☆13話:侯爵令嬢は我儘なのがテンプレです
ガタゴトと、湿った車輪の軋む音が響く。
あたし――デリール・インノクトは、黒づくめの男たちに拉致されてから、気づけば優に二時間が経過していた。
視界を奪われていた布袋は、周囲に見張りがぴったりと張り付いているためか、今はすでに外されている。
閉ざされた馬車の車内には、男たちの汗と鉄錆が混じったような生臭い匂いが充満しており、思わず眉をひそめた。
「あなたたち、自分が誰を王都からさらったのかわかっているのかしら! この国では、貴族に狼藉を働いた者には容赦なく私刑が許されているのよ!」
あたしは、扱いから命に別状はなさそうと判断して、腕を組んで凄み、強気の情報収集を開始した。
しかし、あたしが『この国』という言葉を使ってピシャリと責め立てても、男たちは一切の動揺を見せない。
(やっぱり、最悪のパターンだわ……! あの特徴的な黒い外套と装備の仕様から予測はついていたけれど、どう見ても自国の人間じゃないわ。他国の人間の兵士よ!)
『ぐぬぬっ』と心の中で歯噛みしながら根掘り葉掘り質問を投げ続けてみたが、一向に彼らの真の目的が見えてこない。
あの馬車が襲われた現場には、悪友のミッシェルも同乗していた。
王都の真ん中での大胆な犯行だ。
きっと今頃は王都の衛兵たちが大慌てで捜索に動き出し、パパやミハイルたちも血眼になって探しているはずだ。
……だが、この誘拐犯たちの移動速度からして、すぐに追手が追いつくという期待は薄いかもしれない。
「ねえ。何で侯爵家のあたしを誘拐したのか、少しだけでも教えてくれてもいいでしょう?」
藁にもすがる思いで質問攻めを続けるあたしに、ついに業を煮やしたのか、見張りの男が低く吐き捨てるように言った。
「うるさいぞ! 俺たちはこの『計測機』が反応した対象を、傷一つつけずに運べと上から命令されているだけだ! 誰に聞いたって答えは同じだ、黙って座ってろ!」
男の腰元を見ると、青白く不気味な光を放つ小さな懐中時計のような精密機械が握られていた。
すかさず、その『計測器』の構造をもう少し詳しく見せてもらおうと話題を広げようとしたが、見張りはもうこれ以上の会話をするつもりはないらしく、ピタリと口を閉ざしてしまう。
(……ふん。これ以上おとなしく連れ去られるなんて、あたしのプライドが許さないわ!)
こうなったら、あらゆる手段を使って徹底的な遅延工作に切り替えてやる。
既に男の口から『傷一つつけられない』という最大の弱点を吐き出させたのだ。
ならば、精一杯足を引っ張って、追手が間に合うまでの時間を稼いでみせる!
「ねえ! あたし、お花を摘みたくなったわ! 少し離れた位置で前後左右を見張っていれば、逃げられないのは分かっているでしょう?」
無視される。
「ねえ、聞いてるの!? 侯爵家の令嬢たる、この私が万が一にも途中で粗相をするようなことがあれば、精神に甚大な傷を受けて生きていけなくなるわよ! それでもいいの!?」
それでも見張りは顔色一つ変えない。
「――あーあ。こうなったら、自分の舌を噛み切るしかないみたいね。では、皆さま、さようなら」
「っ、分かったよ!! おい! お前ら、馬車を止めろ! 小休止だ!!」
どうやら、人質に死なれるのが一番困るらしい。
この男がリーダー格のようで、慌てて指示を飛ばした。
作戦勝ちだ。
遠く離れた位置で前後左右に見張りが配置されたのを確認し、あたしは木陰に身を隠すと、すかさずドレスの隠しポケットからあるものを取り出した。
(ふぅ……命拾いしたわ。追手に時間を稼いでもらうためにも、まずはこの不足しきったドキミンを何とかして捻りださないと!)
