☆11話:危険な密室アプローチ
「遅かったじゃないか、デリール!」
我がインノクト侯爵家の紋章が刻まれた馬車。
そのふかふかな革張りシートの真ん中にドカッと腰掛け、あたしのお気に入りのシルククッションを腕に抱えながら、アラガント様はまるで自分の所有物であるかのように優雅に寛いでいた。
(な、ななな……何で人の家の馬車に当然のような顔して収まっているのよ、この歩くハザードスピーカーはーーーっ!?)
絶句しながらも、あたしは仕方なく自分の馬車に乗り込んだ。
アラガント様は極上の黄金の髪をふわりと揺らし、眩いばかりの王子様スマイルを向けてくる。
あたしは咄嗟に持っていた扇子をパッと広げて話をする態勢を取り、頬を膨らませた。そして、露骨に不機嫌な態度をアピールしながら尋ねた。
「……アラガント様。一体全体、何の御用でしょうか? こちらはわたくしの馬車ですけれど」
すると、それまでキラキラとしたお調子者のスマイルを浮かべていたアラガント様の表情が、すうっと真顔になり、低く落ち着いた声で呟いた。
「おいおい、デリール。本当に心配したんだぞ? ……タールと、お前のことを」
「っ……!」
(ふんっ! 今更知っている昔馴染みのトーンに戻して『心配した』なんて言われてもごまかされませんわ! 昼間に皆の前で『僕のために別れたんだって?』なんて爆弾発言をしてかき回した罪は、絶対に許さないんだから!)
あたしは相変わらず扇子で口元を頑なに隠し、彼と直接目を合わせないように横を向きながら冷ややかに返した。
「……タール様のついでではありませんか。それに、タール様は自らわたくしとの婚約を白紙に戻した側ですわ。今頃はきっと、大好きな難しい専門書と戯れて、静かで平和な時間を心ゆくまで満喫されておりますわ」
『わたくしだってタール様のことなんて綺麗さっぱり忘れてますわ』という言葉を続けようとしたが、口が上手く開かなくなり言葉にできなかった。
(……先日の貴族三本勝負で落馬した時。 間一髪で助けてくれたタール様……抱きしめられて、相変わらず心臓が跳ね上がるほどドキドキしちゃったなんて、口が裂けても言えるわけがないわ……!)
あの時の、冷たい態度とは裏腹な今にも泣き出しそうなタール様の瞳。そして力強い腕の温もり。
思い出すだけで体内のドキミンが急速に分泌され、胸の奥がキュンと甘く痛む。
そんなあたしの思考の揺らぎを見透かしたように、アラガント様は淡々と言葉を重ねた。
「タールは昔から鈍い。何でも一人で勝手に抱え込み、一人で考え、そのまま勝手に行動して……そして、後悔する。昔から、君もアイツのそういう不器用なところを見てきただろう?」
「……ッ」
アラガント様がスッと体の位置をずらし、あたしの逃げ場を塞ぐように距離を詰めてくる。
(うっ、甘ったるい香水の匂いが鼻を突くわ……!)
彼は横を向いて顔を背けているあたしの瞳を覗き込むように、至近距離から真剣な眼差しを向けてきた。
(も、もう無理……! あたしの顔をそんな距離から覗き込むんじゃないわよーーーっ!!)
扇子を握りしめる手にギギギと力が入る。
「……そうですわね。もし彼が後悔しているのだとしたら、一生後悔されていれば良いではありませんか。わたくしには関係のないことですわ」
震えそうになる声を必死で抑え込み、強がってみせる。
すると、膝の上でぎゅっと握りしめていたあたしの右手に、温かく大きな手がそっと重ねられた。
「あ……」
「君もそうだ。昔から無理をする子じゃないか。今だって……強がって無理をしているから、手がこんなに震えている」
アラガント様の声は、いつもの軽薄なナルシストのものとは思えないほど、優しく、そして深かった。
(ずるい……!)
まるで傷ついた少女を慈しむような、包み込むような声音。
だが――!
「アラガント様っ!!」
シュパッと、あたしは音が出るほどの速さで手を引いて彼の拘束から逃れ、馬車の隅へと素早く移動した。
「毎回言っていますけれど、その距離感は今すぐおやめになっていただけますか!? ……それと、本日は少々体調が優れませんので、お話はまたにしてくださるかしら!?」
だって! だってあたしは今、それどころじゃないのだ!
(むりーーーっ! やっぱり、顔だけは超絶タイプーーーっ! ドキミンが勝手に分泌されちゃうーーーっ! むりーーーっ!!)
王族としての気品と、天から与えられた極上の造形美。
間近で見ると、長くて綺麗なまつ毛や、宝石のように透き通った瞳の色彩までハッキリと見えてしまう。顔の良さだけで言えば、間違いなくこの国のトップクラスだ。
頭の中で警報が鳴り響いている。
この顔で、この声で、こんなロマンチックなシチュエーションで迫られたら、どんな乙女だってドキドキを抑えられるわけがない!
だけど、あたしの理性と貴族としての本能が、「赤信号」を点滅させているのだ!
あたしの必死すぎる拒絶反応を見て、アラガント様は拒まれた悲壮感を見せるどころか、「やれやれ」と両肩をすくめてみせた。
「フッ……分かったよ、今日はここまでにしておこう。体調が悪いなら無理はさせられないからね」
彼は優雅な動作で立ち上がると、あたしの馬車の扉を自ら開けた。
そして、馬車を降り、扉を閉める直前――あたしの方を振り返り、お調子者のスマイルを被りなおして一言だけ置いていった。
「教室でも言ったけれど……もし俺を選ぶ気になったなら、いつでも大歓迎だよ、デリール嬢」
バタン。
重厚な馬車の扉が閉まり、アラガント様の姿が外へと消えた。
次の瞬間。
あたしは静寂を取り戻した車内で、声にならない悲鳴をあげながら「プルプルプル……!」と全身を激しく震わせた。
そして、抱えていたシルクのクッションを引っつかむと、鬱憤を晴らすようにシートへ向かって盛大に叩きつけ始めた!
バンバンバンバンッ! パパンッ!!
「むーりーっ! むーりーっ! 立場的に絶対無理だからーーーーっ!!」
クッションをぱんぱんと連打しながら、あたしは車内で叫び散らした。
「あとっ! 馬車内に充満しているこの甘ったるい香水のセンスも無理! ナルシストな性格も無理! 政治的リスクも無理! 顔以外、全部無理よーーーーっ!!」
ハァハァと息を荒らし、沈没するあたし。
(ああ……! 何なのよ本当にもう! 顔が良いだけにタチが悪いわ! ドキミンは無駄に補給できちゃったけれど、こんなの精神衛生上よろしくなさすぎるわよ!)
顔だけはドンピシャで好みなのに、中身と立場がアウトすぎるという究極の焦らし拷問。
あたしが一人で悶絶し、頭を抱えてのたうち回る中、馬車はガタゴトと音を立ててインノクト侯爵家の屋敷へと向かって静かに走り出していくのだった。




