身内の褒め合い仲間内の高め合いで素敵になっていく自分をどこに発信するのか
身内のSNSかメディアでしょうなあ。
幾ら歯を食いしばっても努力を認めてもらえないというのは孤独なもので。挫折の大半は孤独によるものだろうと思う。なので、まず孤独を取り除く。
でも、孤独の対岸にあるものは癒着で。癒着の行き着く先は依存になる。
地元の仲間と楽しくやっているのと、新顔としてコミュニティに取り込まれるのは表裏一体で一長一短。ということはやらないよりは、やった方が少なくともメリットもある。
と、ここまでわかっているものの、かったるいので腰を上げないでいる。
地元愛もあまりないし自分が求めているのはそこじゃないから、もっと努力しなければと思うものの。努力そのものの発信をしたところで身になるものでもない。
じっと苦い孤独を奥歯で噛みしめているしかない。
何処で何してたって結局は足の引っ張り合いで、一人でも一つでも手駒の欲しい奴と、何でもいいから世に出たい、誰かに公の場で褒められたい奴の利害の妥協の産物。
そんなものばかりが地域を盛り上げるだのなんだの言いながら流布されている。
それでも何もしないよりは、何かした方が文化的には良いのだろう。賛否両論というのはどっちかだけでもありゃいい、ということでもある。
一見楽しそうにやってるけれど、泥臭く地道な努力の結晶がそこにしか留まらないのだから世の中ままならない。もっと報われてほしいという人もいるし、お前は二度とオモテに出てくるなと思う自称人もいる。
そんな言葉は無い、いま思いついた。自称○○のくだらねえ奴を指す。
プロレスにも多いけど他でも結構いると思う。
こういう時なんて言えばいいんだっけ。
自戒を込めて。
連休でアチコチ色んな催しごとがあって、いつもの場所が大変にぎわっている。
それは良いことだけど、そこに普段から通ってると邪魔くさくも感じる。
人を呼ぶための場所でもあって、公共のスペースでもあって、往来や広場でイベントやってりゃ文化的にも見える。
ああいうところに遊びに行くんじゃなく、呼ばれる側にならなきゃならないだろ、って思うと、ノコノコ出かけてヘラヘラ愛想振りまいてる場合じゃねえなと今日も世の中をジト目ドクダミ光線を発射しつつヤブニラミして書き物をしているのである。
端午の節句も間近というので、行きつけの昔づくりの和菓子屋さんでヨモギの柏餅とヨモギういろうを買ってきた。大好物。この時期ならではの手作りの一品。うまかった。




