☆14話:恋の痕跡と、動き出す追跡者たち
話は少し遡る。デリール・インノクトが王都で攫われた日のことだ。
青ざめた表情の衛兵に付き添われ、ミッシェル・ドトールスがインノクト邸の扉を叩いたのは、事件発生後からわずかな時間だった。
ミッシェルから「デリールが攫われた」という現実離れした報告を受けた夫人のソピア・インノクトは、即座に表情を引き締め、私兵たちを馬車の捜索へと動かすと同時に、王宮への早馬を飛ばさせた。
屋敷に戻ってきた当主であるアンキエ・インノクト侯爵の顔面は、絵の具を塗りたくったように真っ青だった。
今にもその場で崩れ落ちそうな夫をよそに、ソピアは冷静に私兵を指揮し、馬車が走り去った方角をわずかに特定することに成功する。
「私兵の準備が整い次第、直ちに奪還へ向かう!」
アンキエがそう気勢を上げた、まさにその時である。屋敷の玄関ホールに、荒々しい足音が響き渡った。
「ミッシェル嬢から聞きました……! デリールが、捕まったんですって……!!」
息を切らせて飛び込んできたのは、ミハイル・ソキュぺだった。
貴族令嬢の誘拐という不祥事は、外聞の悪さから世間には一切公表されていない。
目撃者についてもミッシェルが素早く口裏を合わせ、厳重に口止めしていたため、ミハイルの耳に入るのが遅れていたのだ。
「僕も一緒に動きます! 少ない人数ですが、私兵を既に連れてきました……!」
事を大きくしたくはないが、青年の切羽詰まった熱量が、冷え切ったホールの空気を震わせる。
その必死な姿に圧倒され、アンキエは苦渋の決断を下した。
そして、中庭に集結した私兵たちを見据え、彼は当主としての強い覚悟を込めて音頭を取る。
「必ず……我が愛娘を取り戻すぞ!」
すると、すかさず妻であるソピアから鋭いツッコミが入る。
「あらっ、あなたは何を言っているの。同行しちゃダメよ。当主までこの屋敷を空けたら、周囲の貴族たちに余計な勘ぐりをされるでしょうが!」
その一言で、アンキエの戦闘意欲は綺麗に粉砕された。
絶望に打ちひしがれた彼は、力なく膝から崩れ落ち、冷たい床に両手をついて情けない声を漏らす。
「たっ……頼むぞ……! ミハイル君、騎士団長の意見をよく聞いて、必ず我が娘を助けてくれ……!」
こうして、インノクト家から抜擢された選りすぐりの猛者十一名の騎士、経験豊富なインノクト騎士団長、そして駆けつけたソキュペ家の騎士五名とミハイルを合わせ、総勢十八名からなる秘密裡の奪還部隊が編成された。
◇
王都を離れた街道のあちこちで奪還部隊が、わずかな手がかりを求めて捜索を続けていた。
しかし、犯人グループが巧妙に足跡を消しているのか、奪還部隊は早々に決定的な痕跡を見失っていた。
やむを得ず、馬車が通れるような主要な街道を二手に分かれ、道中にある村々で聞き込みを行いながら合流し直して進むという、じれったい小規模な行軍を強いられていた。
「デリールは……僕のことを待っているはずなのにっ! なぜ全然追いつけないんだ……!」
ミハイルは焦燥感に駆られ、引きつった笑みを浮かべている。馬の綱を強く握りしめながら、彼はまだ王立学園に通う学生であり、軍事行動も追跡術も学びきってはいない自分に歯噛みしていた。
そのため、このような大規模な捜索における模範的な初動対応すら分からず、ただ焦りだけが募っていた。
二度目の散開と合流を終え、ようやく一本に絞った街道を進んでいた時のことだ。
後方から、激しい砂煙を上げて近づいてくる一団の影が見えた。
それは三頭の厳めしい軍馬を駆る男たちと、鋭い牙を剥き出しにした六匹のアーメーウルフだった。
そして、その先頭を堂々と率いていたのは、タール・ネルヴーその人であった。
「ミハイル! デリールが誘拐されたと聞いて飛んできた! 俺も捜索に加わるぞ!」
突然現れた元婚約者の姿に、ミハイルは複雑な感情を抱いたが、今はそんな個人的な感情をぶつけている暇はない。
一刻を争う人手不足の中、デリールの確保が最優先である以上、四の五の言っていられなかった。
「タール……! 助かった!」
急遽、騎士団長を交えた三人で、現在の状況を共有するための短い作戦会議が開かれた。
「ちょうどよかった。この件はアラガント殿下から直接教えていただき、追跡に役立つからと、特別に王家騎士団のアーメーウルフまで貸していただけたんだ」
ミハイルたちは、あの気まぐれな第五王子アラガントが自ら動いたことに驚愕しながらも、現状においてこれ以上ない強力な援軍を得られたことに素直に胸をなで下ろした。
自領に戻ればアーメーウルフを捜索に加えられたのだが、王都で手配する指示を行っていなかったので、渡りに船だったのだ。
「ミハイル、これを見てくれ。道中の岩の切れ目に挟まっていたのを、アーメーウルフが嗅ぎつけたんだ」
タールが懐から取り出したのは、濡れてふやけた、千切られた紙屑の切れ端だった。しかも、微かに甘い香水の匂いが漂っている。
消えかけのインクで文字が滲んでいたが、そこに記された筆跡を見た瞬間、ミハイルは目を見開いた。
そこには、こう書かれていた。
『――タール様は耳元で囁いた――』
それは紛れもなく、デリールの命綱である『完全妄想ノート』の切れ端だった。
「タール……! 本当にありがとう……! これで、進むべき道が開けたぞ!」
新たな強力な三名を加え、総勢を増した奪還部隊は、デリールを乗せた馬車の本当の軌跡を捉え、再び猛烈な追跡を開始するのだった。
◇
話は戻り、連日の馬車移動による疲労からか、用意されたベッドで泥のように眠りこけていたデリール・インノクトは、軟禁されてから二日目の朝を迎えていた。
(さてと……。じっと待つなんて、あたしの美学に反するわ。まずは情報収集よ!)
