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5. 悪口のセンス

 

「……どうかしたの」


「どうしたもこうしたもないぞ。最初から疑問に思っていたが、そなたなぜこのような場所にいるのだ」


「なんの話かしら」


 ズィの言いたいことは想像がつくが、とりあえずわからないふりをする。


 いちいち説明したいとも思わないし、そもそも本当に時間がないのだ。

 晩餐を主催する王太子たちに配慮しているわけではなく、遅れることで面倒が起こるのを極力回避したい。


「時間がないから私は行くわ。もしかしたら私がいない間に誰か来るかもしれないから、そうしたら先ほどみたいに姿を消すように——本当に大丈夫なんでしょうね? ああ、あるいは出ていってそのまま帰らなくても一向に構わないわ。私があなたの存在によって得る利益は無いみたいだし」


 ズィの知識や不思議な力をマレの目的のために役立てることはいくらでも可能だろう。


 だがマレは、それを一人で果たさねばならないのだ。


(そうすることは、最初から決めている)


 突き放したマレの言葉に反応を示さないズィに、マレもまた何かを言うこともなく、ほとんど終わらせていた準備を仕上げて部屋を出る。


 回廊を進んで区画の境界を通ると、廊下の影に先ほど先に行くようにと伝えたはずの従者が立っていた。


 マレが見えなかったフリをすると、背後に付き従うようについてくる。


「あら? 先に行くよう伝えたはずよね?」


「申し訳ございません。高貴なる姫君を、王城の内部とはいえ供もなしにご移動いただくわけには参りません。ご理解いただけると幸甚にございます。姫君のご伝言に関しては、別の者を遣いにやっております」


「供もなしに? おまえの目には、私の後ろからぞろぞろとついてくる近衛兵たちが見えていないのかしら」


「近衛兵はあくまで姫君の護衛をする者にございますれば。本来は従者や侍女をつけていただく必要がございますが、姫君は身の回りにそういった者を置くのを好まれないと」


 ——王太子殿下が仰っておられました。


 そう続いた従者の言葉に、マレはおまえがそれを言うのか、という感想を持った。


 その後は誰も何も話すことなく晩餐の部屋に到着し、従者が室内に声をかける。


 笑い声が響いていた室内は途端に静まり返り、一拍の後に内側から扉が開かれた。


 室内には男女二人とそれぞれの付き人がおり、男性——王太子ヴィンセントを除く全員がマレを向いて最敬礼を取っていた。


 カツ、と靴音を鳴らして入室したマレは、背後の扉が閉じられると同時に声を発する。


「ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、エメリア」


「ご機嫌麗しゅうございます。始まりの国の姫、エメリア様に神々の祝福がありますように」


「ありがとう」


 にっこりと笑ったマレは隣り合った二人の前の席に進み、フットマンによって引かれた椅子に着席した。

 同時にヴィンセントも着席し、最後に女性——テレーゼが席に着く。


 一連の行動に、3人の身分の上下が如実に表されていた。


 マレとヴィンセントが同等、テレーゼがその下である。


 一方で、それは権力の強弱を示すものではない。

 すなわち、ヴィンセントとテレーゼの行動は形式に則ったものに過ぎない。


「少し遅かったね。責めるわけではないのだけれど、僕たちは忙しい身の上にある。もちろん君が嫌だと思うのであれば僕のお願いを聞く必要はないけれど、晩餐が始まる時間くらいは守ってもらえると助かるな」


 そうでなければ、食事が始まると同時に始められた会話の中身にヴィンセントはこのようなものを選ばないし、テレーゼはそれに冷めた目で無反応を決め込むはずもないのだから。


『この男は頭が沸いているのか? すでに間に合わないのが確実な時に晩餐の時間を変更したのはそちらでは?』


 いつも通り反駁を飲み込んで適当に相手をしようとしたそのとき、マレの耳には聞きたくなかった声が聞こえた。


 ヴィンセントとテレーゼの席の間に、突如ズィが現れたのだ。


 マレ以外に彼が見えている者はいないようで、ズィはじろじろと2人の顔を覗き込んでいる。


(なぜここに……!)


