私も老害ってことで決まりだなと思っても気に食わないものは仕方がない
手の込んだ無駄なことは楽しめるが、ごちゃごちゃしてるだけで
「こういう絵柄みんな好きでしょ?ファンタジーっぽくてステキで綺麗でキラキラしてて誰もが楽しめる優しくてクリーンでしょ?」
っていうAIイラストは嫌い。見たって何にもならないじゃん。
誰もそれを作ってない、考えてもない。〝こんな感じの〟っていうのを勝手にフワっと出させて、それに何を代弁させるのか。
被災地へのエール、日々の励まし、平和への願い、悲しみへの慰め。
果たしてあんなもので何が伝わるのか。なんか、違和感と言うか、あれで済ませてる癖に大それたこと言うなよ、と思う自分が居る。
あれは手助けであり、代用品であり、誰でもなんでも作り出せる魔法のツールではないんじゃないか。あれを使って人の目に触れたものは作品とは言えないんじゃないか。
でも自分だって手が利かなくなってアタマが働かなくなったのに書かなくちゃならない、書けばお金がもらえるとなったら使うのだろうな。
そして今みんなやってるのは別に〝お金とってない〟〝趣味、個人で楽しむためだから〟なんだろう。でそれと同レベルのものを宣伝の広告にも使ってるお店や創作物もあって。それはそれで、それもそれで、なんか違うだろって。
手間暇かけて壮大なイラストを描くのはいいのに、それをAIが便利にやっつけてくれちゃうとつまらない。勝手な話だ。
インターネット老人会じみたことを言えば、自分もそうだけど無駄なことに手間暇かけたり、才能を発揮したりする奴を称賛するのが楽しかったんだよな。
お前こんな絵が描けるのか!
お前よくそんなこと思いつくよな!
そういう無駄を、科学技術の粋だったパソコンとインターネットのなかで、わざわざやってるバカバカしさが良かったのであって。
AIなら誰でも簡単に何でもできます!
ってなるのを、別に全然何にも誰も望んでなかったんだと思う。
望んでなかった人たちの向こう側に、そんなこと何にも知らないで
えーっ!?こんな便利なものがあるの?すごーい!
って使い始める人がもっともっと大勢いて。
折角便利なものがあるんだからコレを駆使しない手はないな、という頭の柔らかい人もいて。
それでいいから、放っておいてくれねえかなあ。
また新しい無駄と楽しみを探し出す余力があるうちに、
TwitterとAI生成になんの望みも信頼も寄せずに済むうちに。
というわけで今現在(2026.10.3)に至るまで私、佐野和哉の作品には補助もふくめ一切AIは使用しておりません。




