいになって、讃美歌で心を落ち着け、地下牢でまったりとひとり時間を満喫したあと、フランスは両手に縄をかけられ、大きなマントで頭からつま先まで隠されるようにして、数人の騎士たちに囲まれながら、移動した。
しばらく歩きつづける。
たどりついた先は、中央の町にある処刑台だった。
シャルトルが、大罪人とされた時に、あげられた場所だ。
大きな広場には、あの時と同じくらい、たくさんの人が集まっている。
フランスは、目深にかぶっているマントのすきまから、外の様子をのぞき見した。
たくさんの人。
ざわめき。
でも、どれも、小さい姿。
そして、処刑台には、薪が用意されている。
火あぶりか……。
火あぶりって、じわじわ、きそうよね。
やだなあ。
執行人と、いかにも権力を有していそうな男が、おそらく罪状を書き記してあるだろう羊皮紙を持って、処刑台の上にあがって来る姿があった。
フランスは、その様子を見ながら、たったひとりの事を思い出していた。
こんな時に、思い出すのは、彼の顔なんだわ。
イギリス。