「エメリア、聞いているのかい?」


「——ああ、遅れてしまった件ね? ごめんなさい」


 マレは咄嗟に、にこにこと笑って軽く謝る。


「やっぱり、エメリアも使用人の一人はつけるべきだと思うよ。時間の管理をしてくれる人が必要だろう。誰か希望する人はいないのかい?」


「ヴィンセントも知っている通り、私の部屋は研究資料でとても散らかっているの。勝手に片付けをされても困るし、使用人がまともに働けるほどのスペースはないわ?」


「とはいえ、今日の遅刻を考えるとエメリアが全てのことを一人でできていないのは事実だろう」


『頭が沸いているどころか、沸騰した結果湯気になって霧散してしまったのか?』


(湯気……)


 中々センスのある悪口だ。直接的過ぎるので社交の場での皮肉には適していないが、嫌いではない。


 どうでも良いことを考えつつ、頭が霧散してしまったらしいヴィンセントに対し、使用人の件をどのように断ろうかと思案する。


「——でもねヴィンセント。思い直したのだけれど、やっぱり今日の晩餐の開始時刻は本来あと半刻遅かったはずよ? あなたの従者が伝えに来たときには間に合わない時刻になっていたし、私、時間の管理は普段きちんとできていると思うの」


 滅多に反論してこないマレが首を傾げながらではあるもののそう言ってきたことに驚いたのか、ヴィンセントとテレーゼは少し目を細めた。


 すぐに表情を取り繕ったが、適当なことを言えばマレを言いくるめることができると考えていたのはあからさまだ。


「ああ、それもきっと取り次ぎが上手くいかなかったのが要因だろう。僕の使用人が君宛ての伝言を預かった場合、本来は君の使用人を通じて拝謁の許可をもらうのが筋だ。しかし君のところは、近衛兵が敷地の境界の管理をしているだけだろう? 僕の使用人が僕のところから遣わされた者なのか、持ってきた伝言が途中ですり替えられていないかといったことを確認するのに余計な手間がかかるんだよ。エメリア、君は自分が思っているよりも厳重に守られる必要のある高貴な姫なのだからね」


 行動を制限されるのを嫌がるお転婆な妹姫を見るように言うヴィンセントの目には、慈愛の感情すら浮かんでいる。


 10年前から共に王城で暮らしてきたのだ。もはや家族のような仲であり、ヴィンセントは度々公の場でマレを妹のように扱った。


 それゆえに、将来皇后となるのがマレとはされつつも、ほとんどの人々は実質的な妻としての役割を果たすことになるのがテレーゼであると認識している。


 社交界においてマレに向けられる視線が好悪混じっているのはそれが一つの原因であると言えよう。


「父上や母上も君のことを心配している。それに、最近体調を崩すことが増えたようじゃないか。今日も顔色が悪いような気がするけれど、大丈夫かい?」


「まあ、心配をかけてしまったかしら。確かに、言われてみれば少し最近は体調を崩しやすかいもしれないわね」


「体調面でも、きちんと君の世話をする使用人がいた方が良いだろう」


(私が体調を崩すのはあなた方がそう仕向けているからだけれども)


 心から心配しているのだという声音でヴィンセントが告げる。


 他方、テレーゼは感情の読めない穏やかな微笑みを浮かべるだけで、先ほどからマレとヴィンセントの会話に一言も口を挟むことがなかった。


 将来の側妃という自らの立場を自覚して控えているということであろうが、ほぼ全ての事情を把握した上で笑っていられるということが何を意味するのか、マレは知っているのだ。


 使用人をつけることによって王太子や王が目論んでいるのはマレの監視の強化だろう。

 自分たちの管理下にある者をマレの身の回りに送り込むことで、マレの行動を見張ろうとしているのだ。


「どうだろうエメリア。いっそ僕のところの使用人を連れていくかい? 先ほど君に遣わしたアンドレ・スタンリーなんか、よく気の利く従者だよ」


「ヴィンセントに仕えている者は皆、あなたのところで働けることを誇りに思っているわ。私の宮に来ることになったら恨まれてしまうじゃない」


 冗談めかしてヴィンセントの提案を流す。


 よく躾けられた間諜を送り込もうという意図があからさまである。


 マレがそれに気がついているとヴィンセントらが気がついていないのはひとえに、鈍感で人の善性を純粋に信じる箱入りお姫様を演じ続けてきた彼女の努力ゆえである。


「そんなことはないと思うけど。では、父上や母上のところから紹介してもらおうか?」


「同じことよ。両陛下に仕えているだなんて、一族の栄誉じゃない」


「……それではエメリア様、我がアンジュー公爵家から紹介いたしましょうか。王城の使用人に比べるとお恥ずかしい限りではありますが、我が家の者たちも優秀でよく働くと自負しております」


