☆9話:波乱の貴族三本勝負! 命懸けのレースとすれ違う心
「――ではこれより! デリール・インノクト侯爵令嬢と、バリー・レオパタルク伯爵令息による『貴族三本勝負』を開始する!」
審査員を務める教頭先生の声が、学園の広大な敷地に響き渡った。
運命の日がやってきた。
元々は観客を用意しない勝負のつもりだったのに、審査をお願いした教師陣に大変面白がられてしまった結果――なんと午後からの授業はすべて中止! 生徒全員で見学するという大惨事に発展してしまったのだ。
観客席は、特別科から普通科の生徒まで超満員。
「貴族の模範を見せてやれ」と校長先生にまで肩を叩かれる始末である。
(ちょっと……話が大きくなりすぎていませんかしら!?)
冷や汗をかきそうになるのを必死で耐え、あたしは口元を扇子で隠しながら、対峙するバリー様を優雅に煽った。
「バリー様、逃げずにやってきたことは褒めて差し上げますわ。ですが、圧倒的な実力差で敗者の味を知ることになりますわよ」
それに対し、赤い髪の巨躯を揺らし、不敵な笑みを浮かべたバリー様が応じる。
「デリール嬢、悪いが遠慮なく許可証は頂く。……だが、一つ疑問がある。無いとは思うが、万が一俺が負けた場合の条件は何だ?」
後出しで無茶ぶりはしてくれるなよ、と強い目線であたしを見つめてくるバリー様。
(……あ)
あたしの思考が、一瞬ピタリと止まった。
(や、やばいわ……! 正直、全然考えていなかったわ!! そんなの作戦会議でも誰も気づかなかったじゃないのー!?)
あたしの頭の中には『バリー様に勝ち、それでも許可証を渡すことで貸しを作り、徐々に仲良くなろう』という甘い作戦しかなかったのだ。
さらに言えば、「ギャフンと言わせたい!」という感情が先行しすぎて、勝利した後の細かな条件など失念していたのである!
「ほ、ほーほっほっほ! それを聞かずに承諾したのはバリー様の不手際ですわ! そうねぇ……無茶な命令はしない、とだけ言っておきましょうかしら!」
バリー様にあたしを強く睨まれ、「……それならいいだろう」と頷かれた。
負けるつもりはサラサラないようだ。
(あっぶな!! これは決着がつくまでに取り巻きのみんなに考えさせないと不味いわね! でも、直球すぎる要求だけは無しって釘を刺しておかないと!)
負けたら罰として「あたしとデートしてください!」なんて直接的な要求をしたら、侯爵家の体面的にも無しだし、引かれて冷めちゃうわ。あたしの立場も考慮して、ふんわりとした要求で、定期的にあたしをドキドキさせる条件を作らせないと!
あたしはチラリと控え席のリリーたちに目配せし、(後で条件案を考えなさい!)と必死のサインを送った。
◇
貴族三本勝負の一本目、まずは『ダンス』だ。
あたしのお相手役は、もちろんミハイル。
バリー様の家と同格の伯爵家として厳しい英才教育を受けているので、立ち振る舞いに見劣りすることはない。
あたしが負ける要素なんて、万に一つもないのだ。
(さて、バリー様のお相手はどこのご令嬢かしら?)
意気揚々と対戦相手の陣営を見ると、そこに立っていたのは……。
「えっ」
バリー様のお相手は、彼の妹である十三歳のアリシア・レオパタルク様だった。
……いくら学園内に親しい相手が居ないからといって、十三歳の妹をペアに選ぶとは思いもしなかったわ! どんだけ女性関係が清廉潔白なのよ!
