☆4話:完璧なお見合い相手……現る?
王都の中心に位置する、星降る夜の女神を模した白亜の高級サロン。
王族や上位貴族のみが利用を許されるそのVIPルームのふかふかなソファで、あたし、デリール・インノクトは優雅に紅茶の香りを嗜んでいた。
本日の勝負服は、深紅の魔蚕糸で織られた豪奢なドレスだ。デコルテを美しく見せる計算し尽くされたカッティングに、インノクト侯爵家の強大な財力を示す大粒のルビーのネックレスを合わせている。髪も専属の侍女に一時間かけて結い上げさせ、一分の隙もない。
壁に掛けられた大きな鏡に映る、淑女としての完璧な装いに、あたしは満足げに頷いた。
「ふふっ、完璧よ。これならどんな殿方も、あたしの魅力にひれ伏すはずだわ!」
そう。昨日の夜会では、誘いを断った伯爵令息や、ヒゲと会話する謎の紳士という惨憺たる結果に終わったが、本日は違う。
インノクト家の誇る情報網をフル活用し、優秀な使用人たちが厳選に厳選を重ねてセッティングしてくれたお見合いなのだ。
『ドキミン』不足による命の危機を脱するためにも、今日こそは運命の相手を見つけなければならない。
コンコンコンコン、と控えめなノックの音が室内に響いた。
「失礼いたします。マージ・ハハスキ様がお見えになりました」
案内役のメイドの弾んだ声とともに、静かに重厚な扉が開かれる。
そこへ姿を現した男性を見た瞬間。あたしの胸の奥で、トクンッ……と心地よい音が鳴った。
(っ……!! 素晴らしいわ!)
身長は百九十センチを超えるだろうか。長身で、上質な仕立てのスーツからでも隠し切れていない、分厚い胸板と腕の筋肉の筋。
太陽の光をたっぷり浴びたような健康的な褐色の肌に、短く刈り込んだ黒髪。そして、最前線の戦場をくぐり抜けてきた男特有の、精悍で野性味のある顔立ち。
彼は、北方の国境を守護し、魔物討伐の要とも言える名門、ハハスキ辺境伯爵家の三男、マージ様だ。
「お待たせいたしました、デリール嬢。本日はこのような美しい方とお会いする機会をいただき、光栄の至りです」
低く響く、男らしい野太い声。彼が恭しく一礼するたびに、スーツの下で鋼のように鍛え上げられた筋肉が躍動しているのがわかる。
(いい! すごくいいわ! 辺境伯家の強大な軍事力と、この圧倒的な男らしさ! 侯爵家である我がインノクト家との血の結びつきとしても、政治的にも遺伝子的にも申し分ないわ!)
何より、この逞しい殿方が我がインノクトの領地を闊歩すれば、領民たちも「ああ、我々の未来は安泰だ。どんな魔物が出ても彼が素手で捻り潰してくれるだろう」と心から安心するはずだ。
あたしの脳内で、急速に枯渇していたトキメキ・メーターが、ギュンギュンと音を立てて上昇していくのを感じる。
(マージ様との甘い新婚生活を想像するだけで、ご飯三杯はいける! 『デリール、俺の背中に隠れていろ』なんて言われちゃったりして……! もう一度言うけど、これはいけるわ!)
「お初にお目にかかります、マージ様。デリール・インノクトでございます。本日はお忙しい中、お時間をいただき感謝いたしますわ」
あたしは、侯爵令嬢として完璧な、気品とほんの少しの色気を交えた微笑みを作って彼を見つめた。
マージ様は対面のソファに腰掛けると、熱を帯びた鋭い瞳で、真っ直ぐにあたしを見つめ返してきた。
「デリール嬢。噂には聞いておりましたが……本当に、息を呑むほどお美しい」
出会って数分で、ストレートな賛辞。
タール様のような涼やかで知的なタイプとは正反対の武骨さだが、こういう嘘がつけない、真っ直ぐで熱い男性も悪くない。あたしは扇子で口元を隠し、ウブな令嬢のように頬を少し赤らめてみせた。
「ええ、良い出会いを果たしました。お互いの信じる星が近しいか、もっと確認させてください」
あたしは『あなたに好印象を持っていますよ』という言葉を、貴族特有の遠回しな言い方で伝えた。
脈ありのサインである。
それを受けたマージ様は、少し身を乗り出すようにして、あたしを穴の開くほど見つめてきた。
猛禽類のような鋭い視線が、あたしの顔から、デコルテ、そして肩へと移動していく。
(いやだわ。初対面でそんなに熱烈に見つめられるなんて、恥ずかしいわ……。でも、悪くない!)
