第08話 毒沼と崩壊床
「落とし穴、矢の雨、毒沼——殺す気満々だな、この洞窟」
―― 上層の罠
休憩を終えて、さらに奥へ進んだ。
通路は相変わらず罠だらけだった。
壁から飛び出す棘、天井から落ちてくる網、床に仕込まれた回転刃。
次から次へと罠が襲いかかるが、カイトのラッキーで一つ一つ切り抜けていく。
「まだ続くのか、この罠……」
疲れたようにセイが呟いた。
ここまで全ての罠を切り抜けてきたが、消耗は確実に蓄積している。
……カイトを除いて。
セイが改めてメンバーを見回した。
リーナは息が上がっている。
アリアはノートを持つ手が震えている。
メルは壁に手をついてやっと立っている。
カイトだけが、元気にきょろきょろと辺りを見回していた。
「あんた、本当に疲れないの?」
「え? 普通に歩いてるだけだぞ」
「ダンジョンで普通に歩いてること自体がおかしいのよ、しかも罠を全部避けるなんて異常よ異常」
「そうか?」
「そうよ!」
もはやこの問答は日常だった。
---
毒沼のエリアに出た。
通路が途切れ、広い空間が広がっている。
床一面が紫色の液体で覆われていた。
強い刺激臭が鼻をつく。
所々で泡がぷくぷくと浮かんでは、不気味に弾けている。
「毒沼ですね。成分は不明ですが、触れない方がいいでしょう」
アリアが顔をしかめた。
「渡れるのか? 対岸に通路が見えるが」
セイが目を細めた。
沼の向こうに、確かに通路の入口がある。
距離は二十メートルほど。
沼の中に、いくつかの岩が頭を出していた。
「あの岩を足場にすれば渡れそうだな。ただし落ちたら——」
「落ちたら毒で動けなくなるでしょうね」
「やだなぁ」
「やだとかじゃないのよ。死ぬかもしれないのよ」
「大丈夫だろ!」
「根拠は!?」
「勘!」
リーナが額を押さえた。
「……もうその問答、飽きたわ」
「岩の配置を見ると、跳ぶ順番が重要ですね。手前から三つ目が大きいので、そこを中継点にして——」
アリアとセイが岩の配置を分析している間、カイトは暇を持て余していた。
「なぁー、暇なんだけど」
「暇じゃないわよ。作戦会議中でしょ」
「でもやることないし」
カイトが鞄を漁り始めた。
途中で拾い集めたガラクタを取り出して、毒沼に向かってぽいっと投げた。
紫色の液体にガラクタが沈む。
「おい、何してる」
「鞄の中、重いから軽くしようと思って」
「それ、さっき針を止めた鉄の塊じゃないのか?」
「うん。割れちゃったから、もういらないかなって」
ぽいっ。ぽいっ。
カイトは次々に鞄の中のガラクタを毒沼に投げ込んでいった。
「カイト! 毒沼にゴミ捨てないでよ!」
「じゃあ、沼じゃなくてここに捨てるわ」
カイトが残りの破片を足元にごろっと置いた。
「よし、ルートが決まった。手前から二つ目の岩に飛んで、そこから四つ目に——」
セイが作戦を伝えようとした。
「うっし、じゃあ行くぞ!」
カイトが飛び出した。
「おい! 作戦を——」
カイトが岩に飛び乗った。
二つ目、三つ目と順調に跳ぶ。
四つ目の岩で足が滑った。
「うおっ!?」
毒沼に落ちた。
紫色の液体が飛び散る。
「カイト!!」
リーナが叫んだ。
全員が凍りついた。
「…………あれ?」
カイトが毒沼の中で立ち上がった。
腰まで浸かっている。
「……なんともないぞ?」
「は?」
「毒沼に落ちたのに、なんともない」
アリアが沼の縁に駆け寄り、液体を少量採取して調べた。
「……毒の成分が分解されています。何かが中和している」
「なんで?」
アリアが周囲を見回した。
視線が、さっきカイトが足元に置いた鉄の破片に止まった。
「……もしかして」
破片を手に取り、液体と見比べた。
「これです。この鉄の破片に、解毒効果のある鉱石が混じっています。カイトが投げ込んだ破片が、沼の毒を中和したんです」
「…………」
「…………」
「つまり、暇つぶしで命が助かったと?」
「そうなります」
セイが天を仰いだ。
「な、なんで効かないんですか!?」