ここで、審査員を務める三人の教師から課題曲の曲調が発表された。
『曲目はワルツとする!』
まあ、男女ペアの基本だから無難ねと思いながら、あたしは隣のミハイルに顔を向けた。
「いい? 絶対にミスはしないでよね。生徒たちの前であたしが失敗したように映るし、あなたにも『淑女をエスコートできない男』として烙印が押される事になるんだからね?」
あたしとしては、彼を励ましたつもりだった。
だが、ミハイルにとってはプレッシャー以外の何物でもなかったらしい。
「デリール、そのさ……もし少しでもミスしたら、僕どうなるのかな……?」
恐る恐る聞いてくるミハイルに、あたしは無言でニコリと笑いかけた。『言わなくても分かるわよね?』という威圧の笑みである。
それぞれペアで所定の位置につき、優雅なヴァイオリンの旋律が流れ始めた。
ステップを踏み出した、その瞬間――。
(えっ!? ミハイル! 体が硬いわよ!!)
緊張しているのか、体幹は良いはずなのに、自分を良く見せようと力んで足や体を大きく動かすため、上半身がブレてしまっている!
このままでは、あたしの足を踏むか、ターンでミスをしてしまい減点されてしまう!
(肝心な時に緊張して失敗する幼馴染め……!!)
あたしは握っているミハイルの手を、ギュッと強く握りしめた。
彼の視線を引きつけ、目で強く訴えかける。
(ミハイル! お願いだから落ち着いて! いつも通りに動いてくれれば、あたしが全部リードするから!)
あたしの熱い瞳を見たミハイルは、ダンスに影響が出ない範囲で、コクリと軽く頷いた。
(デリール……そんなに熱を帯びた視線を僕に送るなんて……僕とのダンスが、そんなに楽しみだったんだね……!)
……結果的にミハイルは勘違いで勝手に緊張をほぐしてくれたようで、あとはこちらのものだった。
あたしの完璧なリードにより、誰が見ても教本通りに美しく踊り上げたデリール&ミハイルペア。
チラリと見えたバリー様のダンスは、背の高さが妹のアリシア様と合っていないことや、アリシア様が年相応の幼い腕前ということもあって、勝負の行方は一目瞭然だった。
「一本目! デリール・インノクト様の勝利!」
審判の声が響き、想定通りにあたしの一勝となった。
「デリール! 僕はやり遂げたよ! 最高のダンスだったよ!」
感極まって抱きついてこようとしたミハイルをスルリと身をかわして躱し、あたしはバリー様へと近づいた。
横では、妹のアリシア様が顔を真っ赤にして両頬を膨らませ、あたしを睨みつけている。可愛いわね。
「バリー様、一つ目の勝負はこちらがいただきましたわ」
バリー様は「やれやれ」と妹の頭を撫で、あたしの目をまっすぐ見つめて宣言した。
「デリール嬢、ここからはペアも居ない一対一の戦いとなる。決して手加減はしませんよ」
「ふふふっ、望むところですわ」
高らかに笑い、あたしはその場を後にした。
◇
二本目は『模擬戦』だ。
ここであたしは、ミハイルの背中をポンと押した。
「ミハイル。正直言うと『勝てたら儲けもの』くらいにしか思っていませんが、あたしの代理なんだから、みっともなく負けるのだけは止めてちょうだいね」
その瞬間、取り巻きたちとミハイルの周りの空気がドスンと重くなった。
(あれ? なんでみんな固まってるの?)と首を傾げていると、リリーが慌ててあたしに耳打ちしてきた。
「デリール様! ミハイル様の士気がダダ下がりでございます! もっとこう、男心をくすぐる応援を……!」
「えっ? あ、そう?」
あたしはコホンと咳払いをし、扇子を掲げてミハイルに笑いかけた。
「えっと……ミハイル! あたしに格好良いところを見せてくださいな! 期待しているわよ!」
「――ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ミハイルの目がメラメラと紅蓮の炎のように燃え上がった。
「デリールのためなら、この命捨ててみせる……!」と恐ろしい気迫を纏い、彼は訓練場へと降り立っていった。
……結果として、『模擬戦』はバリー様の圧倒的な勝利に終わった。