少し沈黙が落ちたので、あたしは顔を赤くしながら、会話の糸口を探るように話しかけた。
「マージ様。北方の領地はとても厳しい環境だと伺っております。普段は、どのように過ごされているのでしょうか? やはり、魔物の討伐などで領民を守るために前線へ?」
武勇伝を語らせれば、男は気を良くするものだ。
あたしは彼の勇ましい冒険譚を聞く気満々で、期待を込めた眼差しを向けた。
ところが。
「…………え? あ、いや、その……」
その鋭い瞳があたしと合った瞬間、なぜかマージ様はひどく動揺したように視線を泳がせた。
彼の手が、無意識にスーツのポケットの辺りをソワソワと触っている。
そして、慌てたように言葉を濁し、強引に話題をすり替えてきたのだ。
「いや、失礼! デリール嬢の美しさに、つい、見惚れてしまって、質問の意図を汲み損ねてしまいました!」
(あら……?)
一瞬、違和感を覚えた。
いくらあたしが絶世の美女だからといって、百戦錬磨の辺境伯令息が、あそこまで挙動不審になるだろうか?
だが、あたしに標準装備されている『超絶ポジティブ・フィルター』が即座に起動する。
(まぁ……お言葉は上手ね。きっと、女性と二人きりでお茶をするのに慣れていなくて、照れ隠しで必死に取り繕ったのね。武骨な軍人らしくて可愛いところがあるじゃない!)
脳内で都合よく変換したあたしは、扇子の下でほくそ笑んだ。
(このまま少し歓談したら、次は夜風に当たるためにテラスに誘ってもらって、そこで次の面会デートの約束をして今日は終わり、ね。完璧なシナリオだわ!)
あたしが次の一手を考えていた、まさにその瞬間だった。
マージ様は、ポケットをソワソワと触っていた手を引き抜き、懐中時計をパカッと開いた。
そして、文字盤を見た途端、弾かれたようにソファから立ち上がり、悲痛な声を上げたのだ。
「おおっと! いけない! デリール嬢! 大変申し訳ありませんが、門限があるので本日はここまでで! また星が沈み、昇る頃にお誘いさせてください!」
「…………は?」
(門限……?)
あたしの頭の中で、絶対に押してはいけないと書かれた緊急非常停止ボタンが、ガコン!と音を立てて押された。
赤いパトランプが回り、脳内でけたたましいアラームが鳴り響く。
成人を迎えている、身長百九十センチを超える筋肉隆々の辺境伯令息が。
門限?
「……ときにマージ様」
あたしは、冷や汗をかきながら帰り支度を始めた大男に向かって、扇子をパタンと閉じて冷ややかな声をかけた。
「あたしはインノクト家の長子ですので、当然、我が家に婿入りしていただくことになります。婚約後、我が侯爵家において大の大人の門限などという決まりはございませんけど……。お見合いの条件は、事前にご確認いただいておりますよね?」
その言葉を聞いた瞬間。
マージ様は、戦場で死神にでも出会ったかのように、顔を真っ青に染めた。
「む、婿入り!? と、とんでもない!!」
「……とんでもない?」
「デリール嬢、北方の辺境もとても良い場所です! 一度ご覧になられたら、絶対に離れたいとは思いません! というか、離れることなど不可能です!」
マージ様は、血相を変えてテーブルに身を乗り出し、必死の形相でまくし立て始めた。
「ママの作るシチューは世界一最高ですよ! デリール嬢もきっと気に入るはずです! 手編みしてくれたセーターを着れば、辺境の吹雪なんて全く寒くありません! 夜は子守唄だって歌ってくれますから!」
「……ママ?」
「ああっ、もうこんな時間だ! 今日は夕方から、ママと領地の見回りに行く約束があるんです! 僕が遅れたら心配してしまう! だから、本日はこれで失礼させていただきたく……!!」
ドンッ! ガシャァァァァァァン!!
