☆6話:学園復学! 新たなターゲットはどんな人?
ここ数日、王都を覆っていた分厚い曇り空は嘘のように晴れ渡り、突き抜けるような青空が広がっていた。
今日は、一ヶ月の病気療養(引きこもり)を経て、あたしが王立学園に復学する日だ。
インノクト侯爵家の立派なエントランスで、ママが涙ぐみながらあたしの手を握りしめてくる。
「デリール、無理だと思ったらすぐに帰りなさい! 婚約者候補はわたくしも探していますから」
なお、パパは既に仕事のため、朝一番で泣く泣く王宮へと向かった後である。
「体調はもう完璧よ、ママ! すっかり吹っ切れたんだから! それに……行動しないと、新しい恋も見つからないしね!」
あたしは心配する両親にこれ以上迷惑をかけないよう、精一杯の笑顔を作って元気に振る舞った。
実際、いつまでも休学しているわけにはいかない。インノクト侯爵家の長女として、学園での人脈作りや成績維持は義務でもあるのだ。
(とはいえ……本当は、タール様への未練なんて全然吹っ切れていない。こんな状態で直接顔を合わせると、どうなっちゃうのかしら)
心の奥底でチクッと痛む本音を悟られないよう、あたしは華麗に身を翻して馬車に乗り込んだ。
扉が閉まり、馬車が動き出した途端。
『ふぅ』と深いため息をつき、あたしは頭をブルブルと横に振って気合を入れた。
学園に復学するにあたって、あたしが考えていた方針は二つ。
一つは、あたしの厳しい条件に合う、フリーの素晴らしい殿方を見つけること。
そしてもう一つは、――タール様に、絶対に会わないようにすることだ。
「さんざん泣いて悩んだんだから、前を向かないとね!」
呼吸を整えて背を伸ばす。
ここから先は戦場だ。あたしは『完璧で誇り高き侯爵令嬢』の仮面を被るべく、表情筋を引き締めた。
……が。
「その前に、っと」
あたしはドレスの隠しポケットから、お薬『完全妄想ノート』をサッと取り出し、にへらっとだらしない笑みを浮かべた。
(学園でタール様の姿を遠くから見かけただけで発作が起きたら大変だもの! だからこれは、あくまで事前対策……そう、予防接種よ!)
馬車の中でノートを開き、『デリール、お前がいない学園なんて退屈だ……』という都合の良い妄想を脳内に直接流し込む。
「はぁんっ」と身悶えして、ドキミンを致死量ギリギリまで事前チャージしてから、あたしは万全の態勢で学園へと乗り込んだ。
◇
改めて侯爵令嬢の冷たく美しい仮面を被り直し、王立学園の特別科教室に到着。
開いている重厚なドアをくぐり抜け、凛とした声を響かせた。
「皆様、ごきげんよう」
その瞬間、ざわついていた教室がシンッと静まり返る。
そして、あたしの復学に気が付いた生徒たちが、一斉にこちらへ視線を向けた。
「まあ、デリール様! お久しぶりでございますわ! お体を悪くされたと噂になっておりましたけれど……すっかりお元気そうで、安心いたしましたわ」
真っ先に、太陽のように華やかな笑顔を向けて近づいてきたのは、あたしと同じ侯爵位に連なる令嬢、『ミッシェル・ドトールス』だ。
金色の縦ロールに、勝気な吊り目。笑顔はひまわりのように美しいが、その分、お腹の中は底なし沼のように真っ黒な女である。
あたしの耳には、彼女の先ほどの台詞の裏に隠された『(一ヶ月も休んでたからこのままフェードアウトするかと思ったのに。残念だわ、チッ!)』という見事な副音声がハッキリと聞こえていた。
「ふふふ。ごきげんよう、ミッシェル様。皆様にはご心配をおかけしたようで、ごめんなさいね。見ての通り、もう何ともなくってよ」
あたしも負けじと、完璧な淑女の笑みを浮かべてジャブにジャブを合わせる。
(残念でしたー! あたしが帰ってきたからには、あんたが学園の女王様として君臨する気楽な生活なんて送らせないからねー!)