副騎士団長の息子であり、剣術馬鹿のバリー様は強すぎた。だが、ミハイルもデリールの応援パワーで凄まじい粘りを見せ、ボロボロになりながらもバリー様に一矢報いる健闘を見せたのだ。
◇
そして、貴族三本勝負の最後、三本目は『乗馬』。
お互いに一勝一敗となったため、これで全てが決まる。
馬上の人となったあたしに向かって、取り巻きや何人もの生徒たちが大歓声を送ってくれる。
先ほどの模擬戦でボロボロになったミハイルも、観客席で投げやりに手を振っていた。
この乗馬コースは、ただのスピード競争ではない。
全長一キロのコースで、スタートから百メートル地点に小さなハードル、ゴール手前百メートル地点に中くらいのハードルが設置されている。
これを二周、計二キロのタイムを競うのだ。
抽選の結果、先行となったバリー様が馬を躍動させる。
「準備は良いですか、デリール嬢」
既に勝ちが決まったと思い込んでいるバリー様が、不敵な笑みを浮かべて話しかけてきた。
「もちろん、よろしくてよ」
あたしはボロが出るのを避けるため、短く返した。
そもそもあたしが騎乗しているのは、我がインノクト家で一番速く賢い名馬だ。騎乗者の体重差だってあたしの方が圧倒的に軽い。
さらにあたしは、領地の騎士団に混じって特訓することで乗馬を極めたのだ。学生なんかに負けるはずがない。
「それでは、最終戦を始める! スタート!」
審判の合図とともに、バリー様が飛び出した。
最初は馬に任せて走らせ、徐々にスピードを上げていく。
軽々と最初のハードルをクリアした後は、身体全体を使ってスピードを乗せる。
(さすがバリー様ね。脚での締め付けとバランス感覚が抜群だわ)
最後のハードルも、手と足で合図を送り、歩幅を合わせて減速を最小限に抑えて飛び越え、ゴール!
一周目のタイムは九十五秒。素晴らしいタイムだ。
二周目も同じ完璧なペース配分で走りきり、合計タイムは百七十八秒。無駄のない、完璧な騎乗だった。
馬から降りたバリー様があたしを見てくる。その目が『さあ、お手並み拝見』と物語っていた。
あたしは静かにスタート位置についた。
「続いて、デリール様の番! スタート!」
パンッ! と合図が弾けた瞬間、あたしの名馬が弾丸のように飛び出した!
最初から手綱と脚で力強い合図を送り、スピードをグングンと上げていく!
「きゃああああっ! 速すぎるわ!?」
「あんなスピードで一番目のバーを飛び越えられるのか!?」
観客席から悲鳴と歓声が交錯する。
だが、あたしと我が家の名馬にとって、こんなものは序の口だ。
全身を使って一歩一歩の歩幅を広げているため、小さなバーなど障害にもならない。
ポンッ! と軽やかに、まるで障害物など最初から存在しないように駆け抜け、最初のバーをクリアした!
あたしは前傾姿勢となり、呼吸を合わせるように馬に指示を送ると、そのまま失速することなく、ゴール前の二つ目のバーへと突進する。
跳躍のタイミングに合わせて重心を移動させ、羽のように軽く優雅に二つ目のバーを飛び越える!
その瞬間、コース脇で見ていたバリー様が「なっ……!?」と口をあんぐりと開け、目を丸くして驚愕を露わにした。
(ふふん! 驚いたかしら!)
一周目のタイムは、観客たちの地響きのような大歓声からして、楽々と九十五秒を切っていたはずだ。
そのまま二周目へ突入。
疾風となってコースを駆け抜ける中、あたしは全身に受ける心地よい風を感じていた。
(ああ……っ! やっぱり乗馬は最高の気分だわ!!)
全身で風を切り、馬と一体になる感覚。
体重移動で馬に負担を強いずに、鞭なんて使わなくても、手綱の繊細な引きと脚の圧迫だけで馬と心が通じ合い、グングンとスピードが伸びていく。馬もあたしの意図を汲んで楽しそうに駆けているのが伝わってきた。
一つ目のバーを軽々と越え、いよいよラストスパート。
最後の、中くらいのバーが見えてきた、その時――。
(ドクンッ……!! ギューッ!!)
「ッ……!? あ……っ!」
発作だ!!
締め付けられるような激痛が心臓を襲う。息ができない。視界が真っ赤に染まる。
だが、身体はすでに馬へ跳躍の合図を出した後だった!
