基本的に惨めな人生において時々ほんの数分間くらい晴れやかだなと誤解出来てるだけ
惨めな気分と晴れやかな気分が交互に来ていると思ったら大間違いだ。
生まれてこのかた基本的に惨めな人生において時々ほんの数分間くらい晴れやかだなと誤解出来てるだけなんだ。
まるで水に濡れた犬が同情の毛布を被せられている、その間だけ温もりを感じているようだ。でもそもそもその毛布は昨日まで資源ゴミにするつもりで物置にあったものだ。
つまり、その程度の人生。
同情と憐憫と取引と利害の一致でもなければ温もりを分かち合うことも出来ない。分かち合うのではなく、買い取るのである、そのとき、その時間に放たれている、その人の体温や新陳代謝を。
いちいち訪ねなければ自分で答えも見つけられないような奴は、頭のいい人と比べてもそれほど多くは存在しない。自分の何が、どういけなかったのか?
それがわかれば苦労はしないが、わからなくても苦労はしない。
分からないこと、知らなかったことに対して後から悔むことほど不要な苦労もないだろう。
些細な違和感を無視するな、些細な違和感を感じた相手を無視しろ。
そいつの益、そいつの得、そいつの満足のために引き下がるな。
たった今それが大正解だったとわかった。頭は下げても自分は下げない。
面倒くさいので聞かないし言わないけど、私がそいつの思う通りに振舞ってやる義理も筋合いもないんでな。ああいう奴って何処にでもいるんだな。で自分も外から見たら同じかと思って息をするのも嫌になった。
楽しく、刺激的で、とてもいい時間を過ごしているはずなのに、自分の中に沸々と湧き上がるどす黒い感情や寂しい違和感。
他人の「良かれと思って」が全部いまの自分には的外れな石飛礫になって飛んできて、それがそのまま自分の「良かれと思って」ぶつけた石飛礫になって誰かの頭にカチンと当たっていたのだと思えて。
息をするように自分のことを嫌いになってゆく。だから、ああいう奴らって目に入れたくないんだ。だから、私のこともきっともう目の端に入れるのも嫌なんだろう。