バチバチと火花が散る。
まあ、悪く言ってはいるが、あたしとミッシェルは立場が近く、お互いを理解し合っている分、ある意味で本音を語れる昔からの悪友であり、良きライバルなのだ。
あたしたち二人の恒例の『牽制の挨拶』が済んだのを確認し、ようやく他の生徒たちが群がってきた。
「おかえりなさいませ、デリール様!」
「お休みの間のノートは、すべて完璧にまとめておきました!」
「今日も一段とお綺麗でいらっしゃいます!」
そんな取り巻きたちの媚びへつらう挨拶を、「ありがとう」「助かるわ」と笑顔で適当にいなして、自分の席へと着く。
背筋を伸ばし、扇子を広げて授業を受ける準備ができた頃。隣の席に座るミッシェルが、スッと顔を寄せてきて小声で話しかけてきた。
「……で? 本当のところはどうなのよ?」
「何がかしら?」
「とぼけないでよ。タール様との婚約よ。あんたが振られたとか、逆に愛想を尽かして振ったとか、果てには『子供を身ごもったから極秘で休学している』なんてぶっ飛んだ噂まで流れてたわよ?」
妊娠の噂は流石に初耳だ。貴族の想像力はどうなっているのだろうか。
あたしはどう適当に誤魔化そうか少し考えたが、いずれバレるだろうと思い直し、扇子で口元を隠して小声で答えた。
「振られちゃった。……あはっ☆」
「は……?」
あまりにも軽いノリで重大発表をしたあたしを見て、ミッシェルは目を細め、しばらくの間、あたしのセリフが強がりなのか本音なのかをジッと見極めようとしていた。
やがて、彼女の中で何らかの整理がついたのか、『はぁ』と呆れたように息を吐いた。
「そう。……でも、可笑しいわね?」
「可笑しい?」
「ええ。私が見ている限りだと……あなたたち、完全な両想いなのにね」
ミッシェルが意味深な言葉を残して前を向いたところで、タイミングよく教授が入室し、午前中の授業が始まった。
(タール様は本音を顔に出さない完璧な貴族だから、腹黒いミッシェルでさえ見事に騙されて誤解しちゃったのね!)
あたしは授業を受けながらも、胸の奥に針が刺さる音を必死で無視した。
◇
午前中の授業が終わり、お昼休みの時間。
あたしは何人かの取り巻きを引き連れて、上級貴族専用の第一食堂へと向かっていた。
「デリール様、本日のランチは新作の仔牛のローストだそうですわ」
「まあ、楽しみね」
優雅に廊下を歩き、食堂が見える通りに繋がる角を曲がった、その瞬間だった。
食堂の入り口付近の壁に寄りかかり、腕を組んで目を伏せている、銀髪の美しい青年。
――タール様だ。
「っ……!!」
あたしは、ヒールの踵を軸にして、軍隊も顔負けの完璧な動きで『回れ右』をした。
「ごめんなさいね、皆様。……ちょっと、まだ体調が完璧じゃないみたい。人混みで食事をするのは無理そうだわ」
「まあ! それはいけませんわ! では、私たちが何か軽食を買って、中庭へお持ちいたしますわ!」
「ええ、助かるわ。ありがとう」
気を使ってくれるお友達(取り巻き)にお礼を言い、あたしは足早にその場から逃走し、人の少ない中庭へと向かった。
(あっぶなっ!! さっそくタール様と鉢合わせするところだったわ! 一瞬姿を見ただけでトキメキ・メーターが急上昇して、心臓が爆発するかと思ったわ!)
胸を撫で下ろしながら、あたしは無事にタール様との接触を回避し、静かな中庭で優雅にランチを楽しんだ。
◇
――その頃。第一食堂の入り口。
俺、タール・ネルヴーは、壁に寄りかかりながら、廊下の向こうをジッと見つめていた。
(……遅いな)
俺は友人から、『デリール嬢が復学したぞ』という噂を聞いていた。
俺が婚約破棄を告げた直後から、彼女は一ヶ月も休学していたのだ。ほんの少しばかりの罪悪感は感じている。だから、一目だけ元気になった姿を確認して、すれ違いざまに『快気祝いの言葉』くらいは形式的に伝えてやろうと、こうして食堂の前で待っていたのだ。
決して、彼女に会いたかったわけではない。貴族としての礼儀だ。
だが、ランチの時間になっても、いつもならゾロゾロと取り巻きを連れて賑やかに食堂へ現れるはずのデリール嬢が来ない。
先ほど、角のところで一瞬だけ、深紅のドレスの裾と彼女の顔が見えたような気もしたが、すぐに消えたので見間違いだろう。
お昼休憩の時間が半分を切った頃、隣で一緒に待機させられていた友人が、たまらず声をかけてきた。
「タール様、もう時間がありませんよ? 次の授業の準備もありますから、そろそろ昼食を取らないと」
「…………」
俺はもう一度、デリールが現れるはずの廊下に目を向け、微かに眉間を寄せてから、ハァ……と小さくため息をついた。
「悪いな。……昼食を取ろう」
食堂へと足を踏み入れる。
俺はお腹が空いているからなのか、それとも別の理由からなのか。
『いないならいないで、俺を煩わせるデリール嬢』の存在に、無性に、そしてひどく腹が立っていた。
◇
ランチも終わり、時間いっぱいまで中庭で取り巻きたちと談笑してから、教室に戻る。
教室へ戻る際、入り口付近を塞いで立ち話をしていた下級貴族たちに冷たい一瞥を送り、慌てて道を空けさせる。
(もうすぐ午後の授業開始だというのに、席について準備もしないなんて。あたしがいない一ヶ月の間に、学園の風紀が大分乱れているわね……)
内心でプンプンと小言を言いながら席につき、午後の授業をそつなくこなす。
そして、放課後。
ついに本日のメインミッションに取り組む時間がやってきた。
そう、学園での自主的な活動を行っている生徒を見て回り、あたしの条件に合う『完璧な殿方』を探すのだ!
