孤独の発明
プロレスラーでミュージシャンでバイカーでカーマニアでクラフトマンでもある神代龍也さんの配信を見て、toeってバンドを知った。
シンプルなバンド名っていいよな。
KISSとかNIRVANAとか単語ひとつのやつ。
でtoeなんだけれども。
なんで急にtoeかっていえば、今回のサブタイトルが答えです。
そしてそっから、今日も独りで考えた。
孤独の発明、ってどっちだ?
孤独って概念を考えた?
孤独って言葉を思いついた?
孤独って状態を定義して、それに孤独って名前をつけた?
なんだろうな、孤独。
孤独に気が付いたひとが居て、
孤独と言い表したひとも居て、
孤独に苛まれてるひとは大勢で、
孤独を分かち合える人がほしい。
孤独って独りじゃなくても陥る。大勢が自分にだけソッポ向く状況とかもあったし、逆に自分から大勢に背を向けてしまう…無償の愛も思いやりも振り切ってしまうこともあって。孤独って重石にもなるし、翼にもなる。
独りぼっちだけが孤独じゃない。
大勢の中の自分にこそ孤独を感じる。
心の奥底に暗く冷たい小さな箱のような部屋、窓もドアもない童間みたいなものが建て増ししたわけでもないのに付いていて。
そこに閉じ込めた、どす黒くてどろどろした感情の気配を今もこうして生きてる限り感じながら、人前で泣いたり笑ったりして「自分を演っている」ことが人生であり、それは孤独そのものだ。
孤独は誰とも無縁じゃない。
孤立無援は誰にでも起こる。
夢か、恋か、仕事か、家族か、友達か、挫折か、苦悩か、逡巡か、焦燥か、怯懦か、怠惰か、堕落か。太陽の下を歩いてる限り影を踏み続けるように、必ず足元に孤独がある。
陥るのも孤独なら這い上がるまでも孤独だ。
でもいちばん辛いのは、這い上がっても孤独であった場合だ。
孤独がいちばん恐ろしいのは陥っているときじゃなく、抜け出したときの恐怖、その妄念に憑りつかれることなのかもしれない。




