第14話 問い詰め
「殺すつもりだった。でも——この人は、死んでくれない」
―― 依頼人の自白
メルの返事はなかった。
「もう一度言うわね……ねえ。一つ聞いていい?」
リーナの声は静かだった。
怒っていない。
責めてもいない。
ただ、真っ直ぐだった。
「……リ、リーナ、さん?」
メルの声が震えていた。
それは、何を聞かれるのか、もう分かっているようだった。
前を歩いていたカイト、セイ、アリアも足を止めた。
振り返った三人の顔に、リーナの表情が映った。
冗談を言う顔ではなかった。
「上層の罠。あんた、全部知ってたでしょう」
通路が静まり返った。
静寂の中に、全員の息遣いだけが聞こえた。
「…………え?」
セイが眉をひそめた。
「リーナ、何を言って——」
「黙って聞いて、セイ」
リーナの目はメルだけを見ていた。
「最初からおかしかったのよ。罠が発動するたびに、あんただけ安全な場所にいた」
「そ、そんなことは……」
「落とし穴の時。矢の罠の時。毒沼の時。崩壊床の時。複合罠の時。あんたはいつも、罠の射程外にいた」
メルの顔が白くなっていく。
唇が震えている。
「偶然よ。暗くて怖くて、壁際にいただけで——」
「偶然なら、もう一つ説明して。あんた、罠が発動するたびにがっかりしてたわよね」
「が、がっかりなんて……」
「してた。あたしはずっと見てた。罠がカイトに当たらなかったとき、あんたの顔に出てたの。安堵じゃなくて、失望」
メルの口が開いた。
だが、言葉が出ない。
「リーナ、さすがにそれは憶測が——」
セイが割り込もうとした。
「いえ、データ的にはリーナの指摘と一致します」
アリアがノートを開いた。
「罠が発動するたびに、全員の立ち位置を記録していました。カイトは毎回直撃圏内。セイとリーナは対処のために前に出ています。私は後方で魔法を構えています。ここまでは合理的な位置です」
「メルは?」
「メルだけが、罠の発動前に安全な位置に移動しています。一回や二回なら偶然で説明できますが、全ての罠で同じパターンです。有意な偏りがあります」
セイが黙った。
アリアのデータは嘘をつかない。
セイ自身も、リーナの違和感を「考えすぎだ」と片付けていたことを思い出していた。
カイトは——何も言わなかった。
「……でも、動機が分からない。メルが罠を知ってるとして、なぜ俺たちに教えなかった?」
「教えられない理由があったからよ」
セイが言葉を失った。
「それだけじゃない」
リーナが続けた。
「さっきアリアが言ったでしょう。上層の罠はダンジョンの罠に似せて誰かが後から作ったものだって。中層にはモンスターがいるのに、上層にはいなかった。上層は本来のダンジョンじゃない」
メルの肩が震えていた。
俯いたまま、拳を握りしめている。
「違うんです……私は……」
「嘘はもういいわ」
リーナの声は、優しくはなかった。
だが、冷たくもなかった。
真実を求めている声だった。
「あたしはずっと見てた。上層に入った時からずっと。あんたが何かを隠してるのは分かってた」
「…………」
「強制転移の時、あんたは本気で驚いてた。あれは嘘じゃなかった。つまり、あんたは上層の罠は知ってたけど、中層の罠は知らなかった」
「やめて、ください……」
「知ってる罠と知らない罠がある。後から誰かが作った罠だけ知っていた。——上層の罠、あんた、関わっているんでしょ」
メルの膝が折れかけた。
かろうじて立っている。
「あたしが聞きたいのは一つだけ。——なぜ?」
メルが顔を上げた。
目に涙が溜まっていた。
もう隠しきれないと、分かっている顔だった。
カイトが——黙って立っていた。
いつもなら真っ先に口を開く。
場を動かす。
でも今は、何も言わなかった。
黙って、メルを見ていた。
メルがカイトの視線に気づいた。
目が合った。
