第30話 祭壇
「もう、どうすればいいか分からない」
―― 依頼人の絶望
長い長い階段をくだりきった。
平らな床を踏んだ瞬間、空気が変わった。
このダンジョンのどのフロアとも違う。
冷たくもなく、重くもなく——清らかで——そして静かだった。
音が消えたような静寂。
そこには、広い広い空間が広がっていた。
そして、蒼い光が満ちていた。
しかし、光源はない。
壁でもない、天井でもない。
空間そのものが蒼く光っているように見えた。
「……きれい」
メルが呟いた。
「すげえ……」
カイトが口を開けたまま見回していた。
「魔力の密度が桁違いです。この空間全体が、一つの魔法装置のようなものかもしれません」
アリアが目を見開いていた。
「……こんな場所がダンジョンの奥に眠ってたのか」
セイが息を吐いた。
「なんか……落ち着くわね。不思議と」
リーナが呟いた。
ただ、その空間にはなにもなかった。
あるのは——部屋の中央に、一つだけ。
古い石の祭壇だった。
しかし、祭壇の上には何もなかった。
「……これが、最深部?」
セイが呟いた。
大剣の柄から手を離した。
敵の気配がない。
「何も……ないな」
カイトが周囲を見回した。
宝箱もない。
道具もない。
モンスターもいない。
蒼い光と、静寂と、祭壇だけがある空間だった。
「伝説のアイテムは……」
リーナが呟いた。
言いかけて、やめた。
伝説のアイテムなど、最初からなかった。
メルが父を助けるために作り上げた嘘だった。
全員がそれを知っている。
アリアが広間を歩き回った。
壁面を確認し、床を調べ、祭壇の周囲を観察した。
「……何もありません。隠し部屋も、仕掛けも。この空間には祭壇以外に、何も」
セイが腕を組んだ。
「ナビゲーター。ここが最深部で間違いないのか?」
『はい。間違いありません。ここが、このダンジョンの最深部です』
「最深部に来れば解決の糸口が見つかるって——お前が言ったんだぞ」
『はい。言いました。嘘はついていません』
「でも何もないじゃないか」
『……禁則事項です』
セイが黙った。
ナビゲーターの声は、いつもと同じだった。
だが——いつもの禁則事項とは、何かが違った。
言わないのではなく、言えないように聞こえた。
「ナビゲーター……あんた、何か隠してるわね」
リーナが呟いた。
『禁則事項です』
「……分かったわよ。言えないのよね」
リーナの声に怒りはなかった。
諦めでもなかった。
ただ——悲しそうだった。
全員が黙った。
期待していた。
ここまで来れば、何かあると。
メルの父を助ける手がかりが、きっとあると。
何もなかった。
---
「嘘……」
メルの声が震えていた。
「やっぱり……なかったんだ……」
メルの膝が崩れた。
冷たい石の床に、両手をついた。
「伝説のアイテムなんて、最初から嘘でした。あたしが……あたしが作った嘘です」
「メル……」
「でも……心のどこかで期待してたんです。ここまで来たら、何かあるかもしれないって。お父さんを助ける方法が、あるかもしれないって……」
涙がこぼれた。
止められなかった。
「どうして……お父さんを助ける方法なんて……どこにもないの……?」
メルが泣き崩れた。
声を上げて泣いていた。
蒼い光の中で、小さな体が震えていた。
「ごめんなさい……皆さんを、ここまで連れてきて……何もなくて……ごめんなさい……」
「メル、謝らないで——」
「だって……あたしのせいです。あたしが嘘をついたから。あたしが皆さんを巻き込んだから。ここまで来て……何もなくて……」
メルの声が途切れた。
言葉にならなかった。
「もう、どうすればいいか分からない……」
それは、心が折れたような声だった。
蒼い光の中で、その声だけが広間に響き続けていた。
リーナが黙ってメルの隣に座った。
何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