 ここにきて、テレーゼが唐突に口を挟んだ。


 なるほど、今日の晩餐会の目的は何としても自分たちの息のかかった使用人を送り込むことであるらしい。


 先日、マレはこの国で成人とされる15歳の誕生日を迎えた。

 マレが()調()()()()()()()()()()のもその少し前からだ。


 少しでもマレの存在による脅威を抑えたいのだろう。成人を過ぎれば政治上の様々なことに関わることができるようになる。


 愚かな姫を演じてきたおかげでマレ自身が王家に謀反を起こすというような心配はしていないだろうが、フィラン公爵家の姫を利用して王権を脅かし自らの地位を高めようと考える貴族はそれなりにいる。

 マレが愚かであるがゆえに、傀儡として利用される懸念は大きいのだ。


 そしてテレーゼの提案は、城の使用人をマレが追い返すから、マレが断る口実を減らすためにアンジュー公爵家の協力を得ようとしたということだろう。


(さて、面倒な)


 愚鈍な振りを続けつつ、どのようにしたら断れるか。


 そう考えたとき、マレの顔を横から覗き込みながらうだうだ言っている男の存在を思い出した。

 意識から阻害していたので、その文句もあって喚いていたズィの騒がしさに我慢ならなくなったとも言う。


『マレ! そなたの部屋は私が使う予定だから、変なやつが入ってくるのは困るぞ!』


 食えない笑みを浮かべる正面の二人と、真横で世迷言を宣う変なやつ代表。


 マレは今すぐに部屋に戻って眠りたくなってきた。


 何より、先ほどから本当に体調が悪くなってきたのだ。

 おそらく先ほど供されたポタージュに何か入っていたのだろう。


 言動に影響が出るほどではないが、思考が鈍ってきているのが分かる。

 この状態で言いくるめてしまおうという意図で毒を盛られたのは間違いない。


(ああそうだ……)


 良いことを考えついた気がするが、問題は神であるらしいズィにとっては屈辱的とも言えるであろうこの案に彼が協力するかどうかということだ。


(まあ、願い事を考えろと言われたし)


 ちら、とズィに視線を向けると、『お? マレ、水蒸気男とこの私、どちらを優先するべきかは当然分かっているのだろうな?』と言われた。

 それに神経を逆撫でされたマレは容赦なくズィを利用することを決定した。


「……エメリア? どこを見ているんだい?」


「失礼、何でもないわ。私の使用人の話でアンジュー嬢にまで迷惑をかけるわけにはいかないわね。城の使用人の中から適当に一人選ぶことにするわ。この話はそれで良いかしら」


 これまで付けられた使用人を残らず追い返してきたマレが突然素直になったことに驚きつつ、ヴィンセントがこの機会を逃すことはなかった。


「ああ、上級使用人の中から選ぶのだよ。決まったら教えてくれ」


 城で働いている者であれば素性がはっきりとしており、命じればマレの監視役も務まると考えたのか、ヴィンセントはそれ以上口を出すことはなかった。


 その後は別の話題に移り、表面上は和気藹々と食事が続けられる。


「——そろそろ私は失礼するわ。先ほどヴィンセントも心配してくれたけれど、やっぱり何だか気分が優れなくて。先日のパーティーの疲れがまだ残っているみたいね」


「ああ、そうか……よく休んでくれ」


「お気遣いありがとう。テレーゼ嬢も、先に失礼するわ」


「始まりの国の姫、エメリア様に神々の祝福がありますように。どうぞ、お身体をお大事になさってくださいませ」


 再度礼を述べたマレは、フットマンが開けた扉から部屋をあとにした。


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