カイトの目には、怒りはなかった。
責める色もなかった。
ただ、まっすぐに見ていた。
その目が——メルの最後の壁を壊した。
「…………」
メルの唇が震えた。
涙が頬を伝った。
「……そう、です」
声が掠れていた。
「上層の罠は……全部……全部、私が……私が、仕掛けました」
通路に、メルの声だけが響いた。
セイが息を呑んだ。
アリアがノートを閉じた。
リーナは、黙っていた。
カイトだけが、変わらない目でメルを見ていた。
「……なんで?」
カイトが言った。
怒りでも、失望でもない。
純粋な疑問だった。
メルが泣きながら、カイトを見た。
「あなたを……殺すためです」
空気が凍った。
セイの手が、反射的に剣の柄に触れた。
アリアの目が見開かれた。
「あたしたちを殺す——?」
リーナの声が裏返った。
「ち、違うんです! カイトさんだけ……カイトさんだけを……!」
「カイトを!?」
リーナがメルに詰め寄ろうとした。
セイが後ろからリーナを羽交い締めにした。
「落ち着け、リーナ。まだ話の途中だ」
「落ち着けるわけないでしょ! カイトを殺そうとしてたのよ!?」
「だから聞くんだ。最後まで」
リーナが唇を噛んで、歯を食いしばった。
セイを振り払わなかった。
メルが崩れるように膝をついた。
両手で顔を覆った。
「殺すつもりだった。でも——この人は、死んでくれない」
嗚咽が通路に響いた。
「何をしても、何をしても……落とし穴も、矢も、毒も、崩壊も……全部、全部避けて……死んでくれなくて……もう、どうすればいいか、分からなくて……っ……うぅ……」
メルが泣き崩れた。
「ご、ご、ご、ごめんなさい……ご、ごめんなさい……っ……うあぁぁぁ……っ!」
声を上げて、子供のように泣いた。
通路の石畳に手をつき、体を丸めて泣いていた。
誰も動けなかった。
通路の空気が重く沈んでいた。
中層の冷たい空気の中に、メルの嗚咽だけが響いていた。
セイが静かにリーナを放した。
壁に背を預けた。
何を言うべきか、分からないという顔だった。
剣の柄から手を離していた。
少なくとも、目の前の少女は敵ではない。
敵だったかもしれないが、今は——ただの、泣いている子供だった。
アリアはノートを閉じたまま、じっとメルを見ていた。
記録する手が、止まっていた。
データでは測れないものが、目の前にあった。
初めて、記録を忘れていた。
リーナは——メルの前に立ったまま、動かなかった。
問い詰めた。
問い詰めなければならなかった。
でも、目の前で泣き崩れた少女を見て、胸が痛んだ。
拳を握りしめた。
この子は、カイトを殺そうとしていた。
仲間を——幼馴染を。
怒りがある。
でもそれと同じくらい、この泣き声が胸に刺さる。
カイトだけが——メルの近くに歩いていった。
「カイト……」
リーナが呼び止めようとした。
だが、カイトは振り返らなかった。
メルの前でしゃがんだ。
膝をついた。
泣いている少女と、目線を合わせた。
「…………」
メルが涙の向こうからカイトを見た。
殺そうとした相手が、目の前にいる。
怯えるように体が震えた。
「なあ、メル」
カイトの声は、いつもと変わらなかった。
怒りも、失望も、同情もない。
ただの、カイトの声だった。
「なんで、俺を殺したかったんだ?」
メルの嗚咽が止まった。
「……さんを……お父さんを……助けたかったから……です……」
「父ちゃん?」
メルが小さく頷いた。
「お父さんが……閉じ込められて……助ける方法が……それしかなくて……」
声が途切れ途切れだった。
カイトは黙って聞いていた。
急かさなかった。
メルが自分の言葉で話すのを、待っていた。
「……全部、話してくれるか?」
メルが顔を上げた。
カイトの目は、まっすぐだった。
「……はい。全部……話します」




