憂鬱の正体見たり「愛されたい」
このシリーズを始めたとき、本当に本当に毎日憂鬱で辛かった。
今もそれは大して変わらなくて、死んだほうが早いもんを何故だか生きてケツカル、というぐらいのことである。
産まれたからには生きてやる!
なんて気概もなく、生きるためのモチベーションなど高まったそばから冷や水を浴び、何をしてても面白くない、次の不安や焦りだけがじくじくと降り積もってく。
ヒトサマの人生なんぞ殺しでもしない限り自分でどうにか左右出来ることなんか無いというのに、どうにか振り向いてほしかった。
自分の生い立ちや育ちが今更なにも変えられないとわかっているのに、自分に流れる血を汚らわしく嫌っている。
そういう生き方をしたくてしてきたわけもなく、別に何の疑問もなくとりあえず生きて仕事してメシ食ってFANZA見て寝れるならソッチのが断然ハッピーライフだと思う。
唯一の取り柄だった言語化、文章化も捗らず。
自分の宝物みたいだったプロレスも色あせた。
何処にも行きたくなくなって、誰にも会いたくなくなって、誰かに話したいこともなくなって。でも会いたい人はいつも遠くて。
その距離すらも埋められず、埋めたところで振り向かない。
相手のある人生というのに嫌気がさした。
それで気が付いたら、従前のおバカエッセイから分離独立したシリーズとして毎日何かしら書き出していた。
正直に言えば途中から(今日は何を書こうかな)と考えを巡らせることもあった。
毎日更新を目指してたわけじゃないけど、アップしてみると意外に読んでくれる人が居たり共感してくださる方もいたり、時にはコメントや拡散してくれる方もいて。
そう思うと頑張っちゃうもんね。
あなたのため、だとか言ったら疑われるけど。
なんかそれで40日間いちにち1本書き続けてきた。
でも、りっぷるらいとさんの星占いを見たらその日の蟹座が
〝かわいそうをやめる〟
と出ていて。
そうか、これはそういう風にも見えるなあ。と思って、潮時かなと。
でも別に書くのやめたって過去は変わらないし、苛まれ続けている自分が楽になったとかも無い。嫌なものは嫌なまま、辛かった過去は辛いまま。
ただ、ただ〝愛されたい〟と思っていた。
誰かがいつも見ててくれなきゃダメで、寂しくて、いつも他人の目や声がないと生きる甲斐のない和哉くんが自分の殻に閉じこもって、暗いの狭いのサミシイのと泣いている。
本来の和哉くんはそういう、泣き虫で気弱で感情的になりやすい、非常に子供っぽい子供だった。それがそのままトシだけ食ったので、今もこうして泣いている。
それをそのまま文章にしたのがココだった。
とりあえずココまでにするけど、何か暗い話題や辛い出来事を思い出したり、それに関連したりする記事はこっちを使うと思う。
あっちは、なるべくバカな話してたいし。
バカの目にも涙。
憂鬱の正体見たり「愛されたい」
案外とカギや原因になるものは呆気ないほど普通の答えだった、なんてことがある。
自分の場合は、さてどうだろう?
一先ずありがとう。
子供の私と年老いた私が礼を述べている。
お礼を言うのは確かに私だ。
書いてる私は誰だろう?




