第09話 依頼人の影
上層の終わりが近づいていた。
通路が徐々に広くなり、天井も高くなっている。
空気の流れが変わった。
「この先に大きな空間がありそうだな」
セイが呟いた。
「空気が動いてます。開けた場所が近い」
アリアが頷いた。
「上層の最後のエリアかもしれないわね」
「よし! 行くぞ!」
「待て。ここまで来て油断するな」
セイがカイトの襟を掴んで引き戻した。
「えー」
「えーじゃない。上層の最後ってことは、罠……最後の仕掛けがある可能性が高い」
「最後の仕掛けって?」
「複合罠だ。今まで個別に来ていた罠が、同時に発動する可能性がある」
「それ、やばくない?」
「やばいから言ってるんだ」
「ここまでの罠を考えると、落石、矢、火炎——この三つの組み合わせが最も確率が高いです」
アリアが分析した。
「同時に来たらどうする?」
「陣形で対処します。落石は上から来るので、私が魔法の天蓋で防ぎます。矢は両サイドの壁から来る想定なので、セイとリーナが左右を担当して弾いてください」
「了解だ。俺が右、リーナが左でいいか」
「オーケー。で、火炎は?」
「足元から噴き出すタイプです。これだけは走って抜けるしかありません。全員が固まって一気に駆け抜けます」
「走るのは得意だぞ!」
「走って罠を踏むのも得意でしょ、あんたは……」
「重要なのは、全員が同じタイミングで同じ方向に走ることです。散らばると私の天蓋が届きません」
「全員一緒にってことね」
「はい。カイトだけ別方向に走るのが一番まずい」
「……それが一番ありそうなのが問題なのよ」
---
広い空間に出た。
天井が高い。
明かりが奥まで届かないほどの広さだった。
空気が冷たく、どこか不気味な静けさが漂っていた。
「でかいな。これまでの通路とは明らかに違う」
「注意してください。この空間、何かが——」
アリアが言いかけた瞬間。
三方向から同時に罠が発動した。
天井から岩が落ちてきた。
左右の壁から矢が飛んできた。
足元から火柱が噴き出した。
アリアの予測通りだった。
「走れ! 全員固まって前に!」
セイが叫んだ。
全員が同じ方向に走り出す。
アリアが頭上に魔法の天蓋を展開し、落石を弾いた。
セイが右から飛んでくる矢を剣で弾く。
リーナが左の矢を盾代わりの鞄で防いだ。
足元の火柱を全員で飛び越えながら駆け抜ける。
——カイトだけが、別方向に走っていた。
「カイト!? そっちじゃない!」
リーナが叫んだが遅かった。
カイトは火柱を避けようとして横に跳んだ。
着地で足がもつれた。
転びそうになって、咄嗟に壁に手をついた。
その手が、壁の出っ張りを押し込んだ。
ガチン。
全ての罠が止まった。
火柱が消え、岩が止まり、矢が途絶えた。
広い空間に、沈黙が戻った。
「…………」
「…………」
「…………」
「……え? 止まった?」
カイトがきょろきょろしている。
「お前が壁のスイッチを押した。全部止まった」
「スイッチ? どれ?」
「お前の手が押してるやつだ」
カイトが自分の手元を見た。
確かに、壁の出っ張りがカイトの手で押し込まれている。
「あ、ほんとだ」
「ほんとだ、じゃないのよ! そもそもなんで別方向に走ったの!? 全員一緒にって言ったでしょ!?」
「え、こっちの方に行くんじゃなかったの?」
「違う! セイが『全員こっちだ』って叫んだの聞いてなかったの!?」
「聞こえなかった! 火がすごくて!」
「聞こえないのに走るな!!」
セイが苦笑した。
「まあ、結果的に別方向に走ったおかげでスイッチを押せたわけだが」
「フォローしないでよ!」
「カイトの手が勝手に正解を押しただけだ」
「記録します。複合罠、同時発動三件。停止方法——転倒防止の手つき」
アリアがノートに書き込んだ。
「手をついて世界を救う冒険者、前例はありません」
「世界は救ってない!」
---
罠が止まった後、全員が息を整えた。
カイトは押したスイッチに興味津々で、壁の仕掛けを触りまくっていた。
「なあ、これどうなってんだ? 引っ張り出したらどうなるんだ?」
「触るな! また発動するかもしれないだろ!」
セイがカイトを壁から引き剥がしている間に、リーナはメルの位置を確認した。
——いた。
火炎の噴出口から離れた壁際。
落石の範囲外。
矢の射線からもずれている。
三つの罠全てから安全な、たった一箇所。
偶然にしては、あまりにも正確な位置だった。
リーナは記憶を辿った。
罠が発動する直前、メルはどこにいた?
