インターネットでイイ人やってもイイ事なんかイッコも無い
所詮は虚像。
素性も何も知らない人に対して、普通に人間扱いしてれば物凄くいい人に思われる。自分の素性が分からないのをいいことに画面の向こうにも同じ人間がいると全く思いもよらないでいられる幸せな連中のおかげだ。
ただ、この箱や液晶のなかでもイイ人になれない奴って本当に〝そういう奴〟として普段から生きてる公算が高いわけで。そうなると正直なのはソイツであって。
普段からハラワタがドス黒くて、被害妄想と誇大妄想と加虐的な被虐願望(200%他人のせいで自分が酷い目に遭いたいと思うこと)でいっぱいなくせに、基本的には他人様から好かれていないと自家中毒で死にそうになる奴ほどインターネットでだけイイ人になりやすい。
他人に優しくしている自分がちゃんと好かれていれば安心するのだ。
でもその基準は何処よりも理不尽で誰よりもワガママで何より自分勝手で。
何か少しでも納得いかないと不安と不満とがリボキャッシングの手数料みたいに積み重なって、目に見えない雪だるまが背中から圧し潰そうとしてくる。
傍から見たら自分で底なし沼に足を突っ込み、大騒ぎしながら沈んでいってるだけなんだけれど。
でも折角そうやって上手いことイイ人ぶってても長続きしないし、自滅しなければ今度は周りが勝手に沈めてくれる。
イイ人の周りには善き人々が集まるが、イイ人ぶってる奴の周りに群がるのは〝イイ人に飢えてる奴ら〟だけだ。餓鬼道である。
善き人々はお互いを思いやって労り合うことが出来るが、餓鬼道では自分の理想的なイイ人が欲しいだけ。最初は「この人は凄い!」「こんなに素晴らしい人なんだ!」ともろ手を挙げて持ち上げてくれるけど、ひとつ蹴躓くと今度は高く持ち上げた分だけ落差のついた垂直落下式の蔑みが待っている。
これが今回のサブタイトルの根拠なのである。
結局はイイ人ぶる側も、それに群がっては去ってゆく連中もロクなもんじゃないし、本来ココはそういう場所であって、普段から別に何も考えずに仕事して食べて寝てる善良な人らとは載ってる図鑑の項目が違うのだろう。
掃き溜めの流れつく先はヘドロまみれのパイプで繋がった汚水処理場であって綺麗な大海原なんかじゃない。自分がどこへ流されてゆくか。
川の流れのように青いせせらぎに身を委ねたつもりがドブ川に一直線。
なんてことにならないといいな。なりそうかな。