今のあたしの握力では手綱を保持できず、馬にしがみつくことすらできない。
(あぁ……今日は朝から色々とありすぎて……合間にお薬の服用を忘れていたわ……。あたしの人生、あっけない最期だこと……)
手綱が手から抜け落ち、あたしの体は空中へと放り出された。
激痛と恐怖で涙が溢れ出す。頭の中で、地面に激突して叩きつけられる自分の姿がフラッシュバックする。
(いやだ! 怖い! 怖い! 怖い!…… 誰か、誰か助けて!!)
ボッス! ドサッ!
「ぐあっ……!」
激突した割には、変な柔らかい音が聞こえた。それに、想像していたような全身の激痛がない。
恐る恐る目を開けると――。
そこには、尻もちをつきながらも、あたしを腕の中に強く抱きかかえている人物がいた。
銀糸のような髪、切れ長の美しい瞳。
――タール様だった。
(あぁ……心臓の痛みが消えていく……。ドキミンが過剰に分泌しだしたみたい……これ、夢なのかしら……)
あたしは呆然と、彼の顔を見つめた。
「怪我はないか、デリール!!」
見たこともないような悲痛で、心配そうな目であたしを見つめるタール様。
あたしがコクコクと頷くと、彼は有無を言わさず、あたしを力強く抱きしめてきた。
「胸を押さえて落馬するなんて……! 体調が、まだ戻っていないじゃないか……!」
彼の悲痛な絞り出すような声を聴いて、愛おしさで胸がいっぱいになり、思わず背中に腕を回そうとした――その瞬間に、あたしはハッとなった。
(本当はこのまま、彼の腕の中で甘えてしまいたい。……でも、ダメよ)
あたしは、力任せにタール様の胸を押して突き飛ばした。
「……ッ、デリール!?」
信じられない、という目を向けてくるタール様。
あたしは固い決意を持って、淑女の表情を作り直し、言い切った。
「おほんっ。助けていただいたことには、誠に感謝いたしますわ。……ネルヴー侯爵令息様」
あたしはあえて、よそよそしく家名で呼んだ。
「ですが、未婚の男女が人前で長く抱き合う姿を見せるなど、周囲に無用な勘違いをさせてしまいますわ」
あたしの冷たい言葉に、タール様は辛そうに目を伏せ、唇を強く噛みしめた。
そこへ、ボロボロの身体を押してミハイルが駆けつけてきた。あたしの無事を確認して胸を撫で下ろしている。
「大丈夫ですわ、ミハイル。戻りましょう」
あたしはタール様に背を向け、歩き出した。
「……僕の立場からはあんまり言いたくないけどさ、デリール。タールをあのまま放置していいの?」
ミハイルが小声で聞いてくる。あたしはそれに返答することはできない。
だって、婚約破棄を決めたのはタール様だ。
そこへ、バリー様も走って駆けつけてきてくれた。
「デリール嬢! 無事ですか!?」
「ええ……バリー様、あたしの負けですわ。約束通り、許可証は差し上げますわ」
心配しているのか、勝ちを拾う形になって悔しいのか、顔色をコロコロと変えながら、バリー様は言った。
「……許可証は頂く。だが、俺は勝ったとは思っていない! 事故による不戦勝など断じて認めん! 次こそは俺が正々堂々と勝つ!」
「ふふふっ」と、あたしはその男らしさに笑った。あっ、やっぱり少し素敵な男性だと思えるかも。
……そう思った、直後だった。
「デリール嬢! 貴女は今日から、俺の『ライバル』です!!」
「…………は?」
決意に満ちた表情で叫ぶと、バリー様は爽やかに走り去っていった。
あたしは口をポカンと開けたまま、彼の背中を見送る事しかできなかった。
「……ねえ、ミハイル」
「なぁに、デリール」
「あたしって……どこで何を間違えたのかしら?」
「さあね。でも、僕は間違えてないと思うよ」
ミハイルが意味深に微笑む。
デリールを常にドキドキさせてくれる『真の婚約者探し』は、まだまだ終わりそうにない。




