第385話 家族のきずな
フランスは、最後に、イギリスの額に祝福の口づけをおくった。
そうして、すこしの間、イギリスの寝顔を見つめてから、部屋を出る。
扉がすこしあいていた。
あら、たしか閉めたはずなのに。
フランスが扉をあけて外に出ると、すぐそこにシトーが立っていた。
「シトー……」
「一緒に行く」
フランスは、あいていた扉をふりかえってから、シトーの顔を見て言った。
「聞いていたの?」
シトーがうなずく。
フランスは首をふって言った。
「いいえ、一人で行くわ」
「一緒に行く」
「わたし、あなたにも、あやまらなきゃいけないの。黙っていてごめんなさい」
フランスは、シトーの顔を見上げた。
いつも通り、無表情なその顔。
「わたし、オーベロンが運命の魔法を使ったとき、ロビンの記憶を守るために、聖女の力を使ったのよ。オーベロンは、運命の魔法は強力な魔法だから、やめろと警告してくれたわ。力を、失うことになりかねないと。でも……、わたし、目の前で、震えて、父親のことを忘れたくないって言っているロビンのこと、放っておけなかった。わたしは……、聖女の力が、失われるかもしれないって知りながら、使ったの」
目の前の、シトーの顔がぼやけた。
「それで……、なくなっちゃった。わたしの、聖女の力、消えちゃった」
フランスは、震える声で言った。
「あなたは、癒された」
光は、おとずれない。
もはや、心をなでる光は、フランスのもとにはない。
なにも、癒すことはできない。
「ごめんなさい、シトー。あなたが、フルール・ド・リス騎士団に志願してくれたのに、わたし、聖女じゃなくなっちゃった。ごめんなさい」
シトーが、フランスの目の前にひざまずいた。
彼は、まっすぐにフランスを見上げて言う。
「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、聖女フランスにすべてを捧げ、生涯、忠誠をつくすと誓います」
騎士叙任式で、シトーが言った、誓いの言葉だ。
百合の紋章を抱くものを守り、生涯、忠誠を誓うものが、口にする言葉。
シトーは、ゆるぎない様子で、つづける。
「病める時も、健やかなる時も、また、困難なときも、喜びのときも、すべてをあなたと分かち合い、あなたを愛し、敬い、慈しむことを誓います」
「……」
フランスが何も返せずにいると、シトーが笑顔で言った。
「一緒に、いきたい」
優しい言い方だった。
フランスには、シトーの真心が、心の底から安心できて、嬉しいものだった。
だが、受け取る資格があるだろうか。
「でも……」
もはや、フランスは、シトーが忠誠を誓うべき『聖女』ではない。
シトーが、まっすぐに言う。
「聖なる力があってもなくても、フランスは、聖女だ。力は関係ない。聖女フランス、わたしは、生涯すべてをかけて忠誠を誓った。きみが、わたしの光だから。荒野をゆくときも離れない」
ぼたぼたっと、あふれた涙を、まばたきをして追いやる。
シトーが立ち上がり、フランスに視線を合わせて言う。
「困難なときも、そばにいる。きみは、そうしてくれた」
シトーが「それに」と続ける。
「わたしが捧げたすべてを、きみは、受け入れてくれると言った」
「……言ったわ」
「約束は、守らないと」
「……うん」
シトーが、袖さきでそっと、フランスの涙をぬぐう。
「わたしも、一緒に行きますからね」
横から聞こえてきた声に、フランスはびっくりしてそっちを見た。
「アミアン!」
「まさか、わたしを置いていこうだなんて、そんなの、ぜったい、ぜったい、ダメですからね」
フランスは焦った気持ちで言った。
「アミアンは残って!」
「なぜですか! シトー修道士はよくて、わたしがダメな理由を教えてください!」
「わたし、お嬢様は卒業するの」
「卒業?」
「そうよ。わたし、お嬢様はもう卒業する。アミアンは、もうわたしの侍女じゃないから、ダラム卿と結婚して、子供を生んで、幸せに暮らすのよ。めちゃくちゃかわいいアミアン的な男の子とか女の子とかをたくさん——」
アミアンが半目で言った。
「なんで、わたしとダラム様の結婚と、子供の話にまでとぶんです」
「わたし、アミアンに幸せになってほしい」
「わたしの幸せを勝手に決めないでください」
フランスは、大好きなアミアンの、美しい瞳を見つめながら言った。
「わたし、アミアンの記憶の中で見たの。アミアンが、一番安全だと感じる居場所。あなたが母親と二人で暮らしている森だった」
アミアンが、安全だと感じる場所は、フランスのいる場所ではない。
今なら、ダラム卿のそばが、そういう場所かもしれない。
それに……。
「わたし、あなたの安全な場所を奪ったわ。あなたが、母親と過ごす時間を奪った」
決して返せない、大切なものを奪った。
これ以上、アミアンから、何も奪いたくなかった。
「ごめんなさい。わたし、アミアンに、お嬢様と言って支えてもらっていい人間じゃない。何も、ちゃんと、見えてはいなかったの」
アミアンが、ひとつため息をついて、肩の力をぬいた様子で言った。
「今まで、一度も、お嬢様のそばを離れようと思ったことはありません。なぜか、分かりますか?」
フランスが首をふると、アミアンは笑顔でつづけた。
「お嬢様は、いつも、危なっかしい感じもするのに、一番大変な時には、ひとりで立ち向かおうとするんです。それで、誰もかれもを、助けようとする。で、全部、なんだかんだ、乗り越えちゃうんです。目が離せません。それに、愛さずにはいられない。ずっと、わたしのことを守ろうとしてくださいます。ただの侍女なのに」
「ただの侍女じゃない。家族よ」
「じゃあ、よけいに離れられませんよ。大切な家族だから」
アミアンが、シトーにも目をやって、笑顔で言う。
「三人、一緒の家族です」
「ダラム卿と離れることになるわ……」
「ダラム様と一緒にいて、ひとつすごく似ているなって思うことがあるんです。それがあるから、話が合うのかもしれないなってこと」
「似ているところ?」
「ダラム様もわたしも、お互いのことを大切にするのと同じように、そばにいて支えたい人がいるんです。ダラム様にとっては陛下が、わたしにとっては、お嬢様がそうです」
「でも……」
フランスが、まだ、受け取り切れずにいると、アミアンが、こわい顔をして言った。
「お嬢様! 正直に言わなきゃ、そろそろお尻をたたきますよ! 本当は、こわくて一緒にいてほしいでしょう?」
すぐに、笑顔に変わる。
「まだ、そう言ってくださいますよね?」
鼻の奥がつんとして、喉の奥がぎゅっとなる。
我慢しようとしても、次から次へと、涙があふれてくる。
震える唇から本音がこぼれた。
「本当は、こわい。すごく、こわいの。……一緒にいて」
「あたりまえです!」
シトーが笑顔で言う。
「三人、一緒だ」
三人で抱き合う。
アミアンは、フランスの涙をふきながら言った。
「ダラム様には、聖女の力のこと、言わないおつもりなんですね」
「ええ。ダラム卿はきっと、本当のことを言ったら、全力でわたしたちのことかくまってくれるはずよ。でも、わたし、教国の民にも、正直にいたいの。だってあそこは」
「家族がいる場所、ですもんね」
「うん。わたしの、ふたつめの故郷だから」
フランスは、アミアンとシトーの手を握って、自分をふるいたたせるように言った。
「教国に戻って、正直に、話すわ。何があって、力が失われてしまったのか」
ひどくおそろしい心地はそのままだが。
さっきよりもしっかりと立てる。
一緒に立ってくれる人がいるから。