あたしはお薬である『完全妄想ノート』をパッと開き、最新のページに目を走らせた。
「ンッ、あっ……! タール様! ……バリー様! あたしを賭けて、決闘をなさるだなんて、そんな情熱的で素敵な……!」
脳内で華麗に変換されたシチュエーションに浸ること数分。
お薬の時間が終わり、心身ともにエネルギーが満タンになったあたしは、何食わぬ顔で優雅に馬車へと戻っていった。
その小休止の隙を突き、あたしは愛用していた王都で一番人気の『甘く濃厚な薔薇の香水の小瓶』を千切った『完全妄想ノート』に数滴に垂らして岩の隙間に押し込んだ。
これなら、追跡の役に立つはずだ。
馬車に戻ると、リーダー格の男が先ほどの小さな懐中時計のような魔導具を見つめながら、青ざめた顔で仲間に呟いているのが聞こえてきた。
「おい……見てくれ。さっきターゲットが一時的に視界から離れた時、この計測機の数値が……異様に跳ね上がったぞ。……間違いない、絶対こいつを祖国へ連れ帰るんだ。この娘の力を手に入れれば、我が国を覆う枯渇の危機が救える……!」
あたしは何も聞こえなかったフリをしながら、涼しい顔で馬車に乗り込んだ。
「ありがとうございました。おかげ様で私の体面は保たれましたわ」
そう気高く言い放ちながらも、先ほどの男の発言の断片を頭の中で反芻する。
(数値? 一体何を見ているのよ……? あたしの美しさを測る機械かしら?)
その後も、あたしは諦めずにあらゆる遅延行動を仕掛け続けた。
『髪を洗いたいわ! 水辺に止めて!』『この馬車の匂いが気に入らないから、せめて綺麗な花の匂いがしないと体調を崩すわ!』と、ありとあらゆる我儘をぶつけて時間を稼いだ。
……だが、どれほど粘っても、王都の騎士団やミハイルたちが追いつく気配はなく、丸三日が経過した頃、ついに目的地に到着してしまったのだった。
◇
連れてこられたのは、国境の山奥にひっそりと佇む、冷たい印象を受ける不気味な洋館の応接室だった。
部屋の中にはメイドもいたが、アラガント様ほどではないものの、それなりに整った顔立ちをした若い男たちが、ずらりと控えている。
しばらく待たされると、下卑た笑みを浮かべる貴族を名乗る男が入ってきた。
「よくぞおいでくださいました。家名を聞いて驚きましたが、侯爵家のデリール嬢ですね。道中はさぞ怖い思いをされたでしょう。ですが、もう安心してください! あなたの身柄の無事はお約束しますよ」
あたしは何も答えず、反応を顔に出さないように相手を観察する。
(怖がったらダメよ。言いなりもダメ。のらりくらりと助けられるまでの時間を稼いでやるわ)
「これからはこの者たちにあなたのお世話をさせます。本日はごゆるりとお休みください」
気持ち悪く作られた笑顔に対して、あたしは内心で毒づきながら返事をした。
「ええ、ご親切にどうも。ゆっくり休ませてもらうわ」
その後はメイドたちに連れられ、部屋へと案内された。
この屋敷で、あたしは軟禁生活を送ることになる。
部屋の窓は固く閉ざされ、外の様子は伺えない。
男の言葉や屋敷の雰囲気から、この誘拐を実行した国の正体が分かった。
隣国で、深刻な資源の枯渇と食糧難に喘ぎ、切羽詰まっているらしい国だ。
彼らは自国の危機を脱するため、どこかと戦争を起こすのではないかと警戒されているのは知っていた。
(もしかすると、我が国を侵略し、雄大な領地を力ずくで奪い取るための『戦争』を起こす可能性もありそうね)
あたしは宛がわれた豪華なゲストルームのベッドに深く腰掛け、静かに目を閉じて夜を待った。
(……早く来てよね。パパ、ミハイル)
あたしが残した甘い薔薇の香りを頼りに、運命の歯車が音を立てて回り始める。




