普通に考えたらやめとけって言われることを突き進むから夢なのだろう
もうそんなもんにしときなよ。あんなに辛かったんだし…また苦労するよ。
と喉まで出かかって、端末に向かって指先まで出かかって
(自分も同じだったわ)
と思ってスーッと引っ込んだ。
すげえ腰痛くて接骨院まで死ぬ思いで歩いて来たのに接骨院の看板が見えたら痛みが引いた時ぐらいの〝スーッと〟加減。
もうね、夢なんて言葉が前までみたくカッコよくて綺麗な、瑞々しく希望に満ちたものじゃなくなってるんだよ。心の拠り所であり、生きてきた証であり、自分が唯一この世に残せて誰かに見てもらえるに値するもの。だと思い込んでしまえるためのもの。
それが今この手元に残った夢なんだ。
多分そういうことなんだと思う。
私は私の好きな人が自分の夢に取り込まれ、腐敗して悪夢に変わったときも、そこから目覚めようともがく様も端末の液晶に映るアプリケーション越しに見つめてきた。
そしてそれは、19の私が辿ってきた道にもよく似ていた。
私の夢は移り変わったけど、まだきっと目覚めてはいない。
だからまだ、夢を見ていられるのなら…寝苦しくべたつく汗に塗れながらも、生き抜いて勝ち誇ってほしい。成績や順序のことじゃない。
自分で自分の生き方を守り、貫いたことに対して。
勝てるか、叶うか、それはもう問題じゃない。
それを保ち続け、走り続けられるか。
そこが問題だ。
私は一度、コースを降りた。種目を替えて挑んでいるが芳しくない。
でも、やるんだよ。
大体、普通に考えたって「高校卒業してメキシコ行く」なんざ、やめとけって言われるに決まってるし言われていた。なんなら就職の内定も決まっていた。しかもその段階で、まだメキシコに行けると決まったわけでもなかった。さしたる試験もなく面接だけ受ければよかったのはメキシコも就職も同じだったのだが、内定が決まったまま面接を受けるのが嫌だったのだ。別に何も言わなければわからないし、強いて言えば保険として就職の内定は残しておいても良かったじゃないかと今なら思うし、自分の親戚や友人で同じことをしようとしてたら、今ここに書いたような常識的かつ筋の通ったことを言うだろう。
でも、もうそんな次元じゃないんだよ。
やめとけ、って思うのは当たり前なんだ。
それでもやりたいかどうか、と聞かれても答えるまでもないのが夢なんだ。