メルが声を上げた。
全員が振り返った。
メルの声が、明らかに大きかった。
いつもの控えめな声ではなかった。
「……あ。いえ、その……心配で。毒が効かないなんて、不思議だなって……」
「そんなに驚くことか? カイトだぞ」
セイが肩をすくめた。
「カイトですからね」
アリアが頷いた。
「もう説明不要のラッキーよ」
リーナがため息をついた。
メルは口を閉じた。
顔がこわばっていた。
「メル、大丈夫か? 俺が先に歩くから、ついてこいよ!」
カイトが毒沼の中を歩き始めた。
カイトが投げたガラクタの周囲だけ、毒が中和されている。
その安全地帯を辿って、後続の四人が渡っていった。
「……暇つぶしで道ができるパーティーも珍しいですね」
「作戦会議が一番無駄だったな」
「言わないでよ……」
「しかし、落とし穴、矢の雨、毒沼——殺す気満々だな、このダンジョン」
セイが渡り終えた毒沼を振り返って呟いた。
「殺す気は満々ですが、殺せていないのが現状ですね」
アリアが淡々と返した。
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毒沼を越えた先は、広い通路だった。
セイが慎重に先を確認している間に、カイトが一人でふらふらと先に進んでいた。
「おい、カイト! 勝手に——」
カイトの足元が、ミシッと鳴った。
「ん?」
床にひびが走った。
カイトが踏んだ場所を中心に、亀裂が広がっていく。
「カイト!!」
リーナが叫んだ。
全員が凍りついた。
「うおっ!?」
カイトが走り出した。
だがまっすぐではなかった。
なぜかぐるぐると、通路の中を蛇行しながら走っている。
「なんであんたは真っ直ぐ走れないのよ!」
「だって足元が崩れてんだよ!」
カイトが走り抜けた場所だけ、崩落が浅かった。
薄く割れるだけで、底が抜けていない。
一方、カイトが通らなかった場所は、床が根こそぎ崩壊していった。
通路の大半が暗い穴に変わっていく。
そして——崩落した床の破片が、カイトの進む先に積み重なっていった。
段差のように。
階段のように。
気がつくと、カイトの前に崩落した破片が作った階段ができていた。
「……なにこれ」
カイトは階段を駆け上がるように、軽快に対岸へ渡っていった。
「興味深いデータです。崩壊パターンを分析すると、カイトが踏んだ場所だけ構造的に強い部分に当たっています。意図的に選んだのではなく、歩いた結果がたまたま最適解でした」
「またラッキーで道ができてるし……もう驚く気力もないわ」
リーナが呟いた。
残りの四人は、カイトが走った跡——崩落が浅い場所を辿って、瓦礫の階段を登って対岸に渡った。
「よし! じゃあ進もうぜ!」
「……あんたはいつも元気ね」
四人は乾いた笑顔で答えた。
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リーナは、ずっとメルを見ていた。
毒沼の時。
メルの声が大きくなった。
「なんで効かないんですか」——あの言葉。
心配している人間の言い方ではなかった。
信じられない、という声だった。
あの一瞬だけ、メルの仮面が剥がれた。
そして崩壊する床の時。
メルは罠が発動するたびに、小さく反応していた。
声には出さない。
でも目が動く。
罠が発動して——カイトが無傷で切り抜けるたびに、メルの目が揺れていた。
安堵ではなかった。
依頼人なら、護衛の冒険者が無事だったことに安堵するはずだ。
でもメルの目には、安堵とは正反対の色が浮かんでいた。
リーナは首を振った。
まさか。
依頼人が、冒険者が罠を切り抜けてがっかりするなんて。
そんなことがあるわけがない。
でも、目は嘘をつかない。
リーナはオルト村で、カイトのやらかしを何年も隣で見てきた。
人の表情を読むのは得意だ。
カイトにだけは通用しないが。
——あの子、罠が発動するたびに。
カイトが無傷で切り抜けるたびに。
安堵じゃなくて——がっかりしてる?




