自分は死んでも他人は生きててほしいという我儘。
自分で自分がアテにならないから他人が言ってくれることも信用できない
どんな慈愛も恋慕も激励も受容も確認も約束も、自己不信と自己嫌悪と拭えぬ怯懦と積み上げた後悔が目を塞ぎ足に絡んで背中まで雁字搦めにして首を吊る。
何処の誰とも知らない奴がどんな顔をして、どんなつもりで書いたのかもわからないものを誰から受け取ってるか知らないが、そんなもので自分を代弁させたり学習したり何かわかったつもりになったり、メモや主張のつもりになったり、はたまたもう脳も心も死んでて反射で興味ある分野の何かシカが書いてあるとリポストしてたりするのかしらないが、そんな死んだ言葉にしか反応できない死体食いの状態で文章なんか咀嚼できるわけがない。生きた言葉を踊り食いにする気力が失せているときは、言葉なんて何も生まないし響かない。だってそうじゃないか、死んだ関係性の人間から何をどう褒められたって少しもうれしくなかったんだろ?関係性もクソもない連中の言葉が一体何にどう響くというのだ。響きもしない刺さりもしない言葉に意味が見いだせない私の方が、それともおかしいのだろうか。
生きた人間の言葉をあきらめたくない。
生きた人間の言葉より得体の知れないアカウントやAIの言葉が響いて届くならそれは私の力不足だけど、それで諦めがつくぐらいならヒトなんか好きにならない。自分で自分の言葉を信じたいし、それが響くようになりたい。
相変わらず死んだほうがマシ、よっぽど手っ取り早いと思いながら一日、一日と過ぎてゆく。仕事だけは、こなせている。他が何も出来ていない気がして焦ったり新しい未練に気づいてしまったり、今ある未練に押しつぶされそうになっている。未練はあっても別にいい。ただ多すぎてとても片付く気がしないから、やっぱり嫌になっているだけ。
仕事だけをこなしている日々が虚しく、あれは去年、あれは一昨年、あれはもう何年前だと過ぎ去った日々だけを首がもげそうになりながら振り返り続け、月日の流れに立ち尽くしている。漣に足元を洗われるように、頭の中で後悔と不安と焦燥がほとばしる。
結局なんにも出来ないじゃないか。
結局どうにもならないじゃないか。
自分で自分を責め苛むことだけが上手くなって、自分で自分に逃げ道を拵えることだけが得意になって、今日も頭の中で自分と自分が意見をぶつけてため息を吐く。
自分で自分があてにならないから、計画も約束も出来ないでいる。
他人よりも、自分にそれが値しないとわかっているから。今の自分には?
ずっと自分にだけは。
他人を活かしたくて自分を殺すより、自分は死んでも他人は生きててほしいという我儘。




