二十三話
休日ということもあってか、昼前なのに市場はにぎわっている。人の海みたいで酔ってしまいそうだ。そのせいでデートなんてマンチックな雰囲気にならず、なんとかはぐれないように買い物をするだけで精一杯。
「ご主人様、帝都はやはりすごいですね」
「ああ。俺もあまり市場には来ないが、改めて帝都にはたくさん住人がいるって実感していたよ。それよりもルウ大丈夫か?」
以前、帝都の匂い、特にたくさん人がいるところでは、匂いがたくさんあってつらいと話していたから。けど、ルウは頭を横に振った。
「慣れました。すごいと言ったのは、物がいっぱいあることです」
首を捻った。市場は露店が基本だ。店に出入りするのではなく、商品をそのまま木箱と棚、地面に置いて売り買いする。俺の生まれ故郷でもここまでではなかったが、どこでも普通だろう。
「私が住んでいた村はこのような市場がありませんでしたから。月に一度行商人が来ていましたが、このように大勢が商いをしているのは初めてです」
だからだろうか。通り過ぎる露店の商品を興味深そうにのぞきこんでいるのも、尻尾が勢いよく振られているのも。いとおしい! そんなルウを眺めているだけで幸せ。
「どれを買うんだ?」
ルウは熱心に同じ果物や野菜を手にのせて比べている。むむむ、と子供っぽい無邪気さと真剣さが同居したように苦悩している。そんなルウが最高にいとおしい。
「そうですねぇ。ご主人様はどれがいいですか?」
「俺? 俺はどれでもいいけど」
ルウがほしいものならいくらでも好きなだけ買っていい。
「それでは、こちらのとこちらの、どちらがお好きですか?」
片方はオレンジ、もう片方はりんご。正直どっちも嫌いではないが好きでもない。だから困ってしまう。
「う~ん。どちらでもいいぞ」
「それではこちらは?」
次はなすとズッキーニ。これも同じだ。
「・・・・・・これらの中では?」
トマト、アセロラ、パセリ、コーン、ブロッコリーキャベツ、レタス。はてはオリーブや使う小麦粉、卵、バター、牛乳。調味料に至るまで。あらゆる用途の食材、あらゆる露店に移動しながら示される。
「やはりたくさん物が集まるなぁ」
「感心してほしいのではなくどれか選んでほしいのですが」
不機嫌になってしまったのか、眉間にしわが寄っている。う~ん、どれかと聞かれても、特に好き嫌いはないし食べたい物とかこだわったことはないし。
「どれでもいいぞ」
「・・・・・・私の母が食事の献立で悩んでいたときと同じ心境になりました。どれでもいいが一番困るのです」
結局俺に選ばせるのは諦めたらしい。店の人と直接話してそして商品を手提げ籠に入れていく。
「なんかすまん」
「いえ。私がご主人様に期待していたのがいけなかったのです。間違えました、ご主人様のように食事という生き物がする当然の行為に意識を向けていない変人であるという認識を失念していたからです。これもおかしいですね。ご主人様が――」
傷つく。けどなんか懐かしい。暮らし始めたとき、こんな遣り取りしてたっけ。
「いえ、これは違いますね。これでは以前と同じ。整理をつけることもできません」
「ルウ?」
「なんでもございません。それでは、私が判断した物を買わせていただきます。それでよろしいですか」
「お、おう」
そこから、会話がなくなってしまった。これは俺のせいだって流石に自覚できる。
「・・・・・・これも違いますね」
なにかほしいものでもあったのだろうか。砂糖を眺めているとき、そんなことをぽそりと。
「なぁ、ルウ。一体どうしたんだ?」
「どうした、とは?」
「・・・・・・すまない」
「なにゆえ謝られるのですか?」
「それは――」
「・・・・・・ご主人様が謝られることなんて、一つもございません。本当に。ご主人様は悪くありません。致し方ないことですから」
ルウの趣向によるものか、肉系を大量に買いこんだあと、手提げ籠がけっこう重くなってしまった。それを持とうとした。けど、ルウがぎっちりと離さない。
「大丈夫です。例えこの腕が引きちぎれてミンチとなって日常生活に支障を及ぼす結果となっても持ち帰ってみせます」
「余計持たせられるか!」
もっと自愛しろよ。
「例えその結果、ご主人様が周りから重い荷物を女の子に持たせ、苦しんでいるその姿に性的興奮する異常者だとしてもその期待に応えてごらんにいれます」
「いい加減俺への誤解を改めさせてくれ!」
「そしてその光景を見た周りが、ご主人様に対して鬼畜であると認識されることになったとしても、奴隷ですので」
「奴隷ですので、じゃねぇよ! なんの説明だよ!」
「それに、先程買い物をしているとき、ご主人様のうわさが広まっているようなので」
「やっぱり昨日とかその前のことのとか広まってるのかよおおお!」
「私はそのうわさに加わってちょっとしたアクセントを足しました」
「絶対尾ひれりついてるよなそれええ!」
「それから、あの人が件の魔法士です、私のご主人様ですと教えたら皆さん商品をおまけしてくださいました」
「よかったのかなそれ!? 誰にとってよかったのかなそれ! あーもういいから! 持たせてくれ!」
二人でぎゃいぎゃい遣り取りをしながら手提げ籠の奪い合いになってしまう。
「もしかして、ご命令ですか?」
「あーだからもういいって! 俺が持つから!」
「いえ、奴隷ですので」
「奴隷とか関係ないから!」
「――――関係なくありません!」
いつにない大声で怒鳴られて、つい手を離して呆然となる。
「昨日と同じではありませんか、また私のことで、」
様子がおかしい。苦しげで、それで悲しそうで。そして怒ってもいる。あらゆる負の感情がごちゃ混ぜになってしまった顔つき。この子のこんな感情的になるところが衝撃的で、言葉にできない。
「私は奴隷なのです。そうなのです。それが普通なのです。なのに、おかしいじゃありませんか。昨日だって、魔法が当たらなかったのは、ご主人様がなにかしてくださったのでしょう?」
やはり気付いていたらしい。ぎくりとしたけど、そんなことより、今はルウだ。
「こんなんじゃ私、余計迷ってしまうではありませんか・・・・・・」
迷うってなにを?
