第34話 空の下で
ヒーホー。
鳴き声が聞こえた。
カイトが仰向けのまま顔を横に向けると——ロバがいた。
ダンジョンの入口で待っていたロバが、駆け寄ってきていた。
尻尾を振って、カイトの顔をぺろぺろと舐めた。
「うわっ、くすぐったい!」
カイトが笑った。
「お前、待っててくれたのか!」
ロバがカイトにすり寄った。
ダンジョンが崩壊しても、ここで待ち続けていたのだ。
「よしよし。もう大丈夫だ」
カイトがロバの首を撫でた。
ロバが嬉しそうに鳴いた。
「……ロバだけは本当に変わらないわね」
リーナが寝転がったまま笑った。
「カイトにだけ懐くのも相変わらずだな」
セイが起き上がりながら言った。
「記録します。ロバ、健在。ダンジョン崩壊にも動じず」
アリアがノートを開いた。
脱出直後でもう記録を再開している。
「もう記録してる……」
メルが呆れた声を出した。
「カイトのラッキーも変わらなかったわね。勇者の因子が封印されたのに、ダンジョン崩壊を全部避けるって何なのよ」
「知らん。生まれつきだ」
「……もう突っ込む気力もないわ」
リーナが空を見上げた。
ダンジョンの中では見られなかった、当たり前の空だった。
「記録します。勇者の因子封印後もラッキーは健在。勇者の因子との相関は——なし。結論は後日」
アリアが満足気にノートに書き込んだ。
「その結論、たぶん永遠に出ないぞ」
セイが呟いた。
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しばらくして、全員がなんとか起き上がった。
ダンジョンの跡地の前に座り込んでいる。
ダンジョンの入口は瓦礫で完全に塞がれていた。
もう中に入ることはできない。
ナビゲーターが眠りについた場所も、祭壇も、なにもかもが——全て、瓦礫の下だ。
あれだけ苦労したダンジョンが、跡形もない。
「なんか……不思議な感じだな。あんなに大変だったのに」
カイトが瓦礫の山を見つめていた。
「大変だったのはこっちよ。あんたはラッキーで全部乗り切ったじゃない」
「そうだっけ?」
「そうよ!」
リーナが拳を振り上げた。
だが——すぐに力が抜けた。
「……終わったのね」
リーナが呟いた。
「終わったな」
セイが頷いた。
メルが静かに泣いていた。
声を上げない涙だった。
安堵の涙だった。
リーナが水筒を差し出した。
「……泣き虫ね」
「すみません……」
「泣くなとは言わないわよ。ただ、水飲みなさい。脱水で倒れたら意味ないでしょ」
メルが水筒を受け取った。
一口飲んで、また泣いた。
「……ありがとうございます、リーナさん」
「どういたしまして。あたしだって泣きたいわよ。あの脱出は心臓に悪すぎた」
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「で、これからどうするんだ?」
セイが話を切り出した。
「依頼は完了……なのか?」
「メルの父ちゃんが助かったなら、依頼完了だろ!」
カイトが即答した。
「依頼内容は『呪いを解く力を持つ伝説のアイテムの回収』でした。アイテムは存在しませんでしたが——呪い自体は解けています。依頼の本質的な目的は達成されています」
アリアが冷静に分析した。
「本質的な目的って……メルの父ちゃんの呪いを解くことか」
「はい。呪いは解けました。それが依頼の真の目的でした」
「じゃあ完了だな!」
「カイト、あんたほんと単純ね……」
リーナがため息をついた。
でも——口元が笑っていた。
「問題はギルドへの報告だな」
セイが腕を組んだ。
「勇者と魔王のシステムとか——信じてもらえると思うか?」
「無理だろうな」
「無理ですね」
「無理ですよね……」
「無理だな!」
四人同時だった。
カイトだけが最後に、明るく同意した。
「普通に『ダンジョンが崩壊したので撤退した』でいいんじゃないか。事実だし」
セイが提案した。
「アイテムは見つからなかった。ダンジョンは崩壊した。依頼は失敗。それでどうだ」
「失敗かぁ。そうすると報酬はなしになるなぁ」
カイトが呑気に言った。
「報酬は……あたしがお支払いします! 依頼主ですから!」
メルが言った。
「いいよ、報酬なんて」
「ダメです! 依頼を受けていただいたんですから!」