ベッドから滑り落ちるように起き上がると、部屋の隅で控えていたメイドに声をかけた。
あえて隙のある可愛らしい笑みを浮かべて探りをいれてみると、メイドたちは驚くほどあっさりと何でも答えてくれた。
どうやら彼女たちは、この屋敷の裏事情など何も知らず、ただ高額な給金に釣られて雇われただけの一般人らしい。
「この国の貧しい村では、皆がお腹いっぱい食べられるほど物はございませんの。秘密を守る代わりに破格のお給金がいただけるこのお仕事の斡旋を、ありがたくお受けしたのですわ」
「私もそうなのです。最初に怪しい男からお仕事を持ちかけられたときは、さすがに嘘だと思いましたけれど……。先に高額な前金もいただけて、実家に送ったら家族が本当に喜んで……」
「もう半年ほど勤めておりますが、この屋敷から一歩も外に出られないこと以外は、衣食住も保証されていて自由なんですよ?」
朝食のスープをスプーンですくいながら、あたしは根掘り葉掘り事情を聞き出した。そして、最後に一番気になっていた疑問をぶつけてみた。
「そう言えば、何でこの屋敷にはあんなにも綺麗どころを揃えたような男たちがいるの? それと、ここにはあたし以外に軟禁されている人はいないのかしら?」
男たちの立ち振る舞いはどう見ても貴族のそれではなく、訓練された騎士のようでもない。
あたしと血縁関係を結んで家を乗っ取る狙いでもなさそうだし、脅迫のために乱暴させる目的だとしても、顔立ちの整った男たちばかりなのは不自然すぎる。
「それは私たちには分かりかねます……。ただ、指示としては『軟禁した女性を喜ばせることを最優先にするように』と厳命されておりますね。 今までここに連れてこられた女性たちも、皆とても手厚くもてなされていました」
「それに、デリール様以外のお方は現在どなたもいらっしゃいませんよ。 大体一週間ほどすると、皆様どこかへ連れ出されてしまって……。それ以降のことは、私たちには分かりかねます」
(うーん……。本当に肝心なところは何も知らないわけね。でも、一週間は時間に猶予がありそうなのは不幸中の幸いだわ)
その後もたわいない雑談を続けていたら、あっという間にお昼の時間になった。
メイドから「お昼は食堂でお召し上がりいただく決まりとなっております」と告げられ、着替えを済ませたあたしは、案内されて食堂の重い両扉の前に立った。
深く呼吸を整え、ドアをメイドに開いてもらった。
その瞬間。
「「「「「お嬢様、お待ちしておりました……!」」」」」
(うわっ……! 眩しすぎる!)
視界を埋め尽くしたのは、どんな女性の趣味にも応えられるようにと計算し尽くされたかのような、年齢も容姿もバラバラの美女ならぬ『美男』たちの集団だった。
何故か絵画でしか見たことのない、伝説の王宮騎士団の正装や、物語の主人公が纏うようなひらひらのブラウスを着込んでいる者までいる。
『うっ……!』と、あまりの麗しさに視界の焦点を奪われながら席に座ると、男たちが一斉に近寄ってきて極上の料理を運んできた。
(落ち着きなさい、あたし! あたしが求めているのは、領民とあたしを幸せにできる完璧な旦那様なのよ! だから……こんな見た目だけの男たちの甘い誘惑になんか、絶対に屈しないんだからね……!)
料理を運ぶたびに耳元で甘い囁き声を落とし、目の前で大きなお肉を上品な一口大に切り分けて「お口に合いますか?」と微笑んでみせる男たち。
ただのランチを食べるだけなのに、あたしは脳内で戦闘態勢を最高潮に引き上げた。
(……絶対に、絶対に屈しないんだからね……っ!)
◇
自室に戻り、メイドを下がらせた瞬間、あたしはベッドの上にバタリと倒れ込んだ。
その途端、先ほどまで張り詰めていた表情が、くしゃりと崩れ落ちる。
(悔しいっ……! アラガント様の不意打ちの誘惑にも耐えられないのに、今度はこの物量作戦だなんて、あまりにも卑怯だわ! 新手の精神拷問よ……!)
顔を真っ赤にしてベッドの上を転げ回ったが、すぐにポジティブな思考へと切り替える。
(よく考えたら、これだけ至れり尽くせりしてもらえるなら、自分でドキミンを分泌させる手間が省けたと思えば大儲けじゃない!)
なお、夕食も食堂で強制的にこのメンバーと顔を合わせる必要があるらしい。
誰かこの屋敷の本当の目的を知っている者がいればいいのだがと思いながら、顔のニヤケが戻るまで、あたしはひたすら枕に顔を埋めて現実逃避を続けたのだった。




