何をいうにも先ずワンクッション自虐する癖をやめたい
堂々と自分を前に出すことに照れと怯えがずっとあって。
結果、自虐と皮肉ばかりが癖になってゆく。
照れのほうは性格だろうが、怯えは後天的な傷である。
何をするにも怖くも恥ずかしくもない子供の頃に、ちょっとこっちが楽しそうにケラケラ笑って遊んでいると何が気に食わないのか
「調子に乗るな!」
という意味不明な理由でテニスラケットや分厚い少年誌や熱い味噌汁の入ったお椀が飛んできた。これは全部、実際に喰らったものの一部だ。あと野球のボールもあった。
私わりと野球やってる奴と折り合い悪くて昔から喧嘩したり揉めたり、少年野球の監督がエラソーで即やめたり、どうもダメなんだよな。
格闘技とか武道の先生や仲間は、殆どエラソーな奴なんか居なかった(たまに例外はあった)けどなあ。
野球が嫌いってわけじゃないけど、野球やってる奴とは距離を置くようになったのも、あの家庭内暴力男が野球だけはまじめで熱心に取り組ませようとしていたからかもしれない。私に。
だけど私は球技全般からっきし。キャッチボールもマトモに出来ない。
走るのも苦手で遅い。
これでは野球のやりようがない。ガキにしちゃ力があったのと左投げ左打ちで当たれば飛ぶけどそれで変化球を打てるほど野球は甘くない。
結果あいつの満足いくような出来栄えには到底及ばず。私はそれだけで欠陥品の烙印をポイント5倍で押されまくり、閉店前のお惣菜みたいになっていた。
そいつが思っているほど野球が上手くない、というだけで。どうしてそんな言われようをしなくちゃならなかったのか未だにわからない。
でも、あの年代の連中ってやたら野球、野球じゃん。目の色変えるというか。
少年野球の監督も、あの暴力男も、野球が取り柄で楽しみだったのかもしれない。
でも私は取っ組み合いの方が自分で言うけど得意だし好きだった。
上級生と喧嘩しても負けなくなって、体は思った通りに動くし、痛くても苦しくても楽しかった。というか普段、大の大人にあれだけボコボコにされてりゃ2つや3つ年上のガキに掛かってこられてもなんともないわな、そりゃあ。
ただ気性が荒いのとガキにしてはデカくて力が多少あったので暴れたら厄介だしロクなことにならない、と習わせてもらえなかった。
少林寺拳法なら、と奨めてもらい始めてみると最初は物足りなかったけどだんだん面白くなってきた。初段を取るころには中学生や高校生のお兄さんに交じって乱取りしたり組み手をしたり、学科も初代・宗道臣先生の逸話や講話集が面白くて機関紙を読み耽るうちに覚えてしまった。
こうなると面白くないのがバカのほうで、一生懸命に稽古してても途中で連れ帰されたり、その帰り道も車の中で散々に罵倒されたり侮辱された。どうせお前なんか続かない、やったって無駄、パンチも蹴りも不細工だし肌が汚いし汗をかくと車の中がお前のせいで臭い…もちろん逆らうと(1ミリでも不満そうな顔をしたと判断された瞬間)その場で車を停めて路上だろうが駐車場だろうがボコボコだ。道着が鼻血や擦り傷切り傷で真っ赤になることもあった。
なんかそんな風にして、死にもせず賠償もされず殴られ損のまま育ったせいか未だに、何か言おうとすると先ず自虐や皮肉を置いてしまう。その陰に隠れて、照れながらモノを言う癖を直したくて。
せめて好きとか素敵とかは真っすぐ言うようにしたいと思って。
他人様には歯の浮く美辞麗句でも私にとっては当たり前の表現だったりボキャブラリーの在庫の一つだったりする。
あまり言い過ぎるのも良くないかもしれない。でも、
自分なんかに言われたって嬉しくないだろうけど…
なんて前置きを、いつかしなくても、あなたが好きで素敵だと言えるようになりたい。