メルの肩に、そっと手を置いた。
セイは目を閉じていた。
何も言えない顔をしていた。
アリアはノートを閉じていた。
記録魔のアリアが、ノートを閉じていた。
書くことがないのではない。
書く気になれない様子だった。
ナビゲーターは、メルの肩から降りて床に立っていた。
メルの泣き声を黙って聞いていた。
何かを言いたそうな——しかし言えない顔をしていた。
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しばらく、メルの泣き声だけが広間に響いていた。
カイトだけが、祭壇を見ていた。
泣いているメルの背中を見て、祭壇を見て。
また、メルの背中を見て。
カイトが立ち上がった。
「なあ」
静かな、しかし強い声だった。
全員がカイトを見た。
「これ、何だろうな」
カイトが祭壇に向かって歩き出した。
「……カイト?」
リーナが顔を上げた。
「何もないって言ったけど——これがあるじゃないか」
「祭壇が? 確かに綺麗な石だけど、ただの祭壇よ」
「でも、この部屋にあるのって、これだけだ。何かあるなら、これしかないだろ」
祭壇は蒼い光の中心にあった。
「触るなよ。何があるか分からない」
セイが警告した。
「アリア、この祭壇に何か分かるか?」
「……分かりません。彫刻はありますが、文字ではないようなので、分析もできません」
アリアが首を振った。
カイトが祭壇の前に立った。
蒼い光が、カイトの顔を照らしていた。
「……でもさ。何もしないで帰るのは、違うだろ」
カイトが振り返った。
メルを見た。
「メルの父ちゃんを助けるために来たんだ。まだ何もしてないのに、あきらめるわけにはいかないだろ」
メルが泣き濡れた顔を上げた。
「カイト、さん……」
「だから——俺が、触ってみる」
「カイト、待って——」
リーナが立ち上がった。
だが——カイトはもう、手を伸ばしていた。
何となく。
いつもの調子で。
深い考えなど、何もなく。
ただ——あきらめなかっただけで。
祭壇に——触れた——その瞬間——
——激しく光が弾けた。
祭壇が、蒼い光に包まれた。
今まで広間を満たしていた淡い蒼光とは比べものにならない。
目を開けていられないほどの光。
部屋全体が揺れた。
全員が目を覆った。
「何!?」
「眩しい——!」
光は数秒で収まった。
だが、広間の空気が一変していた。
何かが——目覚めたのだ。
光が収まった時——祭壇の表面に、古代の文字が浮かび上がっていた。
壁画で見た文字と同じだった。
「封印を——司る者——勇者の——選択を——」
あの断片が、ここにあった。
「壁画の文字……!」
アリアが声を上げた。
そして。
『……ありがとうございます』
ナビゲーターの声が聞こえた。
いつもの抑揚のない声。
だが——何かが違った。
『触れていただけたのですね』
全員がナビゲーターを見た。
小さな妖精の目が——光っていた。
祭壇と同じ、蒼い光で。
「ナビゲーター……? 何が起きてるんだ?」
セイが聞いた。
「目が光ってる……祭壇と同じ色で……」
リーナが呟いた。
『お待たせしました』
ナビゲーターの声が、いつもとは違う響きを帯びていた。
『あなた方に出会ってから——ずっと、この時を待っていました』
「待ってた? 何を?」
『全て、お話しします』
ナビゲーターが一度、目を閉じた。
そして開いた時——その目は、覚悟を決めた目だった。
『禁則事項は——もう、ありません』
全員が息を飲んだ。
「……禁則事項が、なくなった?」
メルが涙を拭いて、ナビゲーターを見上げた。
「全部……話してくれるの?」
『はい。全て——お話しします。この祭壇のこと。このダンジョンのこと。そして——あなたのお父様のこと』
メルの目が見開かれた。
「お父さんの……?」
最深部に、静寂が降りた。
長い長い旅の果てに辿り着いたこの場所で——全ての答えが、ここから始まる。




