第384話 聖女が失ったもの
フランスは、ダラム卿と会ったあと、シトーとアミアンを呼んで話をすることにした。
「わたし、ひとりで教国に戻ろうと思うの」
フランスの言葉に、アミアンもシトーも、同じように眉をよせて言う。
「わたしも一緒に行きます」
「一緒に行く」
アミアンとシトーは、そう言って、フランスをじっと見ていた。
フランスは落ち着いて言った。
「いいえ、今回に限っては、ひとりで戻るわ。落ち着いたら、ふたりのことを呼ぶから」
アミアンが納得いかない顔で言う。
「なぜです」
「教国での裁判は、帝国で行われるようなものじゃないと思う。おそらく、ほとんど舞台みたいなものよ。帝国が満足する程度に裁判をして、聖女を取り戻そうって魂胆かもしれない」
「それなら、一緒に行っても問題ありません」
「いいえ。今は、聖女フランスの後ろ盾は、教国にはないわ。どんな嫌がらせや、横槍があるか分からない。聖女であるわたしは、守られるとしても、その側にいるものの安全までは……、誰も保証してくれないわ」
アミアンがすこし考えて言った。
「ブールジュ様を頼りましょう」
「だめよ。ブールジュも他の聖女も、シャルトルを帝国に逃がした時に、一度、騒ぎをおこしている。結果的に、あの騒動はうやむやになったけれど、なかったことにされたわけじゃない。また負担をかけるには、時期が早すぎると思う。それに……」
フランスは、ともだちが、立派に前を向いて宣言した姿を思い出した。
はっきりと、自分のゆく道を、それも難しい道を公言した姿は、すごく、まぶしかった。
「わたし、ブールジュが女教皇になるって信じているの。だから、足かせになるようなことはしたくない」
「でも……」
「大丈夫! 教国では聖女をどうこうしようなんて、ないわよ。教国までもどる途中の道中のほうが危なそうってくらい。前回のことがあるから、そこは、帝国側も教国側も慎重になっているはずだし。大丈夫よ」
シトーが頑なな表情で言った。
「一緒に、行く」
「だめ。ふたりを守りながら裁判を受けることはできない。分かって」
「……」
「……」
*
その日の夜、フランスは、イギリスが眠る部屋を、ひとりでそっとおとずれた。
イギリスはしずかに、ベッドに横たわり、眠っている。窓からさしこむ、月のあかりが、イギリスの長いまつげに影をつくっていた。
雨は、やんでいた。
「まるで、あの時みたいね」
赤い竜の呪いを受けて倒れたイギリスのそばに、しばらくいた日々を思い出した。
フランスは、イギリスのそばにいって、その頬に触れた。
あたたかい。
「あの時のほうが良かった。こんなに不安じゃなかったわ。あなたが目覚めることは、知っていたもの。いまだって、目覚めるって信じているけれど……。先を知っているのと、いないのとじゃ、ずいぶん違うわ」
イギリスの額にかかる髪にそっと触れる。
「まだ、ヴラドが見つからないのよ。シャルトルたちも。どうしよう、イギリス。とっても、こわいの」
イギリスのまぶたは、しっかりと閉じられている。
わずかにでも、開きはしないかと、フランスはそのまぶたを見つめた。
「イギリス。あなた、国中から大切に思われているわ。みんな、あなたが失われてしまうかもしれないと思って、きっとおそれている。今の生活が、なくなるんじゃないかって。あなたが、強い力で守ってきたものが、失われてしまうんじゃないかって……。彼らがわたしに怒るのは、あたりまえよ。帝国は、あなたが、三百年も倒れずに守ってきた国だもの」
眠るひとのまぶたは、動かない。
「それなのに、あんなに、ためらいなく、赤い竜の力を手放すなんて」
イギリスは、ひとつもためらうことなく、赤い竜の力をオーベロンに返した。
でも……。
でも、生きたいと、言ってくれた。
イギリスが、あそこで、赤い竜の力を手放した時、一瞬、このまま眠らせてあげるべきかもしれないとも思った。
人が生きるよりも、長い時間を生きてきたイギリスにとって、もしや死は、優しいものかもしれないから。
でも、生きたいと言ってくれたから。
生きてほしい。
一緒に。
「あなたは、癒された」
光は、おとずれなかった。
何も、心のうちに、おとずれはしない。
気づいていた。
運命の魔法から、ロビンの記憶を守ったあの時に、フランスの聖女としての力は、完全に失われた。
あのとき、フランスの喉から、不思議なひびきのある声が出た。フランスが考えた言葉ではなく、ただ、どこかから、発せられた言葉。その言葉が放ったのは、あまりに強い光で、人が触れてはいけないもののような気さえした。
はじめて、自分がそんな言葉を発することを……、おそろしく感じた。
そうして、フランスは聖女としての力を失った。
この状態で、教国にもどれば、ひどいことになるだろう。
「聖女は教国に尽くす者。聖女の力は、教国のために使われるべきもの。人と妖精の間に生まれた友人ひとりのために、聖女の力を失ったことは、罪かしら」
フランスは、イギリスののどの、男らしい形にふれながら、もう片方の手で、自分ののどにふれた。
「わたし、罪をおかしたとは思わない。けれど、教国のものたちが、失望するだろう気持ちもよく分かるの。みんな、聖女に期待して、正しい姿を望んでいる。それは、邪悪な心からじゃない。きっと、願いのような、祈りのような気持ちだと思う」
男らしいのどのでっぱりを、なでてみる。
「わたし、すごく長い時間を、教国で育ったわ。嫌なこともいっぱいあったけれど、良いこともたくさんあった。あの国が、好きよ。あの国にいる、家族も好き。わたしが知る、あの国の人たちは、みんな一生懸命に生きている。わたし、聖女の力をたよりに思っている彼らの知らないところで、力を失ってしまった。だから……、事実を伝えに行こうと思う。それが、罪とされるなら、その罪とも、向き合ってみようと思う」
フランスは、そっと、イギリスにふれていた手をはなした。
「わたし、しっかり裁判、受けてくるね」
そう言ったものの、不安になって、イギリスの顔を見つめて言う。
「アミアンとシトーのことは、ダラム卿が守ってくれるわよね」
聖女の力を失った状態で、アミアンとシトーを一緒に連れて行けば、ひどいことになるのは目に見えている。
侍女であるアミアンは、誰の保護も受けないだろうし、聖女フランスに忠誠を誓うシトーは、一緒に罪に問われる可能性もある。
「すっごくこわいの」
イギリスは目覚めない。
「何か言ってよ、イギリス」
月の光が、物言わぬイギリスの顔を照らしていた。