カイトの後ろにいたはずだ。
だが発動の瞬間には壁際に移動していた。
いつ動いた?
なぜあの場所だと分かった?
「ねえ、メル」
「は、はい?」
「あんた、さっきの罠が発動する前に、あの壁際に移動してたわよね」
「え?」
「あたしたちが散ったのは罠が発動した後よ。でもあんたは発動の前にあそこにいた」
「あ、いえ……たまたま、あの辺りに移動していただけで……足元が不安定で、壁を探して……」
「足元が不安定?」
「は、はい……暗くて、怖くて……」
メルの声が小さくなった。
目が泳いでいる。
リーナは黙った。
追い詰めたい衝動を、ぐっと堪えた。
ここで問い詰めても逃げられる。
メルの言い訳は筋が通っている。
暗くて怖いから壁を探した——それ自体はおかしくない。
証拠がない。
あるのは、状況証拠とリーナの勘だけだ。
「……そう。確かに暗いもんね。怖いわよね」
「は、はい……すみません」
メルがほっとした表情を浮かべた。
その「ほっとした」という反応自体が、リーナの疑念を深めた。
問い詰められることを恐れている。
つまり、問い詰められるような何かがある。
---
セイに引き剥がされたカイトが、ようやくメルに目を向けた。
カイトがメルに歩み寄った。
「メル、大丈夫か? 怪我してない?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
「さっきの罠、すげーな。三つ同時とか」
「は、はい……すごかったですね」
「でも全員無事だったし! ラッキー!」
「……はい」
メルが一瞬、泣きそうな顔をした。
ほんの一瞬だけ。
すぐに笑顔を作った。
リーナだけが、メルの表情の変化を見ていた。
---
休憩を取りながら、リーナはセイとアリアを少し離れた場所に呼んだ。
「ちょっと、二人に話がある」
「何だ?」
「あの子のことよ。メルのこと」
リーナは小声で話した。
「さっきの複合罠。メルだけ安全な場所にいた。偶然じゃないと思う」
「偶然じゃないって……どういう意味だ?」
「メルは、罠の位置を知ってた。発動する前に安全な場所に移動してた」
セイが眉を寄せた。
「考えすぎだろ。メルが罠の位置を知ってるわけがない。俺たちだって分からなかったんだぞ」
「それが変なのよ。あたしたちは分からないのに、あの子だけ分かってるの」
「データとしては、リーナの指摘に一定の根拠があります」
アリアがノートを開いた。
「罠が発動するたびに、全員の立ち位置を記録していました」
アリアがノートのページをめくった。
数字がびっしり書き込まれている。
カイト、リーナ、セイ、メル——全員の位置が罠ごとに記録されていた。
「カイトは毎回罠の直撃圏内にいます。セイとリーナは対処のために前に出ています。私は後方で魔法を構えています。ここまでは全員、罠に対応するための合理的な位置です」
「メルは?」
「メルだけが違います。針の罠ではカイトの隣にいましたが、岩の罠では壁際に退避。刃の罠では通路の端。火柱の罠では後方に下がっていました。他の罠でも同様です。そして今回の複合罠では、三つの罠全ての射程外に位置していました」
「……偶然にしては——」
「他の四人と比較して、メルだけが罠の発動前に安全な位置に移動しています。有意な偏りです」
セイが腕を組んだ。
「だが、動機が分からない。メルが罠を知ってるとして、なぜ俺たちに教えない? 教えてくれれば全員安全に進めるだろ」
「それが分からないから気持ち悪いのよ」
「……分かった。もう少し様子を見よう。ただし、中層に入ったら気をつける」
セイが渋々頷いた。
「カイトには言うなよ。あいつは何も気にしてない。メルのことを純粋に心配してるだけだ。下手に言えば——」
「言わないわよ。あいつに言っても『で?』で終わるもの」
「……否定できない」
「むしろカイトに言ったら、メルに直接聞きに行きかねません」
「それが一番まずいわね……」
---
休憩が終わった。
カイトがメルに水筒を差し出していた。
「ほら、メル。水飲めよ。顔色悪いぞ」
「あ……ありがとうございます」
メルが水筒を受け取った。
手が震えていた。
「メル? どうした、手震えてるぞ」
「い、いえ……寒いだけです」
「寒いのか? 俺の上着貸そうか?」
「だ、大丈夫です! お気持ちだけ!」
メルが慌てて手を振った。
カイトが首を傾げた。
「変なやつだな」
「変なのはあんたよ……」
リーナは小声で呟いた。
カイトだけが何も気づいていない。
それが救いなのか、それとも厄介なのか、もう分からなかった。
——次の層で、あたしが、はっきりさせる。




