抱えてゆくには重すぎる。糧にするには、もう若くない。
人生経験というのは知らず知らず歩いて来た細く長いこの道(ひばりさん?)を振り返った時に数える足跡のようなもので。
現在進行形で(これも経験だ)などと言っているうちは咀嚼も吸収も出来ていないと思うのですね。勿論そう思わなきゃやってられないこともあるんだけれども。
嚙み砕いて飲み込んで身になったものが糧だったといえるわけで。
何にもならなかったな、という場合もある。
食い物だってあるもんな。栄養もエネルギーもない、口に入れて飲み込むだけみたいなもの。味のしなくなったガムとか。
つまり糧という考え方を自分のこれまでの経験に当てはめて考えているということは、そのなかで「無駄だったなー」と思うことも多々あるわけで。
もっとこうすればよかった、とか、もっとこんなひとがよかった、とか今でも思うし、取り戻せないけど振り返るのはタダだから時々ムショーに悔しくて。
その時その時で選んできたのは自分なのに、でもそれは本当に選り取り見取りで選んだのか、本当に欲しかったから選んだのか、とか色々考えるとそうでもなくて。
妥協というにはあんまりだけど本望からは程遠い。そんなことばかりが足跡になる。
そうこうしているうちに、他人からの信頼、情愛、人徳といったものを食いつぶして失ったまま若くもなく力も衰えたまま生きてゆくはめになる。
人徳とは徳度のある人々によって生かされている、ということであって。
自分に人徳があるわけでは断じて無い。
周囲の人々の徳でもって生かされているということなのだ。
それすらも失えば、あとは惰性と無視と自己嫌悪だけが募って残って降り積もる。
灰色の万年雪が溶けもせずに世間に自分をうずめてゆくのみだ。