尋ねようとしたまさにそのとき、すごい人だかりにぶつかり、無理やり押しのけられていってしまう。
誰も他人のことには無関心なのか、とにかく肩とか体とかぶつかるし足は踏まれてすねは蹴られ、しまいには挟まれ揉まれ息苦しささえあった。まるで人の波だ。脱出も抗うこともできない。
ようやく開けた場所で、人がはけたところに出られたと安心したのもつかの間、ルウがどこにもいなかった。はぐれてしまったらしい。一瞬で血の気が引いていく。人を乱暴にかき分けて探し回る。叫んで呼んでみるが、雑多な喧噪に飲み込まれてしまう。
視界の端で、金色の毛並みの尻尾が映った。ルウの尻尾。あれはもう何度も見ているし触っているし間違いない。もふもふの毛並みも質感も長さも太さも、記憶と一致する。
「ひゃん! ご主人様ですか。不審者かと間違えて撃退するところでしたどこにいたのですか」
ルウの尻尾を、なんとか掴んだ。瞬間、その場でルウは飛び跳ねて、そしておそらく体術の構えなのか飛び退いて片足を上げて拳を突きだしている。
「大丈夫か!? けがはないか!? 誰かに変なことされなかったか!? 美味しいお肉食べさせてあげるからついといでとかされなかったか!?」
「ものの数分でそんなことあるわけないじゃないですか・・・・・・」
「じゃあ大丈夫なんだな? なんともなかったんだな?」
「はい。ご心配には及びません。私は奴隷ですから、そのような事態に陥ったとしてもご主人様には危害は及びませんし」
「俺にはって・・・・・・」
自分を一切省みないルウが、悲しかった。同時に少し腹がたってしまった。
「奴隷でもなんでも! 心配してしまうのは心配するんだ!」
少しの間、見つめあう形になった。どちらからともなく離れていく。
「申し訳ありません」
消え入りそうに、それだけ聞こえてきた。
「ありがとうございます」
え、と顔を上げる。自覚しているからか、手の甲で隠そうとしている。けど頬が赤いのはバレバレだ。恥ずかしがっているんだろうというのはもじもじしているのと尻尾の動きで察することができた。
手提げ籠を二人で半分ずつ持ちながら、そんなルウに内心悶え続けた。
「ルウちゃんなんか変わりやしたね」
マットが店番をしている素材屋で、商品を選んでいるときにもそんなことを言われたもんだから反応してしまった。
「変わったって、なにが?」
「いえね、前に来たときは、まさに奴隷だってかんじの子でしたけど、今は別人みたいでさぁ」
別人って、たしかにここ最近変貌し続けているけど、それは言い過ぎだ。かわいいところも好きなところもいとおしいところも変わっていない。
「というかまさに奴隷ってどんなかんじだよ」
「そりゃあよく帝都でいる奴隷みたいなかんじでさぁ。まぁ、ユーグの旦那は他人に興味がないですからわからないでしょうけど」
「失礼な」
「女心はもっとわからないでしょう」
「もっと失礼な!」
なに? マットってこんなこと言うやつだったっけ?
「いえね、きょうび魔道士になりたいって人も、素材を買いに来てくれる人もいねぇんで、旦那は貴重な常連さんですから。長生きしてこれからも通ってほしいんでさぁ。それでつい軽口が出ちまいます」
「じゃあもっと安くしてくれ」
「そいつぁできません」
頼まれなくたって、魔道士になっても通い続けるつもりだ。
「ご主人様、他にはなにか買う物ありますか?」
店の奥から頭だけひょいと出して聞いてくるルウが不覚にもかわいすぎた。
「ああ、あと月見草とカシの木も買うよ」
「月見草とはどこにあるのでしょうか?」
「ああ、それなら――」
ルウを連れて、案内をする。もう通って何年もたってるから店の内部は把握しているから、造作もない。なんなく月見草を選んで、どういうものなのか説明をする。ルウは以前と同じように興味なさそうだから、途中でとめる。他の商品を選んでいるときも、何回か同じ失敗をしてしまう。興味ない話を振られても、楽しくなんてないだろう。わかってるはずなのについしてしまう。
「やっぱり、ルウちゃん変わりましたね」
会計の時、マットがにやにやしながら言ったけど、意味がわからなかった。