あたしの脳内で、急上昇していたトキメキ・メーターが、頂点から一気に地底深くまで真っ逆さまに墜落し、粉々に砕け散る音がした。
(条件もまともに確認せずに来た挙句、マザコン……だと!? )
あたしの思考は、もはや怒りを通り越して氷のように冷え切っていた。
こんな、親離れもできていない図体ばかりデカい男に、インノクト侯爵家の広大な領地と、数多の領民たちの命を任せられるわけがない。
万が一、領地に危機が迫ったとき、こいつは軍を動かす前に「ママに相談する!」とか言い出すに決まっている。
為政者の夫として、完全に、圧倒的に、失格だ。
「えぇ……さようでございますか」
あたしは立ち上がり、汚物を見るような、いや、それ以下の無機質な眼差しでマージ様を見据えた。
「ごきげんよう。また星の軌道が交わる、はるか悠久の彼方でお会いしましょう」
侯爵令嬢としての完璧な笑みを張り付けたまま、貴族社会における『二度とあたしの視界に入るな』という最上級の拒絶の言葉を叩きつけ、あたしはマザコン大男をさっさと部屋から追い出した。
◇
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
お見合いのサロンから退室したあたしは、誰もいない夜のテラスへと足を運び、大理石の欄干に寄りかかって一人ごちた。
冷たい夜風が、怒りと落胆で火照った頬を心地よく撫でていく。
「むっず〜!! 恋探すの、むっず〜〜!!」
誰もいないのをいいことに、あたしは淑女の仮面を投げ捨てて天を仰いだ。
インノクト家の情報網をもってしても、出てくるのは規格外の変人ばかり。
なぜ、普通の、頼りがいがあって、知性があって、親離れしている殿方がいないのか。
「やっぱり、初恋の人が最高の王子様だったから、どうしても比較しちゃうのよねぇ〜〜!!」
タール様の、あの涼やかな銀髪。知性に満ちた瞳。落ち着いた低い声。
無愛想だったけれど、彼の背中には侯爵家の子息としての確かな責任感と覚悟があった。ママに依存するなんてあり得ない、孤高の美しさがあったのだ。
(妥協するという手もあるけど……いや、ダメよ!)
まだお年頃のあたしには、初恋を超える最高に燃え上がる恋愛が待っていると信じている。
それに、口にこそ出さないけれど、心のどこかで『デリール、すまなかった。君を手放した婚約破棄は間違いだった!』とタール様が迎えに来てくれるような、どこぞの三流恋愛小説のようなご都合主義な展開を期待している自分もいるのだ。
「はぁ……ダメね。今日はもう『マル秘ノート』を読んで気を紛らわせましょう。……んっ?」
ドレスの隠しポケットから、あの分厚い手帳を取り出そうとした瞬間。
急に、視界がぐにゃりと歪んだ。
胸の奥で、心臓が鷲掴みにされたような鈍い痛みが走る。
「あ、ぐっ……!」
あたしはそのままテラスで崩れ落ちた。
大きな物音がしたためか、護衛と、暇人のミハイルが慌てて駆けつけてくるのが目に入った。
でもあたしはストレスによる発作で口を開く余裕が無い。
あたしを担ぎ上げてソファに寝かせた後、ミハイルは少し悲しそうな顔をした。
そのまま無言で、あたしのドレスの隠しポケットを探る。
(ちょっ! ばか! ばか! 親友でもあたしたちは異性よ!)
急激に恥ずかしくなり、心の中で叫んだが、ミハイルは目的のものを見つけ、あたしのお薬であるマル秘ノートを開いた。
「『デリール……。お前のその騒がしい口、どうやったら塞げるかずっと考えていたんだ』……『えっ、タール様?』……『こうするしかなさそうだな……んっ』」
感情の一切こもっていない、事務的なミハイルの棒読みの声が響く。
「はぁぁぁんっ!! タール様ぁぁぁっ!!」
ドンッ! と脳内でタール様の美しい顔が弾け、枯渇していたドキミンが間欠泉のように噴き出した。
冷え切っていた手足にじんわりと熱が戻り、荒かった呼吸が少しずつ整っていく。
「ふぅ……ふぅ……。あっぶない……ギリギリだったわ……。ありがとう、ミハイル」
「無事でよかったよ。……でもさ」
手帳を閉じたミハイルは、月明かりの下で、どこか寂しそうな、切ない瞳であたしを見下ろした。
「いつまでも、タールの妄想お薬に頼って生きていくわけにはいかないだろう? ……その……新しい恋の相手、僕じゃだめなのかな……?」
ミハイルの翡翠色の瞳が、熱を帯びてあたしを見つめる。
普段はお兄ちゃんみたいな彼が、ふと見せた男の顔。
普通ならドキッとする場面なのかもしれない。
けれど、完全にタール様の妄想で頭がいっぱいになっている今のあたしには、ミハイルの渾身のアプローチも全く響かなかった。
「何言ってるのミハイル。あんたが五歳の時に池に落ちてカエルまみれで泣いてたの知ってるのよ? あたしの秘密だって共有しているし。 家族同然のあんたに発情するなんて無理に決まってるじゃない。それより、明日のスケジュールを確認するわよ!」
「…………カエルのこと、いつまで引きずるんだよ。ははっ、そうだね、明日も頑張ろう」
ミハイルは自嘲気味に笑い、スッといつもの優しい幼馴染の顔に戻った。
彼が心の中でどんなに泣いているかなんて、人の話を聞かないあたしには知る由もない。
「待っていなさい、未来の旦那様! あたしの命と領地を託せる、完璧な殿方を絶対に見つけ出してみせるわ!」
夜空に向かって高らかに宣言する。
デリール・インノクトの、命懸けの恋の戦いは、明日以降もまだまだ続くのだった。




