何でも過剰に反応するのはインターネット人間関係の悪い癖だ
日いちにちと生きながらえるほど心が汗をかかなくなる気がする。何でも過剰に反応するのはインターネット人間関係の悪い癖だ。
なんとなくちゃんと話をして、ちゃんと打ち明けたこともある人が気が付くと居なくなっていて。なんだか寂しいなと思う反面、ああもうお呼びで無いんだなと以前に比べて随分アッサリ引き下がれた自分が居て。まあもういい年でSNSの人間カンケーにんな固執するのもどうなんだと思うし…ほら、こんなこと考えて自分を逃がしている。
前なら七転八倒してこの世の終わりみたいになってたはずなのに。
SNS依存自体が軽くなってきているのかもしれない。
時々アカウントを消してデトックスしたり、おおっぴらに死にたい死にたいと八つ当たりしないようにしているから、そうこうしているうちに慣れてきたのかもしれない。
家で煙草も酒も吞まないし、ギャンブルもやらない。
体を動かすことも減った。
書き物だけが残された取り柄であり楽しみでもある。あと旅とか読書とか色々あるけど、書き物はお金もかからないし時々は収入にもなるから有難い。趣味と実益だ。
ただそれも危ういとなると流石にストレスが溜まって仕方が無かったので、これだけは死守したい。
そうして書き出してしまえば、例えば今日みたいに今まで味方だと思ってたし応援してたつもりの人が居なくなったことについて、書き散らかさずに整理できたりする。
何がいけなかったか、どうすればよかったか、なんてどうせわからない。
実際じゃあ言われたところで言われるまでわからなかったことなんて直せない。直したところで時間は戻らない。
時計もレコードも回るけど戻れない、とィ横山剣さんも歌っているように、もう新しいレコードが回り始めて、時計をかけ替えた人に向かって過去から声をかけても響かない。
住む世界や見えている場所、目指すものが変わったのだ。
そこへ持っていけるものは限られているし、取捨選択の理由に他人に意思は干渉できない。面白い話がいっぱいあったし、それをちゃんと書かせてもらう前に、そこにいるけど話せなくなるのはさみしいけど、いつか見つけてもらえたらいいなと思っている。
縁があればまた会うだろう。