「メルさんの言う通りです。報酬はいただくべきです。依頼の本質的な目的は達成されていますから。……個人的には、データの価値だけでも相当ですが」
アリアが頷いた。
「アリアはやっぱりアリアなのね……」
リーナがため息をついた。
「ま、報酬の話は帰ってからでいいだろ。それよりギルドへの報告だ。嘘は言ってないわよね……省略してるだけで」
「省略が八割くらいあるけどな」
セイが苦笑した。
「勇者とか魔王とか駄女神とか……言ったところでな」
「信じる人がいたら、その人の方が心配です」
アリアが真顔で言った。
「ナビゲーターのことも言えないの?」
メルが聞いた。
「言わない方がいいだろう。あいつの存在を証明する手段がない」
「……そうですね。でも、あたしたちは覚えてますから」
メルが微笑んだ。
「ああ。忘れるわけないだろ」
カイトが言った。
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メルが立ち上がった。
全員の前に立った。
そして——深く、お辞儀をした。
「本当に……ありがとうございました」
声が震えていた。
「あたしは皆さんを殺そうとしました。罠を仕掛けて、騙して、嘘をついて。それなのに——皆さんは、あたしを許してくれました。仲間にしてくれました。ここまで連れてきてくれました」
メルが顔を上げた。
涙で濡れた顔だったが——笑っていた。
「お父さんが助かったのは、皆さんのおかげです。カイトさんが祭壇に触れてくれなかったら。リーナさんがあたしの嘘に気づいてくれなかったら。セイさんが冷静に判断してくれなかったら。アリアさんが分析してくれなかったら。そしてナビゲーターさんが案内してくれなかったら——」
「メル」
カイトが遮った。
「長い」
「え!?でも——」
「仲間だからな」
「……はい」
「おう! また困ったことがあったら言えよ!」
カイトが笑った。
いつもの笑顔だった。
勇者でも何でもない、ただの冒険者の笑顔だった。
「…………はい!!」
メルが笑った。
今度は、泣いていなかった。
「よかったわね、メル」
リーナが隣に来た。
「リーナさん……」
「あんたのお父さんは助かった。嘘は全部終わった。もう泣かなくていいのよ」
「……はい。もう、泣きません」
「まあ、あんたの場合すぐ泣くだろうけどね」
「ひどいです!」
メルが笑いながら抗議した。
リーナも笑った。
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「さて、帰る——」
セイが立ち上がろうとして、膝が笑った。
「……無理だ。体が動かない」
「あたしも……もう一歩も歩けないわ」
リーナがその場に座り込んだ。
「魔力も体力も記録用以外はゼロです。今動いたら倒れます」
アリアが冷静に自己診断した。
「じゃあ今日はここで野営だな!」
カイトだけが元気だった。
「あんただけよ、元気なのは……」
「ラッキーだからな!」
「それ関係ないわよ!」
ロバがカイトの隣で座り込んだ。
ロバも疲れているようだった。
いや——カイトの隣が居心地いいだけかもしれない。
カイトが手際よく焚き火の準備を始めた。
マジックバッグから残りの食料を取り出す。
「なあ、メル」
カイトが焚き火に薪をくべながら言った。
「お前の父ちゃんに、一回会ってみたいな」
「え? お父さんに会いたいんですか?」
「だって、メルの父ちゃんだろ。どんな人か気になるじゃん」
メルが目を丸くした。
そして——嬉しそうに笑った。
「はい! きっとお父さんも喜びます!」
「……魔族の村長に会いたいって、普通言う?」
リーナが呟いた。
「カイトに普通を求めるのはもうやめた方がいいぞ」
セイが苦笑した。
焚き火の炎が揺れていた。
五人とロバ一頭。
ダンジョンの跡地の前で、最後の夜を過ごしている。
「あの」
メルが声を上げた。
全員が振り返った。
「一つ、お願いがあるんですけど」
「何だ?」
カイトが聞いた。
メルが、深呼吸をした。
顔が赤かった。
でも、目はまっすぐだった。
「あたしは戦えません。魔法も使えません。罠を仕掛けるのはもうしません」
「当たり前よ」
「でも——声で援護することはできます。皆さんの役に立ちたいんです」
メルが、全員の顔を見た。
「あたしも——皆さんのパーティーに、入れてもらえませんか」




