十八話
結局、眠ることはできなかった。眠気が覚めてしまったし、なによりやりとりに疲れて空腹になった。リビングに移動すると同時に食事の準備をする。
「ルウ?」
室内のどこにも彼女の姿がない。それともう一つ、なんだか室内が奇麗になっているような・・・・・・。
「おやご主人様。どうかされましたか」
どうやら外に出ていたらしいルウが、玄関のほうから歩いてきた。
「ああ。水をくみに行ってたのか」
「ええ。それと、出入り口の辺りが汚れていたので少しお掃除を」
「そうか。ありがとう」
「いえ、私の足が汚れたりけがをしたりするのが嫌なだけでしたから」
「部屋も掃除してたんだろう?」
「ええ。ちょうど使い古された処理に困った布きれがございましたので」
そんなのうちにあったかな。それにあの箒、随分ボロボロだけどあんな風じゃなかったような。
「ん? おい! おまえ、手が擦り切れているじゃないか!」」
いきなり手をつかまれたルウは、非難がましい視線をぶつけてくる。けど今はそれどころじゃない。
「きっとあかぎれでしょうね。水仕事をしているので。それがなにか?」
「それがなにか? じゃなくて。このままはきついだろ」
ルウの陶磁器みたいにきめ細かく美しい手が。肌が割れたようにぱっくりと線上の傷だらけで痛々しい。
「問題ありません。唾をつけて適当になめていればそのうち治ります」
気圧されそうな視線に負けそうになる。けど、そのままずるずると手を引いて工房に連れていった。
「ご主人様、いったいなんでしょうか? なにをなさるのですか? 私を犯すおつもりですか? 鬱憤や汚らわしい欲望を私にぶつけられるのですか? ご命令なら従いますが」
少し抵抗しているのか、体に力を入れているルウも、とりあえず無視。好きな子がけがをしていて、それを放置しているのが俺はいやだった。
「これはなんでしょうか?」
少し戸棚を探って、目当ての薬を見つけられた。
「それを塗るといい。すぐよくなるはずだ」
「透明でネチョネチョしています。気持ち悪いです。前の薬とは違いすぎます。本当に薬ですか? これを塗ったら私がえっちな気分になってご主人様におしおきやえっちな行為を要求するようになるのではないですか?」
「そんな媚薬誰が創るか! 誰がこのタイミングで渡すか! 普通の傷薬だよ!」
中身を手に取って、指で広げたり伸ばしているルウに、説明をする。以前の薬とは材料と用途が違うからだと。
「いりませんし使えません」
「使ってくれ」
「ですから、問題ないと」
そこで薬の押しつけあいになった。だんだんお互い声の張りが強くなってしまう。
「これを使うのは、ご命令ですか」
またそれだ。どうしてそこまで命令こだわる。命令してもらいたいのか。
「他に命令がないのでしたら、私は戻らせていただきます」
俺の手からルウが滑り抜けていく。そのまま背を向けて去っていこうとしてしまう。このまま行かせたら、きっと永遠に変えられないのではないか。だから、俺は手をもう一度つかんだ。そして、傷に薬を塗っていく。
「なにを、不要と申したのに、」
「知るか」
しみて痛みがないように創っている。けど、感触とひんやりとした冷たさからか、小さい悲鳴とびくつき、それから弱々しい抵抗が手を通して伝わる。
「俺は俺のやりたいようにやっているだけだ。嫌なら、もっと強く拒んでみせてくれ。ルウが嫌なら、俺はやらない」
ルウは黙りこんだまま、なすがままになった。そのまま薬の説明をする。創ったときの年齢、できたときの嬉しさ、四苦八苦したとき。何気なしに、語り続ける。聞いているのか興味ないのか、わからない。
「これでいい」
塗り終わったが、ルウはなにも反応してくれない。強引すぎて嫌われたのかと不安に駆られるが、頭を下げてそのままぴゅ~! と走って工房を出て行った。
なんだか変だったが、少し戸棚の整理をして朝食になった。そこでもやはりルウは変だ。いや、ここ最近変、少し違う。時々、俺のほうをちらちら見て、視線が合いそうになると顔を背ける。尻尾が勢いよく振られる度に、むんずと力で押さえて隠そうともしている。耳がわずかにぴくぴくしているのも、同様だ。
食器を洗おうと持とうとしたら、同じようにしたルウと触れあってしまった。瞬間的に手を引っ込められた。
「・・・・・・食器は私が洗いますので」
消え入りそうな声でそれだけ伝えると、手早く全ての食器を持っていってしまう。なんだ? としばらく後ろ姿からルウを観察していたが、そればかりしてはいられない。研究所に行く時間に遅れてしまう。急いで着替えて最後にローブを着ようとしたんだが、いつもある場所にローブがなかった。
探し回った挙げ句、とんでもない状態で見つけた。
「ルウ。ちょっといいか?これ、さっき室内の掃除に使ったって」
「ええ、はいそうです」
「これ、いつも着てるローブだけど」
ただ汚れてぬれているだけじゃない。穴が空いてしまっていたりほつれていたり、臭かったり、とにかくボロボロだった。着ていける状態じゃない。
「あっ・・・・・・申し訳ありません」
「いいよ、別に」
「じゃあ行ってくる。今日一日家事はしないほうがいい。まだ手が元に戻りきるまで、溜め用字ためておいてかまわないから」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
そのまま出ようとして、はたと止まって振り返る。久しぶりに見送りの言葉を聞いたから、すぐには信じられなかった。口元に手を当てているところを見ると、ルウも自分のしたことが信じられないらしい。意図的ではなかったのか。自然と言ってしまったってかんじで。
頑張れば間に合う。ストレッチをしてから、勢いよく腕を振って走り出す。途中で疲れて息もできないだったが、ルウの挨拶用字あいさつが、頭の中で反芻される。
不可解すぎる。ルウが。考えなくてはいけないことが多すぎる。けど、行ってらっしゃいませ。ただそれだけで、もう全部どうでもよくなっていた。