「さて、どこから回ろうかしら……」
ミッシェルが所属している『生徒会』については、生徒会長のタール様がいるため、即座に却下。
となると、権力と実力を兼ね備えた将来有望な物件が集まる場所――。
「……騎士を目指すための『修練場』に行ってみましょう」
取り巻きたちを引き連れて、学園の裏手にある広大な修練場へと足を運ぶ。
相変わらず、汗の匂いと砂埃が舞っていて、淑女としては一秒でも長く居たいとは思わない空間だ。だが、ここには将来近衛兵として配属されるエリートや、趣味で武道を嗜む上位貴族の令息が集まっているため、視察ポイントとしては外せない。
(お願いだから、あのマージ様みたいな『筋肉=マザコン』の方程式は当てはまりませんように……!)
心の中で星神に祈りながら、修練場の中を覗き込む。
すると、ひときわ熱気を放つ一角があった。
燃えるような赤い髪をした大柄な男性が、たった一人で木刀を構え、相対する三人の生徒に囲まれていたのだ。
(あら? 三対一なんて、イジメかしら?)
侯爵令嬢として注意した方がいいかしら、と扇子を握り直した瞬間。
赤い髪の男性が、目にも留まらぬ速さで踏み込み、一人目の生徒の胴へ強烈な打ち下ろしを見舞い、一撃で沈めた。
「えっ……」
その後、残る二人が怒号を上げて同時にかかっていったが、赤い髪の彼は決して動じることはなかった。
片方の相手に向かって自ら走り込み、相手が木刀を振り下ろす直前――動きの『起こり』の瞬間に自分の木刀を押し当てる。
そして、圧倒的な腕力と体捌きで相手を後ろに転ばせた。
その隙に、背後から迫る三人目の死角へと潜り込み、強烈な一撃を打ち込む。
最後は、床に転がってようやく木刀を拾い直そうとした二人目の首元に、ピタリと自分の木刀の切っ先を突きつけたのだ。
無駄のない、完璧な実戦の動き。
『きゃあっ!』『まあ……今日も素敵ですわ!』
あたしの後ろにいた取り巻きたちから、黄色い声が上がる。
「ねえ、リリー」
「はい、デリール様」
取り巻きの一人である男爵令嬢に尋ねると、彼女は頬を染めながら教えてくれた。
「あの方は『バリー様』。一つ年上の伯爵令息でいらっしゃいます」
(バリー様……!)
一気に興味を惹かれたあたしは、備え付けの長椅子に腰を下ろし、彼の稽古が終わるまで静かに眺めることにした。
その間、リリーたちからバリー様についての情報を引き出す。
噂によると、彼の父親は王国騎士団の『副騎士団長』を務める実力者。本人の性格は曲がったことが嫌いな『剣術馬鹿』であり、現在まで婚約者はいないとのこと。
(良いわ! あの強さと判断力があれば、我が領地の騎士団からも尊敬されるに足る器かもしれない!)
「リリー! マザコンって噂はあるかしら?」
「えっ? さぁ……でも聞いたことはございません。そのような話があるのでしょうか?」
「いえ、念のための確認よ……」
(今日は良い収穫があったわ)
これ以上の長居は野暮だと判断し、あたしはバリー様の視界に少しだけ自分が入るようにして会釈を残し、馬車が待つ正門へと向かった。
◇
「……遅い」
正門に停めてあるインノクト侯爵家の馬車の前で、仁王立ちして腕を組んでいる人物がいた。
ソキュペ伯爵家の次男、ミハイルだ。
「デリール! 食堂で待ってても来ないし、帰りの馬車にも全然来ないし! 一体放課後、何していたのさ!」
二つ年上のミハイルは、学園の科が違うため、あたしの動向を完全には掴めていないらしい。
「なんでもないわ。お友達とお話ししていただけよ」
あたしは完璧な営業スマイルを作り、彼の小言を無視して馬車に乗り込んだ。
平気な顔であたしの家の馬車に同乗してくるミハイルには構わず、窓から顔を出して従者に指示を出す。
「ねえ。今すぐ修練場に、冷たい果実水とタオルを用意して差し入れに行きなさい。家名を伝えるのを忘れないようにね」
「かしこまりました」
その指示を聞いたミハイルが、ピクッと眉を釣り上げた。
「……修練場? なんでそんなところに差し入れなんかするの?」
明らかに機嫌を悪くして怪しむミハイルに、あたしは扇子で口元を隠してニコリと笑った。
「言ったでしょ? なんでもないのよ。さあ、お屋敷に帰るわよ!」
馬車が動き出す。
あたしの脳内では、明日以降の計画でいっぱいになっていた。
タール様を回避しつつ、新しい獲物を見つける。学園復学の初日としては、百点満点の出来である。
(待っていなさい、バリー様! 本格的なアプローチを仕掛けてみせるわ!)




