ありがとうの出ない相手に礼を述べてこそ礼儀
とは言うもののクソッタレがよ、と思うよな。
なぁんで感謝してるのはコッチだけで、お前からはドンヨリした疲労と不満のこもった目で薄暗い生返事だけを低いとこに投げて寄越すような真似をされなきゃならんのだ。揚げ句それを伝えても、
「自分も辛い」「こんなことを頑張ったのに」「そっちこそ云々」
というばかりで、今度は御免なさいすら出てこないうえ、こっちが謝らないと話も何も進まないどころか自分の正当性を担保し言い分を曲げずコチラに言うことを聞かせようとする。緩慢で傲慢なワガママを通そうとする。
そういう奴に当たると本当に大きな声を出して怒鳴るか、何か物を壊したくなる。
別にそんなことしないのなんて当たり前なのに、その当たり前のために物凄いエネルギー使って我慢して生きている。いつでも暴れたい。
最近ほんとに食事が気持ち悪くて仕方がない。ずっと食事なんて好きじゃなかった気がしている。そんなことはない、よく食べている。太っているんだもの人並み以上には食べているし、食い物に関してアレコレ書いたことだってあったはずだ。
でも今は嫌だ。咀嚼とか嚥下もだけど、食材を調理して云々、みたいのも気が進まない。なんなんだろうか。
死ぬ元気もないもんだから生きる根源を断とうとしているのか、精神的な余裕のなさの産物が食欲という部分から発芽しているのか。
ただ昔から胃袋に物を入れてから何かするのが嫌で、朝食とか給食が地味に嫌になったころがあった。それが今でも続いていて、何かしている合間に食事、というのが嫌だ。
気持ち悪いじゃん。
なんだろうな、飯食ってる時もずっと暴力と暴言で自分を否定され続けて育つと、こうなるんかね。おかげで未だに家族団らんとか嫌いで、一人で食べて一人で洗い物したい。
どっちも「見てて勝手にお気に召さない」というだけの理由でボコられ続けたからだと思う。ちょっとコップを倒すとか、くしゃみするとか、オトナでも汚いけど仕方ないようなことでもまあー酷い目に遭った。
人前で口の中に食い物を入れてグチャグチャ噛むのがずっと苦痛だった。
給食に関しても、私は自業自得も多分にあって小学校5年で友達を失くしたので苦痛だった。誰も私と同じ班になりたがらなかったからだ。ここで自分ばかりカワイソウをしているのも良くないので本当のことを言っておく。理由は色々あるが、まあよく暴れるタイプの嫌われ者だったことも大きい。
今でもお腹の中に何か入ってると書き物も運転も筋トレもしたくない。
仕事なんかもっての外。あれは終わってから食うのであって、仕事してるのに食うとか正気の沙汰じゃない。食ってる最中に呼び出されたり、時間ないのを周囲に当たり散らす奴が居たり、ロクなことにならない。
だからみんなで一斉に通勤、休憩、食事、退勤する仕事が本当に無理だった。
こればっかりは勝手に来て、やるだけやって、勝手に帰れる仕事が合っている。さらに言えば世間の休みに仕事して、世間の平日に休んでるほうが良かった。
ので、固定シフトで昼勤と夜勤を交互にやるゴミ焼却場の仕事は実に快適だった。今の配達の仕事もいいけど、近くにデカい工場があるせいで朝5時から夜7時くらいまでずっと道が混んでいるのが難点だ。
難点もノド飴も、まあそんな仕事やめりゃいいだけなんだけども。
今やめたってなあ、と思うばかりだ。
仕事が楽しい、とは思わないけど、クソみてえななかに楽しいこともある、のは事実で。
でもそんな風にどうにかやり過ごしているのを
「ちゃんと仕事に楽しみを見つけられてる」
みてえに言われると、途端に嫌になってしまう。
多分ありがとうの出ない奴に対しても、これと同じようなことしてるんだと思う。
気に入らないし腹立つしブン殴りたいのに、いいところもある、こういう部分は好きだ、感謝するべきこともある、みたいな。
でもまあそんなもん長続きしないよな。いっぺん好意や敬意の失せた相手をもう一度持ち上げろと言うのは、地面に下した重たい荷物をもう一度担ぎ上げるようなもんだからな。
怒りたいときに怒れず、殴りたい奴を殴れずに生きているのに、セケンやヒトサマに比べて余裕のない自分にばかり腹が立つ。




